入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「秋」(50)

2020年10月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝6時の室外気温0度、室内は4度だった。いつもの年なら、水道の凍結への注意、対策は11月に入ってからだが、今年は早くなりそうだ。それに霜も降りた、初霜だろう。これで季節は一挙に進み、諸々の冬支度を考える時がやってきた。

「Autumn Leaves]、とても他人には聞かせるわけにはいかないが、そんな下手な歌を牛は聞いてくれている、と信じている。昨日は、午後のいつもの時間、3時を過ぎてから御所平へ行ってみると、珍しく2頭の牛がかなり離れて草を食べていた。あらかじめ塩場で長めに警笛を鳴らしてから行ったので、来るのは分かっていただろう。
 牛たちとの距離は100㍍以上はあったが、あえてこちらからは近付かずに、昨日塩と飼料を与えた場所から呼んでみた。すると老牛27番がわずかに反応を見せた。25番もこっちを見て、どうしようかというふうな態度で、老牛の様子を窺うように動きを止めた。「よーし来い」と大きく叫び、さらに人には聞かせられない歌を口笛も交えて歌い始めた。
 すると、「それほど呼ぶなら行ってやるか」とでも言ってるようなもったいぶった態度を見せ、まず老牛、そしてもう1頭もそれに合わせるようにこちらに向かって歩き出した。そうなれば最早、こちらは絶叫さながらに歌い続けるしかない。とても他人には聞かせられないし、見せられないが、その間も牛の気が変わり途中で止まってしまわないかと気を揉んだ。
 どうにかすぐそばまで来た。急いでそれぞれに分け隔てのないよう同量の配合飼料を与え、その場で様子を伺う。いつもながら、相手に脅威を与えないよう牛と目線の高さを同じにするため、最初から人間の方は膝を折った姿勢でいる。すると一時、飼料を食べるのを止め、角と接触するほどの距離から老牛の大きな二つの目がこっちを窺うようにして見た。それはあたかも「裏切るなよ」と言っているようだった。そして、また大きな舌で粉末の飼料を舐めるように、いや、掬うようにして食べる。
 驚いたことに、牛の世界にも長幼の序というものがあるのか、老牛が若い牛の方の餌にまでちょっかいを出しても、された方は反発しない。コレコレそんのことをするんじゃないと、大きく曲がった角に触れても、老牛奴は食べるのに夢中でか意にも介さない。うーん、よく分からなくなってきた。これほど気を遣ってしていることが、なんとも馬鹿らしくなってきたのだが・・・。
 
 きょうのPHはその後草刈りをしての帰り、中央にかろうじて御嶽山が写っている。牛の相手に専念していたせいだろうか、昨日は無性にHALのことが思い出された。本日はこの辺で。
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     ’20年「秋」(49)

2020年10月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 日曜日(18日)、北アルプス、中央アルプス、八ヶ岳にも雪が降り、冠雪した。恐らく南アルプスの山々にも冠雪しただろう。ここよりかも大分北にあるせいだと思うが、標高はあまり変わらない美ヶ原も、うっすらと白い降雪の跡を残していた。
 朝、3人のキャンパーを軽トラに載せて上に連れていったら、まず目に飛び込んできた真っ白い御嶽山の威容に度肝を抜かれ、彼らは「おう!」と驚きの声を上げたまま絶句してしまった。
 日中も曇天が続き気温が10度まで上がらなかったから、夕暮れに第1牧区へ上がっていった時も、夕映えの空に雪を被った荘厳な峰々の連なりが見えていた。八ヶ岳の硫黄岳に延びていく樹林帯の尾根に降った雪は融けなかったようで、朝と同様に粉をまぶしたような雪が常緑樹の山肌を飾っていた。北アは槍や穂高は言うまでもないが、脇役の常念岳が目を惹き、さらに南に秀麗な乗鞍岳、信仰の山である御嶽山と続き、中アは西駒もだが空木岳の威容が光っていた。
 夕暮れの空、西の山に消えていく日の残光と、初冠雪したいぶし銀の山並みに目を奪われて、もうこれ以上の絶景など求めようもないのだと思いながら、立ち尽くしていた。



 2頭の牛たちは御所平の放牧地を100㍍以上誘導され、ここまで来た。もっと近寄っても、触れても、逃げるようなことはしなかった。この牛たちと力比べして勝てるなら、すぐにでも縄を打つ。しかし並みの牛たちではない、それは子供が相撲取りと取り組むような話で、それに1頭ならまだしも2頭いる。今使っている配合飼料は塩ほどの誘引力がないから、さらにもっと牛が好む飼料にして、この位置で与えるようにと考えている。近くに2本の役に立ちそうなモミの大木があるからだ。
 誘導しなくても呼んだら来るまでになったら梯子、棒などで4畳半ほどのコの字の囲いを作り、そこに誘い込んでから囲いを閉じて縄をかける、そういう算段を考え着いた。それまでは、全てを一人でやる。他の者が来て牛が不信感を持ったら今までの苦労、努力が水の泡となる。もう、時間が無くなってきた、恐らくやり直しは効かない。この1週間が山場となるだろう。
 本日はこの辺で。



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     ’20年「秋」(48)

