久々に名将言行録からの逸話登場です。
武田信玄の部将で、板垣信形と並ぶ筆頭家老クラスだった甘利虎泰の子どもが今回の主人公甘利晴吉です。
若くして亡くなっており、享年31歳。三方が原の戦いの後、病死したとも落馬によるものともいわれています。信玄からの軍功の証文を9通得ており、優秀であり、有能さは武田家中1,2を争い、3以下にはならないともいわれたそうです。さて、そんな彼には部下を大事にする話があります。
『士を愛す』
関東松山を攻めた時、晴吉の部下米倉丹後守の子、彦次郎が鉄砲に撃たれた。
従者が(彦次郎を)担いで退いたが、まだ息はあったものの血が体内に溜まり、腹が大きく膨れており、時間の問題と思われた。その時、側にいた者が「芦毛の馬の糞を水に溶かして飲めば、血が抜ける事がある。」というので芦毛の馬糞水を彦次郎に与えた。
彦次郎は父に劣らず大剛の者であったが、眼を開いて言うには、
「胸元を前から後へ打ち抜かれて助かるものか。死ぬとわかっているのに、『彦次郎は命惜しさに馬糞を飲んだなどと死んだ後も嘲られては無念じゃ。武士が戦場で死ぬのは本望だ。」といって飲まなかった。
すると、甘利晴吉は米倉彦次郎の所へ行き、
「彦次郎の普段の言葉とも思えぬ。もし血が抜けて傷が治れば主君には忠、父母には孝となる。死後の謗りにこだわり忠孝の重さを忘れるとは、武勇ではない。」
と彦次郎へいうなり、晴吉は馬糞水を柄杓に受けて、ごくごくとふた口飲み、舌鼓を打って
「よい風味だ!」といって、手づから彦次郎に与えたので、彦次郎は涙を流して
「間違っておりました。お心遣いのありがたさ。たとえ命果てても、次の世でも忘れません。」といって押し頂き一滴も残さず飲んだところ、忽ち腹の中の血が一桶分ばかり出て、傷は暫くして治った。
これを見た晴吉の同僚部下は感涙を流して、益々晴吉を慕った。
信玄はこれを聞いて、晴吉の忠節と士を愛する志を誉めた。
部下を愛する為、馬糞汁を口にする将。
部下はその心遣いに感謝し馬糞汁を飲む。
そして部下を愛する心が奇跡が呼び起こす。
全米が泣いた。
と、キャッチコピーが付けられそう。
主君の恩にむせび泣いた米倉家では以後「馬糞」を馬印にするかもしれない。
・・・。
なんか誉めれば誉めるほど「誉め殺し」感が出てしまうのは、なぜか?
それは『馬糞』が主題だから。
そもそも、誰が「血出しには芦毛の馬糞汁」なんて言いだしたのか。
いくら治るからと言っても『殿、馬糞汁を!』などと勧めれば、『貴様、無礼討ちじゃぁ!』となるのが普通。どう考えても罰ゲーム的なものが歪められて伝わって広く信じられたっぽく感じてなりません。
ちなみに、この芦毛馬の糞が体内の血を出すのによい、という話は江戸時代に書かれた武士の心得や実務的な内容を描いた「雑兵物語」にも出てきます。この時代は広く流布していた治療法のようです。ひょっとすると雑兵物語は甘利晴吉の話を基に書かれた可能性もあります。
しかし、私に医学的な知識はありませんが、なぜ鹿毛ではダメで芦毛だとよいのか、だって、同じ馬の内臓で芦毛と鹿毛で何か違いがあるとは思えない。芦毛の馬糞汁は迷信で、下手をすればむしろ逆にトドメとなりかねないような気がします。もし、あなたが明日撃たれても「あ、芦毛の馬糞汁を・・・。」と懇望する前に救急車を呼ぶことをオススメします。
ちなみに晴吉が早死にした理由は、これが遠因だったとしたら・・・?(了)
