入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「秋」(55)

2020年10月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 一昨日の2頭の残留牛とのやり取りをここで再現するのは気が重い。と、呟けば分かると思うが、失敗した。あそこまで激しい抵抗を見せるとは、あれは家畜ではなく正しく野生動物、猛獣、言葉がない。
 いつものように塩場で警笛を鳴らしたが、遠く御所平に牛の姿はなかった。それでもそのまま囲いのある現場に向かい、途中で、軽トラに同乗して来た応援の職員4名を森の中に降ろし、待機してもらうことにした。
 一人だけでそのまま御所平に向かい、その先で2頭の牛を発見、そのまま捕獲用の檻の近くまで軽トラを乗り付け、誘導を始めた。
 牛たちはすぐに反応した。一人で檻の入り口を1本の鉄パイプとアルミの梯子で塞ぐには、いくら素早くやっても時間がいる。そのため、多めの配合飼料を餌箱と、いつもより奥の草の上に撒き、少しでも時間を稼げるように配慮した。餌箱のは老牛27番が、草の上のは25番の若い牛に食べさせるためだが、一瞬25番が警戒を見せ、入るのを躊躇った。しかし、この牛も後に続いた。
 まず鉄パイプを左から来ているパイプと交差するよう、50センチばかりの高さに差し込み、さらに上段にアルミの梯子をかけた。そして6本の番線でそれらを固定した。25番がこっちの行動を見て、一瞬ぎょっとしたふうを見せたが、またすぐ関心は餌に戻った。
 もう捕獲の成功を確信した。50㍍ばかり離れた茂みに待機していた4人に「入ったぞー」と大きな声で合図した。
 ところがである、下方から課長の頭が見えた途端に、老牛の態度が一変した。檻から飛び出さんばかりに激しく動き出した。25番も同じように暴れ始めた。牛の頭が2本のパイプの中に入り、上下に揺さぶられると檻が脆くも軋み出した。今にも檻を破壊し、飛び出しかねない2頭の牛の激しい動きに、縄を打つ暇を与えてくれない。そうこうするうちに、ついに25番がわずかばかりずれたパイプの間をすり抜け、逃げた。
 そうなると老牛27番に集中するしかなく、課長が危険を犯して檻の中に入った。そして闘牛さながらの息詰まる闘いの末、ロープが角に掛かった。そのときすでにあの特徴的な曲がった角は折れ、額にまで血が流れ、もの凄い形相になっていた。
 その後何とか2本のロープを掛け、27番だけは近くのモミの大木に繋いだ。しかしそこからトラックが待機する1㌔以上の距離を、時に死に物狂いで暴れる牛を連れていくなど到底不可能だと知った。そこでトラックを向けることができるか、そしてそれが可能ならそれを先導するため現場から離れた。
 案の定、トラックの運転手に無理だと言われ、再び現場に戻ってみると、もうそこには牛も人もいなかった。どうやら27番まで逃がしてしまったようだった。(つづく)
 本日はこの辺で。O澤さん、いつでも。M.gzwさん、通信多謝。また出掛けてください。

 
 
 
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     ’20年「秋」(54)

2020年10月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 ある人から「そう言っては何だけれど、少し気の毒な気がする」と、ここでの暮らしについてそんなふうに言われた。本人としては必ずしもそうは思っていないが、確かに70歳を過ぎた者がこんな山の中の牧場で一人、さぞかし思うに任せぬ日々を送っているだろうと同情されてもおかしくはない。
 その実態の一端を、と言ったらまずは仕事のことになろうが、それは折に触れてこれまでも呟いてきた。で、こんな山の中で暮らしの話題にできそうなこととくれば、食べることになるのか。実際そのことが、ここでの暮らしに大きな比重を占めていることは間違いない。
 昨日も新米を焚いておでんを食べた。このごろは毎食おでんが副食となっている。ただし、あくまでもお新香のような脇役としてである。これに時鮭の粕煮、カツオの刺身、酢をたっぷりと入れた納豆、塩辛、エシャレットの入っていない特製の味噌漬けと、塩分には要注意かも知れないが、以上それほど貧相な内容だとは思わない。カツオは山奥氏から頂戴し、新鮮なうちにさばいて冷凍しておいた。酒類は日本酒とビール。その後にリンゴも1個食べた。
 元来、酒の肴にはあまりこだわらない方だと思う。特に日本酒の場合は、夏でも熱燗しか飲まないが、上手い焼鳥とお新香があれば、それで充分である。稀に高級料理を馳走になることはあっても、酒と話に夢中になり、後で顰蹙を買ったことも一度ならずある。旅館やホテルで食べる料理にも、それほど関心もなければ期待もない。
 おでんの話に戻すと、冬の代表的な料理だと承知しているものの、他の鍋料理とは違ってそれほど好きというわけではなかった。出汁をひいて、自分で作るなどということはこれまでに何回あったことか。ところが、おでんは食べ続けても不思議と飽きない。カレーなど、3食続けてたべたらもう降参であるが、出汁と具を加えながら、もう1週間近く経つ。
 大事なことは、この料理にあまり頼らないこと、別の主たる副菜で味の変化を付けることだと思っている。牛すじが手に入らないから鶏肉で代用するなどかなり自己流ではあるが、変な話、美味過ぎてもいけないし、あくまで主菜に隠れた日陰者にしておくべき存在だと、このごろ分かってきた。
 因みに、食料の調達には富士見へ下る。距離的に近いこともあるし、値段は高いらしいが品質の良い食品が手に入るからだ。
 
