ようやく石巻市訪問のご報告の続きです。。写真もできあがってきましたので、それも併せてご報告させて頂きます。
9月28日
深夜に高速を走ってきた狂言のOさん、Kさんと合流し、湊小学校が間借りして授業を続けている住吉中学校に佐々木校長先生をお訪ねしたのは前述の通りです。ちょうど湊小学校の子どもたちは運動会の予行演習をしていました。
それから、前日に急遽決まった門脇中学校に移動し、「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」最初の公演となりました。避難者が暮らす体育館はとても綺麗でしたが、なんと今年完成したばかりなのだそうです。それが避難所として半年以上使われる事になるとは…。仮設住宅の建設も進み、すでに住人さんも少なくなっていましたが、それでもまだ行き先の決まらない住人さんがいます。ここでは狂言「寝音曲」、能「羽衣」の一部を上演しましたが、大変喜んで頂き、帰り際には拍手で見送ってくださいました。




しかし…門脇中学校での公演と最初に聞いたときは驚きました。…というのも、海辺に近い門脇(かどのわき)地区は、石巻の中でもとくに被害が甚大な場所で、その象徴といえるのが…焼け焦げた「門脇小学校」でした。6月に初めてこの学校の光景を見たときは ぬえは本当に戦慄をおぼえました。日和山の崖の上と下でここまでも違う光景。まさに生死の境はこの崖ひとつだったのです。その崖ぎわに建つ門脇小学校は、地域の避難所に指定されていたため、ここより海に近い住民さんたちは、この門脇小学校に避難したのでした。…ところがそこに津波が襲い、流されて校舎に激突した車が火災を起こし…。

ところが、その悲劇の中で門脇小学校の子どもたちはほとんど無事だったのだそうです。避難の指導が行き届いていたのか、みないち早く崖の上に避難したのだそうで、素速い決断と日頃の訓練などがうまく連携して作用したのですね。それでも子どもたちは間違いなく心に傷を負ってしまったことでしょう…その門脇小学校の子どもたちが、いま授業を受けているのが、この門脇中学校なのです。ぬえたちは子どもたちを対象に公演をしたのではなく、避難所の住人さんたちに能楽をお見せしたのですが、あのすさまじい被害から生還された方々の前に立つのは やはり緊張しました…
その後石巻駅前にある「ロマン海遊21」という建物へ。日和山を下りて駅前はすぐそこ。この建物は 正式には「石巻観光物産情報センター」と言い、石巻市の観光協会もその中に事務所を構え、土産物なども扱う、観光客のための施設です。これまたこの前日にここでの上演が決まりました。今回の旅では、避難所など直接被災された方々を勇気づける目的ももちろんありましたが、瓦礫の撤去、という意味では次第に復興も進んできた被災地ですから、広く市民の方々に能楽を見て頂くことを目的にしておりました。広く言えば石巻では市民の誰もが心に傷を持つ被害者なのです。市民みなさんに元気を出して頂くのが、大きい意味で我々のプロジェクトの目的である事を考えて、こういう場所でも上演をすることにしておりました。
こちらのお客さまは…不特定多数の市民…駅を出てバスを待ったり家路を急ぐ方々のうち、たまたまこの建物に立ち寄った方で、開始前はどうなることかと思うほど人通りが少ない駅前でしたが、いざ能楽を上演すると たちまち30人ほどの人垣ができました。能「羽衣」の一部に引き続いて袴狂言「痿痺」が演じられましたが、最後は大きな笑い声のうちに終わったようです。



