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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

改めまして…3度目の石巻市訪問(その1)

2011-10-04 00:15:12 | 能楽の心と癒しプロジェクト
石巻から帰って、日野市の薪能、千葉県・野田市での能楽講座、そして今日は師家の別会のお申合でした。なんともまあバタバタしています。

…がしかし。今日のお申合には観世宗家がお見えになりました。ぬえの被災地での活動について、師匠のお許しは頂いていますが、やはり流儀のご宗家に報告を致しましたところ、大変ご理解を頂き、あまつさえとっても暖かいねぎらいの言葉…激励に近いお言葉まで頂くことができました。このときも ぬえは泣きそう。本当にありがたいことだと思います。

さて、今回からはかれこれ3度目の石巻訪問について書き漏らしたことなどを綴っていこうと思います。

9月26日、「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」の初の東北地方での活動ということで、「災害等派遣従事車両証明書」もちゃんと申請して、はじめて昼間に東北道を走り、宮城県に入りました。夕方、今回 ぬえたちの活動を撮影してくれるYさんを宿泊地の石巻で下ろし、ぬえとT氏は南三陸町の岬の先にある旅館へ。到着した頃にはもう日もとっぷりと暮れ、壊滅状態の岬…泊崎の中で唯一高台にあったため被災を免れたものの、8月いっぱいまで避難所として使われ、ようやく営業を再開したという旅館に到着したのでした。

その夜。コンビニで買ったお弁当を食べて(今回の訪問の活動費はチャリティ・イベント等でご寄付頂いたお金を活用させて頂いたのですが、支出は本来は被災地への直接の支援のためであるべき。ガソリン代など活動にどうしても必要な出費は仕方ないとして、宿泊に掛かる費用は民宿や旅館の素泊まりを原則とし、食費は一切活動資金からは支出しない方針でした)、さてお風呂に入ろうと大浴場…とはいかない内風呂に行ったのですが。

T氏と湯船につかりながら今回の活動についてあれこれと話していると…突然、ガラッとガラス戸を開けて…

紋々のお兄さんが入ってきました(`´メ)  (((((((・・;)サササッ

とたんに黙りこくるT氏と ぬえ(笑)。


(-_-メ)    。。(゜_゜;)   (・・;)

(-_-メ)    。。(×_×) (・-・)

(-_-メ)    。。(∋_∈) /(.^.)\

(-_-メ)    。。(;>_<;) ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ


そうして、T氏はプイっとお風呂を出て行ってしましましたとさ。(;^_^A

残された ぬえは…まあ、普通に…いや、できるだけ気配を殺すようにしていたというのが真相か。(・_・、)

んで、湯船につかっているとお兄さんも入ってきて…


(-_-メ)  (・-・)

(-_-メ)  (^o^)

(-_-メ) (=^0^=)

(-_-メ) (=●^0^●=)


どちらからいらしたんですか? (メ-_-)   (O_o)WAO!!!


はいっっ!!! 自分は東京でありますっ  (O.O;)ゞ(敬礼はせんでよろしい)
ああ、そうなんですか。近くですね。私は埼玉です。自分、不器用ですから (-_-メ)
あ…そうなんですかぁぁ (^◇^;)ゞ(作り笑顔が美しい)
はい、ボランティアで。自分、不器用ですから (-_-メ)
ありゃ、私もそうなんですよ。σ(^◇^;)

ボランティアと言っても、私、牧師なんです。自分、不器用ですから (-_-メ)

話してみると穏やかな口調でしたが、なんと牧師さんでした。それも被災地へ足を運ばれるのはこれで十数回目(!)。今回は仮設住宅に移られた被災者の方のために生活を自立するセミナーを開いたりする目的で訪問されたとのこと。

それでもなお残る紋々との因果関係への疑問…
しかしその話題には一切触れず、会話は進行していくのであった。

ぬえも自分は不器用…もとい、自分は能楽師だと名乗り、お互いに珍しい職業だし、それを活かしての被災地支援を行っていることにお互いに興味を持ち、将来的になにか一緒に催しをすることはできないだろうか、というところまで話題は盛り上がりました…とはいえ浴場では名刺交換をすることもできず、それぞれフロントに名刺を置いておくことになりました。ん~不思議な体験でしたね~

部屋に戻り、あちこちへこの出来事をメールで知らせてみると。某方面の職業の方からお知らせを頂きました。

いわく、この方は かつて悪いことをし、そうしてその後更生された方だろう、とのことです。あ、それで紋々があったのか。意外に世間にはそういう人も多いとのこと。

翌日フロントに行ってみると名刺代わりのフライヤーが1枚。これは牧師さんの著書の宣伝でした。

その本の題名は…『極道牧師の辻説法』(!)