 というわけで、夜中眠れぬままに食について呟いた。きょうは小屋にもキャンプ場にも少数の予約が入っている。そしてそれよりも何よりも、例の2頭の残留牛との決着をいよいよ付ける日だ。上手くいくか。
 本日はこの辺で、明日は沈黙します。
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     ’20年「秋」(53)

2020年10月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

Photo by Ume氏

 この雨がきょうの午後になって止めば、しばらくは好天が続く予報となっている。それで、ここの今年の秋は終わるだろう。その間には里にも木枯らし1号の吹く可能性があるようだ。
 夕暮れが迫る中昨日、追い上げ坂の草刈りをしていた時に吹いた風は、もう秋のそれとは明らかに違っていた。その射すような風の冷たさに、思わず身構えたものだ。

 昨日は里に帰った、というか行ってきた。当然のことながら山とは違い、里に下りれば交通信号や道路工事でここのように自由に車を走らせることができない。30㌔ほどの速度で天上天下唯我独尊的に走られると、まずもってそのことを今回も感じさせられ少し血圧が上がった。
 他人の家のような家にも立ち寄ってみたが長居をしないで、まず漬物にするエシャレットを求めていつも買う店に行ってみた。そしたら、生憎の在庫切れ、さらに3軒のスーパーへ寄ってみたが無駄足で終わった。ある大型店では野菜担当者が「片仮名語ですか」と小馬鹿にしたように問い返してきて呆れた。
 その後で郵便局へ不在時に送られてきた荷物を受け取りにいき、ここでも、他の業者とは違う郵パックの硬直化した宅配制度に苛立つことに。対応してくれた窓口の態度は決して悪くなかったが、先方の尋ねている意味が理解できなかったのだ。
 そんなわけで、誤って里に出てしまったクマが追い立てられて這う這うの体で逃げ帰ったような、そんな気持ちのまま、疲れてまた山に帰ってきた。脱都会どころか、脱社会、か。
 それでもここから山室の谷へ下っていったら、1枚のそれほど広くない山田だが、家族総出で稲刈りをしているところを見て、そのほのぼのとした救われるような光景と出会えたのは嬉しかった。そして切なかった。段々とああした風景も野良から消えていく。消えてしまったと言ってもいいだろう。少なくとも我身の周囲にはない。

 どうも潤滑油が切れて、異音が聞こえる中古のボロ機械のようになっている。神経がささくれ立っているのが自分でも分かる。昨日は残留牛の扱いについてつい、好人物の畜産課長に年甲斐もなく吠えまくってしまった。このままにしてあまり時間をかければ、2頭が分散してしまう可能性を怖れたからだが、そういう説明ができずに、上と下との連携の悪さを言いつのっただけで終わった。潤滑油が欲しい、HAL。
 これから鹿肉を冷凍し、昨日買ってきたセロリーやミョウガ、山芋、蕪、ニンジンなどで漬物でも作る。明日は"A Big Day" になりそうだ。本日はこの辺で。
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     ’20年「秋」(52)

2020年10月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ここ幾日かを残留牛のこと、撮影の打ち合わせや準備などで忙しく暮らしていたら、その間に季節は進み、秋は深まった。落葉が山道を埋め、コナシの木などはすっかり黄色い葉を落としてしまった枝もあり、周囲の風景は華やかさをかき消し、一段と渋さを増した。ことにきょうのような曇天では、その渋さが侘しさまでも感じさせる。これで白樺の落葉がさらに進み、落葉松の葉が黄金に染まれば、その先にはもう次の季節が待っていよう。今年の秋はその殆どを山の中で過ごし、里の様子は知らないが、いつもの年よりか呆気なさを感じている。年々年歳々、そうした思いは強まっていくに違いない。

