もう10年以上前の話だから事項だと思って書く。
うちに来たお客さんで変な話を始めた人がいた。
なんでもこのところ親族一同に不幸が頻発しており、親類の誰かの呪いが原因だと言う。その不幸一つ一つを説明したあと
「ついに私の体にも兆候が来たんです!」
と言っておもむろに手のひらを差し出した。
?一見これといって変わったところがない普通の手のひら。
「よく見てください、真ん中あたり、女性の顔があるでしょ!」
ええ?どー見ても何もない、無理やりしわを輪郭に見立てて・・・それでも顔には見えない。もちろん呪いを動機にお墓を建てようがなんら差し障りはない、うちにとっては大事なお客さんだから
「はぁ~なるほど不思議なことがあるんですね」くらいで調子を合わせておいた。無事仕事もさせてもらった。
当時20代のぼくは変わった人だと思ったけど顧客情報だから今まで人に言わず心の中で寝かせてきた。今は違う見識を持っている。その人が信じている以上手のひらに顔があったのだ。信ずれば怨霊も在るということだ。
井澤元彦の『逆説の日本史』で日本古来から「怨霊信仰」が根強く伝承されてきたことを記してある。象徴的なのが出雲大社、これは大国主命を祭ってあり、国譲りの神と言われる大国主(オオクニヌシ)が実は大和朝廷と戦争し負けて殺されたことの論拠であるという。菅原道真を祭る太宰府天満宮のほうがわかりやすい。権力闘争で冤罪を着せられ大宰府に流された道真の怨霊を勝ち残った権力者がどれほど恐れたか。
そう、日本では父なる神を崇め奉るのではなく、怨霊という負のパワー的存在を鎮めるために莫大な資金を投入し諸々のまつりごとを行い豪華な建造物を立てた。そして現代日本人のDNAにも怨霊信仰の記憶が埋め込まれている。
怨霊信仰を「非現実的なばかげたこと」と否定しても意味がない。論点は違うところにある。科学的見地で怨霊が存在したかではない、信じている人間にはそれはリアルな現実なのだ。
長くなったが、話を元に戻すとそういうわけでぼくは件の客を否定しない。ただ、その個人の価値観を押し付けられるようだとはなはだ迷惑ではあるが。
うちに来たお客さんで変な話を始めた人がいた。
なんでもこのところ親族一同に不幸が頻発しており、親類の誰かの呪いが原因だと言う。その不幸一つ一つを説明したあと
「ついに私の体にも兆候が来たんです!」
と言っておもむろに手のひらを差し出した。
?一見これといって変わったところがない普通の手のひら。
「よく見てください、真ん中あたり、女性の顔があるでしょ!」
ええ?どー見ても何もない、無理やりしわを輪郭に見立てて・・・それでも顔には見えない。もちろん呪いを動機にお墓を建てようがなんら差し障りはない、うちにとっては大事なお客さんだから
「はぁ~なるほど不思議なことがあるんですね」くらいで調子を合わせておいた。無事仕事もさせてもらった。
当時20代のぼくは変わった人だと思ったけど顧客情報だから今まで人に言わず心の中で寝かせてきた。今は違う見識を持っている。その人が信じている以上手のひらに顔があったのだ。信ずれば怨霊も在るということだ。
井澤元彦の『逆説の日本史』で日本古来から「怨霊信仰」が根強く伝承されてきたことを記してある。象徴的なのが出雲大社、これは大国主命を祭ってあり、国譲りの神と言われる大国主(オオクニヌシ)が実は大和朝廷と戦争し負けて殺されたことの論拠であるという。菅原道真を祭る太宰府天満宮のほうがわかりやすい。権力闘争で冤罪を着せられ大宰府に流された道真の怨霊を勝ち残った権力者がどれほど恐れたか。
そう、日本では父なる神を崇め奉るのではなく、怨霊という負のパワー的存在を鎮めるために莫大な資金を投入し諸々のまつりごとを行い豪華な建造物を立てた。そして現代日本人のDNAにも怨霊信仰の記憶が埋め込まれている。
怨霊信仰を「非現実的なばかげたこと」と否定しても意味がない。論点は違うところにある。科学的見地で怨霊が存在したかではない、信じている人間にはそれはリアルな現実なのだ。
長くなったが、話を元に戻すとそういうわけでぼくは件の客を否定しない。ただ、その個人の価値観を押し付けられるようだとはなはだ迷惑ではあるが。