ご指摘は正解でした。この牧師さんは進藤龍也さんと言い、前科7犯、15年間のヤクザ経験の中で3回、7年半にも及ぶ刑務所暮らしの中で聖書と出会い、信仰の道に進まれたのだそうです。お風呂では気づきませんでしたが、小指もないのだとか…。それでも今や著書も出版、教会も設立。牧師さんとして人生をやり直そうとしている人々を支援し、被災地を支援し。世の中にはいろんな人がおられるのね~~

翌朝 またしても偶然に進藤牧師さんと会いましたので、クリスマスには何かご一緒に被災地のためにコラボして活動できれば、というところまで話が盛り上がりました。

なんだか被災地訪問初日から、面白く、興味深い人との出会いがありました。前半生はともあれ、懸命に活動されているお姿に敬服しました。この喜びもあって、朝にはT氏と一緒に堤防で鎮魂の祈りを込めた舞台…観客のいない舞台を勤めさせて頂いたのでした。

→進藤龍也さんの「罪の友 主イエス教会」サイト
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やって参りました! 3度目の石巻市訪問(その3)

2011-10-03 01:21:07 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ばたばたしているうちに帰宅しました。今回は石巻を夕方5時?頃に出発して、Tさんをご自宅まで送って、このときはまだ深夜11時30分頃…ぬえの自宅に到着したのは0時をちょいと廻ったところで、かなり好タイムで帰って参りました。ん~、ぬえだけ足かけ6日間の旅になってしまったが~

そのうえ帰った翌日には中森貫太さんからご依頼を頂いた日野市の薪能に地謡のお手伝いに伺ってきました。中森さん、楽屋でもとっても気配りがされていて…まさかの ぬえごときにお仕舞のお役までつけて頂いて…。しかもそのお仕舞が『土蜘蛛』! …すみません、ぬえはまだ能の『土蜘蛛』のシテを勤めたこともなければ、蜘蛛の巣を投げた経験もありません…。早速蜘蛛の巣を買って(昔は内弟子さんが作ったそうですが…)、おそるおそる稽古してみました。なんせ1発投げるごとにン千円かかる…。でも意外にうまく投げることができまして、2発ばかり投げたところであとはエアでお稽古。(^◇^;)

その後師匠にお稽古をつけて頂いた際に1発だけ、それから当然、石巻でもお客さまへのご挨拶のときに投げてみて…タイミングをたしかめながら…明日はこれの本番だぞ、と心臓をバクバクさせながら稽古をしました。あ~、本番はうまくいってよかった。

さてみたらしだんご総本店…いや、玉澤総本店での和菓子屋さんライブの翌日は、ぬえらが宿泊させて頂いております湊小学校での上演でした。本拠地で満を持しての上演という気分。さあて宿泊場所の音楽室から起きあがって。



こちらでは湊小学校に駐在するボランティア団体「チーム神戸」のお計らいで、茶道家の方による住人さんへの茶会と、それから曹洞宗のお坊さん方による果物のサービスとのコラボ、ということでした。ん~ぬえにもどうやってよいのか良くわかりませんが…チーム神戸のリーダー金田真須美さんは、これら住人さん方のためにサービスを展開するボランティアさんたちの交通整理の役も買って出ておられて、そのアイデアでは「お3方が住人さんへのサービスを希望するなら、いっそのこと同じ時間・同じ場所でやったらどうか。そうした事から何かが始まるかもしれないし」というスタンスでした。ん~、まだどうやっていいのかわからん。

がしかし金田さんは慣れたもので、総合司会のような役を勤められ(でもその合間には事務作業もこなされているのであった…)、この3者はうまくブレンドされて各々の仕事ができたのではないかと思います。

もちろん ぬえが装束を着たまま抹茶を運んだのではなくて。(^◇^;) お客さまは能楽ワークショップを楽しみ、そのあとにお茶がふるまわれ、再び今度は狂言のワークショップ、そうしたらお坊さん方が梨やリンゴを積んだお盆を持って住人さん方に勧められ、という感じ。作務衣姿のお坊さんが楚々として果物を勧められる姿は絵になりますね~。なんだかとっても良いものを見せて頂いた気持ちです。



伺えば、この曹洞宗のお坊さん方は、ひとつのお寺からお出ましになったのではなくて、山形や宮城から集まったのだそうです。それこそ ぬえなんかが湊小学校を訪れるよりもずっと以前から、お茶やコーヒーを運んでは住人さん方にふるまわれる活動をなさっておられたそうです。ぬえの目に触れなかったのは、ぬえのように体育館で派手に活動するのとは違って、住人さん方の居室(教室…ですね)を廻って、お一人おひとりの住人さん方にお茶を汲んで勧められておられたのだそうです。なるほど…なんとも清々しい良いお話です。宗教家としてのあるべき姿であろうし、なんと言っても「美しい」…ぬえにはそう思えました。心から。