2020年10月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 先程までしていた雨音が聞こえてこない、止んだのだろうか。午前3時を少し回っている。もう一度寝直すべきか迷いながら何もせずにいたら、呆気なく1時間が過ぎた。もう、4時になろうとしている。昨日家に帰った時に持ってきた本があるが読む気になれず、時間の中に浮身でもしているような気分で漫然とそれだけの時を過ごしたわけだ。
 持ってきた本の中には上伊那郷土研究会発行の「伊那路」も含まれている。年会費たった5千円で毎月送られてくる。今月号の特集は「箕輪松島」氏に関する明音寺資料などが紹介されていて読むのが楽しみだが、それは措き、その冊子の間に挟まれていたある本の案内に目が行った。
「ぼくは縄文大工(平凡社新書)」。著者の雨宮国広氏は知っている、何度か会ってもいる。氏は、以前にこの独り言でも触れた郷土出身のピアニスト平澤真希さんの「森のピアノ」という撮影企画にも関わり、来週もここの牧場内で前回と似た企画が予定されて、会うことになっている。
 純朴な、縄文の時代を髣髴させるような人物で、国立科学博物館の海部陽介氏が中心になって行った日本人の渡来ルートの一つとされる、台湾から与那国島への実験航海においては、石斧を使って雨宮氏が作った5人乗りの丸木舟が使われた。昨年の夏だったと思うが、この報道に触れた人もいたはずだ。
 普段は「雨ちゃん」などと呼んでいる氏だが、著書を世に出すようになって、そのうちきっとこの本が縄文人気再来の一助になるだろうと期待している。まだ読んでいないが近々に入手する。

 こんな雨降りの天気にも関わらず、2組5人のキャンパーが来ている。また市長や市と、商工会議所の関係者20名くらいが高座岩の現地調査に来た。市長とは、テイ沢のことについて話す。それだけでなく、2時過ぎ、こんな天気でも撮影が行われることになっているが、できるだろうか。赤羽さんの家族も全員、種平小屋へ行く前に立ち寄ってくれた。結構賑やかな土曜日である。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
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     ’20年「秋」(47)

2020年10月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 きょうのうUme氏の空撮写真、初の沢の源流で、春にも同じような構図で撮っている。もちろん新緑も悪くないが、好みからすれば秋の方がもっといい。黄色を基調としつつもその濃淡はかなりの差があり、そればかりでなく、紅葉も混ざる複雑な色合いが狭い渓を埋めている。この辺りはダケカンバの木が大勢を占めていて、そこに常緑樹のモミや落葉松、各種の雑木が加わるが、さらにこの色彩に一役買っているのがこの渓に流れ込んできている霧だろうか。
 この写真が撮られたのは確か一昨日だったが、昨日も朝から霧が深く、それが長く続いた。写真家もそうだが、映画やCM撮影でも煙幕を使う場合がよくあって、それは重要な役割を担うらしく、煙を発生させる装置次第で撮影時間がやたらに延びてしまうことがある。ある時などは7時に終わるはずが11時までかかり、別な時は深夜にまで及んだ。
 ここに暮らしていれば、霧などは当たり前のように捉えていて、それでも、確かにハッとさせられるような光景を目にすることはある。単調な緑一色の夏のころでも、白い靄が立ち込めた森の中は物語でも誕生しそうな独特の雰囲気を醸し出し、特に朝霧の中に木々の枝を縫うようにして細い光の帯が射し込んできたりした時は、夏の季節を少し見直してやりたくなる。
 それが秋ともなれば、なおさらで、色付いた木々の葉はきらびやかであり、激しく見えても、その反面の寂しさとか静寂さとかそういう自然の味わいの深さが、霧の効果によってさらに強調されるように思う。ともかく、今のこの季節くらい、自然が語ることはて多く深くて、それらが胸に重く落ちてくる。

 昨夜里に帰った。またきょうから山の暮らしを再開させることになる。残留牛に対する新たな対策案を立て、それを下に知らせて、ほぼ同意を得たと思う。詳しくは、また別の機会に呟くことにして、本日はこの辺で。

 
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     ’20年「秋」(46)

2020年10月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

                   Photo by Ume氏

 里の友人から電話が入り「折角新米をっ持っていったけれど不在で、犬もいなかった」と言ってきた。彼はHALの死を知らなかったようで、驚いていた。体調の優れない身でありながら、丹精込めて作った尊い米だから有難く頂戴することにして、帰ったら連絡すると言っておいた。
 家を空けていると、こんなこともある。食料も少なくなってきたことだしきょうか明日、一度山を下りよう。

 ここで暮らしていても、人との接触がないということではない。むしろ冬の間里にいて、炬燵に囚われている時の方が人と会わずにいる日が長く、多いかも知れない。だから孤独とか、寂しさは住む場所によって特に変わるわけではないし、それをあまり意識していない。ただ、今は往復2時間半の通勤時間がないこともあり、身体は楽だが、生活にアクセントのようなものがなくなってしまい、毎日同じような味付けの物ばかり食べているような、そんな気のする日々になってしまっている。
 今は秋真っ盛りで、気掛かりな残留牛のことさえなければここでの生活に不満なぞあるわけがない、と普段は思っている。むしろ喜んでいるかも知れない。それにもかかわらずこんな暮らしを続けていると、あまりにも日々が平明・単純になり過ぎて、却ってそのことが不安の種になってくる。どうしてもチラリチラリと嫌な翳が差す。いつもなら姿を見せないのだが、それが見えてくる。
 長旅の中で蓄積された疲労であればそれを癒すことができても、この疲労は、人生の長旅のうちに少しづつ忍び寄った疲労なので、癒すのは無理だろう。受け入れるしかない。
 そういった意味では、あの牛たちには感謝すべきかも分からない。彼女らに翻弄され、その行動に一喜一憂しながら、その間は癒しようのない疲労など忘れていられるからだ。昨日も、薬物を使って牛の行動を制御しようとした案は、射手を依頼しようとした人に断られてしまって暗礁に乗り上げた。次なる策がないまま、日ばかりが過ぎていきそうだ。

 今朝も霧が深い。牛の調教と根気の要る草刈り、きょうは喜となるか憂となるか。本日はこの辺で。

 
 
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