 残留牛の下牧についてはまだ一波乱あるかも知れないが、一応の目途が付いた。餌を持っていき、呼べば決まって牛がコの字の柵の中へ来て食べるようになったら、牛の扱いの上手い職員を手配し、縄を打ち、トラックに乗せて里に下ろす。
 準備や試し撮りに長く、手間のかかった「ネイチャーピアノ」と冠した平澤真希さんの撮影も昨日で終わった。これは文化庁がからむ企画で、商業的な内容とは少しく趣を異にするようだが、この企画を統括する上でのプロデューサー役がいなかったため、進行に時間がかかった。
 終わってみれば、それでも苦労の甲斐があったというべきだろう。搬入、食当を担当した縄文大工の雨宮氏、管理人のご機嫌を損ねないように気を遣って何日も撮影を繰り返したプロカメラマンの久保氏、夜中に駆けつけた収音のベテラン平家の末裔小松氏、調律を担当した最高年齢の紳士然たる牧田氏、みんなこれを呟いている野生化の進んだ人間とは別人種のような、毒気のない実にいい人ばかりだった。忙しくて現場には殆ど行けなかったが、もちろん、楽天家のピアニスト平澤真希さんは気苦労しながらも雰囲気を盛り上げ、監督兼主演者の役を演じ切ったはずだ。
 ここで「良かったナ、みんなお疲れさん!」と言っておこう。公開されれば、また詳しく呟くことにしたい。


 この本は山奥氏、一級建築士、にも進呈する

 きょうはこれから里へ下る。東部支所に立ち寄り、ついでに少し気になることもあり、家にも帰ってみるつもりだ。郵便局へも足を運ばなければならない。牛の機嫌を窺う3時までには戻る。
 昨日は配達の中止を頼んである新聞の販売店からも問い合わせが来た。ここにいて、一番の不自由はその新聞が読めないこと。遠慮なく風呂に入りずらいこと。
 本日はこの辺で、また明日。




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     ’20年「秋」(51)

2020年10月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前4時、気温は1度。昨日の朝とたった1度違うだけでも、気のせいだろうが気分は大分違う。窓を通して見えた星に誘われてまだ暗い外に出てみたら、オリオン座が中天よりか少し西に傾いて見えていた。冬のダイヤモンドも怪しい記憶を頼りながら5個までは言えたが、おうし座のアルデバランを思い出すのに手間取る、情けない。

 牛との関係は一進一退、一喜一憂が続く。昨日は少し行くのを遅らせたら、御所平に牛の姿はなかった。やむなく引き返し、夕暮れの中再度行ってみるも、呼べど歌えど2頭の牛は現れず、仕方なく塩くれ場まで戻ってきた。ところがそこで思いがけなくっも薄暗い闇の中、西の斜面の下の方にかろうじて黒い塊を二つ確認した。車から降りて呼んでみたが、相手がそれに対してどのような反応を見せたか、見せなかったか、もうその暗さでは分からなかった。以前は他の牛に混ざって給塩には敏感に反応して見せた2頭だったが、もうその塩場を忘れてしまったのか、老牛よ。



 牛の気紛れは、人に負けない。きょう、朝ご機嫌伺いに行っても、殆ど無視に近い態度をされた。その後、畜産課の課長他2名が、例のコの字の柵を作るためにやってきて、そして作業をしているその間ずっとこちらの様子を注視してはいたものの、同じ場所から動こうとしない。腹が減っているはずだが、これも分からない牛の行動である。
 きょうは別々の内容の撮影が午前と午後にあり、その対応やら何やらで忙しい日だった。それでも、午後のいつも行く時間に完成したばかりのコの字の柵を補強に行き、牛の様子を見ていたら、どういう加減でそういう行動に出たか皆目分からないが、2頭が突然に動き出した。まさかと思いながら呼んだ。なぜか「Autumn Leaves」は歌わなかった。すると少し遠回りするようにして、こっちに向かってノソノソとやってきた。
 新しい誘引用の配合飼料を老牛の鼻先へ持っていけば、例の長い舌がこっちの手の上のそれを掬った。そのまま後ずさりしながら餌箱まで誘導し、まだコの字の外の長幼の序を守る25番には、老牛に邪魔をされないよう餌場と老牛から少し離れた草の上にばら撒いてやった。
 コの字の柵の入り口を閉じてしまえば一巻の終わりになるはずだったが、そうせずに帰ってきた。裏切るのを避けたわけではないが、配車など下との打ち合わせが必要だからだ。ともかく、一安堵、忙しい一日が終わる。本日はこの辺で。
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