観光協会さまからも好評を頂き、再訪を依頼され、まずは順調な滑り出し。…ところがあとで店員さんや観光協会の方に震災当時のお話を伺うと…どの職員さんの自宅も全壊か半壊されいるそうで…。しかも震災の影響で駅前が浸水し、みなさん何日もこの建物の中で救助を待つ有様だったそうです。食料もなく、当地の物産として売られている菓子などを食べつないだのだとか…。それでも職員さんは ぬえに言いました。「でも笑顔でお話できるんですよ。人の被害がありませんでしたからねえ」
9月28日
深夜に高速を走ってきた狂言のOさん、Kさんと合流し、湊小学校が間借りして授業を続けている住吉中学校に佐々木校長先生をお訪ねしたのは前述の通りです。ちょうど湊小学校の子どもたちは運動会の予行演習をしていました。
それから、前日に急遽決まった門脇中学校に移動し、「能楽の心と癒しを被災地へプロジェクト」最初の公演となりました。避難者が暮らす体育館はとても綺麗でしたが、なんと今年完成したばかりなのだそうです。それが避難所として半年以上使われる事になるとは…。仮設住宅の建設も進み、すでに住人さんも少なくなっていましたが、それでもまだ行き先の決まらない住人さんがいます。ここでは狂言「寝音曲」、能「羽衣」の一部を上演しましたが、大変喜んで頂き、帰り際には拍手で見送ってくださいました。




しかし…門脇中学校での公演と最初に聞いたときは驚きました。…というのも、海辺に近い門脇(かどのわき)地区は、石巻の中でもとくに被害が甚大な場所で、その象徴といえるのが…焼け焦げた「門脇小学校」でした。6月に初めてこの学校の光景を見たときは ぬえは本当に戦慄をおぼえました。日和山の崖の上と下でここまでも違う光景。まさに生死の境はこの崖ひとつだったのです。その崖ぎわに建つ門脇小学校は、地域の避難所に指定されていたため、ここより海に近い住民さんたちは、この門脇小学校に避難したのでした。…ところがそこに津波が襲い、流されて校舎に激突した車が火災を起こし…。

ところが、その悲劇の中で門脇小学校の子どもたちはほとんど無事だったのだそうです。避難の指導が行き届いていたのか、みないち早く崖の上に避難したのだそうで、素速い決断と日頃の訓練などがうまく連携して作用したのですね。それでも子どもたちは間違いなく心に傷を負ってしまったことでしょう…その門脇小学校の子どもたちが、いま授業を受けているのが、この門脇中学校なのです。ぬえたちは子どもたちを対象に公演をしたのではなく、避難所の住人さんたちに能楽をお見せしたのですが、あのすさまじい被害から生還された方々の前に立つのは やはり緊張しました…
その後石巻駅前にある「ロマン海遊21」という建物へ。日和山を下りて駅前はすぐそこ。この建物は 正式には「石巻観光物産情報センター」と言い、石巻市の観光協会もその中に事務所を構え、土産物なども扱う、観光客のための施設です。これまたこの前日にここでの上演が決まりました。今回の旅では、避難所など直接被災された方々を勇気づける目的ももちろんありましたが、瓦礫の撤去、という意味では次第に復興も進んできた被災地ですから、広く市民の方々に能楽を見て頂くことを目的にしておりました。広く言えば石巻では市民の誰もが心に傷を持つ被害者なのです。市民みなさんに元気を出して頂くのが、大きい意味で我々のプロジェクトの目的である事を考えて、こういう場所でも上演をすることにしておりました。
こちらのお客さまは…不特定多数の市民…駅を出てバスを待ったり家路を急ぐ方々のうち、たまたまこの建物に立ち寄った方で、開始前はどうなることかと思うほど人通りが少ない駅前でしたが、いざ能楽を上演すると たちまち30人ほどの人垣ができました。能「羽衣」の一部に引き続いて袴狂言「痿痺」が演じられましたが、最後は大きな笑い声のうちに終わったようです。



観光協会さまからも好評を頂き、再訪を依頼され、まずは順調な滑り出し。…ところがあとで店員さんや観光協会の方に震災当時のお話を伺うと…どの職員さんの自宅も全壊か半壊されいるそうで…。しかも震災の影響で駅前が浸水し、みなさん何日もこの建物の中で救助を待つ有様だったそうです。食料もなく、当地の物産として売られている菓子などを食べつないだのだとか…。それでも職員さんは ぬえに言いました。「でも笑顔でお話できるんですよ。人の被害がありませんでしたからねえ」