武田信玄の部将で、板垣信形と並ぶ筆頭家老クラスだった甘利虎泰の子どもが今回の主人公甘利晴吉です。
若くして亡くなっており、享年31歳。三方が原の戦いの後、病死したとも落馬によるものともいわれています。信玄からの軍功の証文を9通得ており、優秀であり、有能さは武田家中1,2を争い、3以下にはならないともいわれたそうです。さて、そんな彼には部下を大事にする話があります。
『士を愛す』
関東松山を攻めた時、晴吉の部下米倉丹後守の子、彦次郎が鉄砲に撃たれた。
従者が(彦次郎を)担いで退いたが、まだ息はあったものの血が体内に溜まり、腹が大きく膨れており、時間の問題と思われた。その時、側にいた者が「芦毛の馬の糞を水に溶かして飲めば、血が抜ける事がある。」というので芦毛の馬糞水を彦次郎に与えた。
彦次郎は父に劣らず大剛の者であったが、眼を開いて言うには、
「胸元を前から後へ打ち抜かれて助かるものか。死ぬとわかっているのに、『彦次郎は命惜しさに馬糞を飲んだなどと死んだ後も嘲られては無念じゃ。武士が戦場で死ぬのは本望だ。」といって飲まなかった。
すると、甘利晴吉は米倉彦次郎の所へ行き、
「彦次郎の普段の言葉とも思えぬ。もし血が抜けて傷が治れば主君には忠、父母には孝となる。死後の謗りにこだわり忠孝の重さを忘れるとは、武勇ではない。」
と彦次郎へいうなり、晴吉は馬糞水を柄杓に受けて、ごくごくとふた口飲み、舌鼓を打って
「よい風味だ!」といって、手づから彦次郎に与えたので、彦次郎は涙を流して
「間違っておりました。お心遣いのありがたさ。たとえ命果てても、次の世でも忘れません。」といって押し頂き一滴も残さず飲んだところ、忽ち腹の中の血が一桶分ばかり出て、傷は暫くして治った。
これを見た晴吉の同僚部下は感涙を流して、益々晴吉を慕った。
信玄はこれを聞いて、晴吉の忠節と士を愛する志を誉めた。
部下を愛する為、馬糞汁を口にする将。
部下はその心遣いに感謝し馬糞汁を飲む。
そして部下を愛する心が奇跡が呼び起こす。
全米が泣いた。
と、キャッチコピーが付けられそう。
主君の恩にむせび泣いた米倉家では以後「馬糞」を馬印にするかもしれない。
・・・。
なんか誉めれば誉めるほど「誉め殺し」感が出てしまうのは、なぜか?
それは『馬糞』が主題だから。
そもそも、誰が「血出しには芦毛の馬糞汁」なんて言いだしたのか。
いくら治るからと言っても『殿、馬糞汁を!』などと勧めれば、『貴様、無礼討ちじゃぁ!』となるのが普通。どう考えても罰ゲーム的なものが歪められて伝わって広く信じられたっぽく感じてなりません。
ちなみに、この芦毛馬の糞が体内の血を出すのによい、という話は江戸時代に書かれた武士の心得や実務的な内容を描いた「雑兵物語」にも出てきます。この時代は広く流布していた治療法のようです。ひょっとすると雑兵物語は甘利晴吉の話を基に書かれた可能性もあります。
しかし、私に医学的な知識はありませんが、なぜ鹿毛ではダメで芦毛だとよいのか、だって、同じ馬の内臓で芦毛と鹿毛で何か違いがあるとは思えない。芦毛の馬糞汁は迷信で、下手をすればむしろ逆にトドメとなりかねないような気がします。もし、あなたが明日撃たれても「あ、芦毛の馬糞汁を・・・。」と懇望する前に救急車を呼ぶことをオススメします。
ちなみに晴吉が早死にした理由は、これが遠因だったとしたら・・・?(了)
感動しました・・・・