金田さんのお話では、こうしてこの日、湊小学校もそろそろ避難所としての役割を終える頃が近づいたので、お坊さんたちは当初、住人さん方にひとつの区切りとしてお茶会を計画されたのだそうです。ところが上記のように茶道家の方も同じ日にお茶会を計画され…。そうしてお坊さん方はお茶会を譲られて、ご自分たちは水菓子のサービスに廻られた…という経緯があるようで、う~んどこまでも謙虚な姿勢に心打たれた ぬえでありました。すごいなあ…

茶道家の方もこれまた謙虚な方で、どちらかといえば今回は ぬえたち能楽師の方がこの日の計画には後から参入したはずなのに、能がメインでよいですから…私たちは影でひっそりと…とおっしゃってくださる。いえいえ~、どうぞどうぞ、そちらがメインで、と、なんだか譲り合いになってしまいました。あら~、ここは私がお支払い致しますから。あらそんな、奥様、ここは私が。あらそんな事おっしゃらないで、ここは私が。それじゃ私の気が済まないって言ってんだろ。なんだとコノヤロ。

あ、いやいや…こちらの茶道家の先生は上品な方です! ぬえも狂言ワークショップの間に紋付のままお客になってお茶を頂きましたが、心のこもったおもてなし…ああ、良いですね! お菓子やお茶を頂きながら狂言を見るのも。そうして、お茶を点てる席はボランティアのテントの前であったわけですが、野点に使う大きな傘や、津波の被害に遭った体育館は昼間でも薄暗いのですが、それを逆手にとって風情のある灯籠まで置かれて。いいなあ、心配りって。



ぬえも何となく持参した小鼓をその灯籠の横に置いてみましたが…そしたらお笛のTさんも何かの用があれば、と用意された現代の笛をその横に。ああ、さすがにお茶と能のコラボってわけにはいきませんが、これなら心はひとつか。ぬえはこの日、『羽衣』と、ちょっとこちらも心臓バクバクしながら『松風』の、それぞれ一部を上演しました。



ま、こういう感じの催しでは自動的に芸能である ぬえたち能楽の上演が結果的には目立ってしまいますが、フィナーレでは ぬえは茶道家の先生や曹洞宗のお坊さんのリーダー、そしてなにかと ぬえたちの活動にご助力頂いている「チーム神戸」の方々もみんなお呼びして一列に並んでお客さまにご挨拶! ぬえは『高砂』待謡をお客さまに謡って頂いて邪気を払い、狂言のOくんはみんなで「笑い止め」で福を招く。お茶の先生にもお坊さんにも挨拶を頂き。へへ。ぬえはここでも蜘蛛の巣を投げて、「チーム神戸」の金田さんにも投げて頂きました。

そうして…金田さんは住人さん方にこう言いました。「こんなに多くの人がこの街を気に掛けてくれています。みんな、元気で」…ぬえ、じつは泣きそうでした。ホントに涙腺ゆるい。こういうの、ダメです。

こうして…5日間(ぬえは足かけ6日~)に渡る被災地訪問は終わり、荷物を片づけて、それから湊小学校のボランティア本部にお別れの挨拶をし、東京で集めたチャリティイベントの収益や、匿名の個人の寄付を決算してその残額を、「チーム神戸」と ぬえが6月に最初に出会った石巻の民間支援団体「明友館」に分配して寄付してきました。

最後に湊小学校を出るとき…「チーム神戸」ほか今日のイベントの出演者の方々まで、体育館の出入り口に並んで手を振ってくださいました。ぬえも車の中から、その姿が見えなくなるまで いつまでもいつまでも手を振って。。ああ、こういうの、ダメ…(・_・、)



東京に帰って、舞台やこの訪問の残務整理、来週に迫った子ども能の公演の準備…と、再び2日に1っぺんしかお風呂にも入れない激務が戻ってきましたが…

ぬえの心は、もう石巻に戻っています。あの…6月に避難所を掃除している ぬえに通りがかるたびに「ありがとね」と言ってくれたおばあちゃん。8月に湊小学校で装束を着ているときに「暑いだろ?」と言ってあおいでくれたおばちゃん。今回は門脇中学校で帰り際に立ち上がって拍手してくれた多くの住人さん。湊小学校で「冥土のみやげになったよぉ…人は感謝しなければダメ。いじわるをしちゃだめなの。あなたには幸せが返ってくるわ」と言ってくれたおばあちゃん。自分の心に刺さったトゲを抜きに行った ぬえ…またまた被災者に慰められてしまいました。(・_・、)

避難所で時間に追われながら書いたこれまでのレポート…まだ ぬえの心に染みこんだ体験を書き切れていませんね…来月には ぬえ、東京でシテを舞うので作品研究もしたいのだけれど…もうちょっと続けてみたいと思います。
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