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元寇(歴史覚書き)

2015-06-21 | 歴史
西暦1274年と1281年、つまり鎌倉時代に隣の大国が攻めてきたことはもちろん皆さんご存知でしょう。そして何だか暴風雨によって元軍の船が壊滅的被害を受け奇跡的な勝利を収めたことも。

ぼくは昔からとても興味を持っていたのだけど、日本史の中では格別注目されてるイメージがない、よっぽど戦国時代のほうが人気も高いしエピソードにも事欠かないような。

戦前、神国日本を強調するうってつけの材料として使われたため、戦後はその反動であまり言及されなくなったのかもしれません。

でも、冷静に考えればものすごいことですよね。だって当時のモンゴル帝国(=元)はアジアのみならずロシアや欧州の一部まで征服した超巨大国家ですよ!物量はもちろん技術的にも劣った日本が征服されなかったのはまさしく奇跡。「神国日本」と勘違いしても仕方ないくらい奇跡。

ちなみに日本にも被害はあって、対馬など小島の民は皆殺しにされたりひどい拷問を受けたりしているが、本土には全くの被害がなかったことが大勝利の所以でしょう。

順当に戦ってたら(大風などなく)軽くひねられて征服され、男は奴隷、女は慰み者、皇室は尽く惨殺。地名も変えられ現在中国の1州くらいだったでしょう。そうなれば当然日本文化など根こそぎ蹴散らされ、現代の我々も中国語を母語として、毛沢東のバッチかなんか胸につけてたりしたのかもしれません。

元寇の勝利はなにも暴風雨だけでなく、モンゴル軍本体より滅亡させられた高麗や南宋との混成軍であったこと、急拵えの舟であったため簡単に沈没した、そもそも大陸で騎馬兵を使った戦術の元が海を苦手にしていた、など様々な要因が絡んでいるようです。

しかしこの事件によってそれまで「神から授かった国」が「神に守られてる国」というふうにイデオロギーの変化が起こったそうです。それがやがては太平洋戦争へと突入する思想的支柱の一つとなろうとは。

その時の日本の総大将は鎌倉幕府の執権・北条時宗となりましょうが、二度に渡る勝利に対し皇室から恩賞を受けるでもないし英雄視されてもないのです、当時は。まあ自然現象で撃退したから具体的な戦略で勝った訳じゃないにしても、あんまりです。

天皇が筥崎神社に「敵国降伏」の額を奉納したのが勝因とか、そういうヘンテコな結論になってるところが中世ですな。
(その後江戸時代に頼山陽が「日本外史」で英雄として評価、のちに明治天皇も遅ればせながら勲位を与えている)
太平洋戦争でズタボロにされたのは不幸なことだけど、元寇で侵略されてれば元も子もなかったことを考えればこの勝利はめちゃめちゃラッキーでしょ?