ぬえの能楽通信blog

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廬生が得たもの…『邯鄲』(その8)

2012-11-12 02:32:02 | 能楽
さて。。いよいよ「楽」ですね。ここにはできるだけ触れたくなかった(笑)。

とにかく、難しいですね。いや、「楽」もそうなのですが、これから後に続く一連の型が。。

『邯鄲』の「楽」には固有の笛の譜を持つ掛かりがあります。「ホー、ヒーー」という「楽」に特徴的な譜から始まらないのは、ひとつには「楽」の直前の地謡が謡う節が「呂音」で終わり、それを受けて「楽」が低い呂の音から始まる、という定型に『邯鄲』が当てはまらないから、という事もあるでしょう。これは能楽入門書等でそのように説明されている例がありましたし、同じく地謡が「呂音」で「楽」に渡さない『富士太鼓』にも固有の譜で吹き出す例があるので ひとつには正しい説明だと思います。

しかし ぬえには『邯鄲』の掛かりの譜が別に作曲されているのには もう一つ別の理由があると思います。
すなわち、『邯鄲』のシテ廬生には「楽」を舞い出すための心理の変化を満たす「時間」が必要なのではないかと思うのです。

「楽」は舞の中では特長的で、シテが喜びや興趣のあまり「思わず」、あるいは「つられて」舞う舞という性格が、潜在的にあるように思います。脇能の老神が舞う「楽」も御代の祝福、という大きな意味に捉えれば、この範疇に入れて良いように思います。

『邯鄲』の「楽」もこれと同じなのですが、ほかの能とちょっと違うのは、シテが「仮の」姿としての帝王である、という、この能の本質に関わる舞台設定でしょう。もちろん、「楽」の前に据えられた子方の舞を見ているシテの姿、さらにその前に置かれた、仙薬によって栄華の生活がさらに千年間延長される、というワキツレとのやりとりも、すべてシテは帝王として振る舞ってはいるのですが、突然帝位を譲られた廬生が「天にも上がる心地して」即位したその帝位に対して、常に持ち続けているであろう「疑い」…これは夢ではないか、という思い。。現に夢の中の出来事であり、眠りに就く以前に廬生は“不思議な夢を見る”と宿の女主人から聞かされているのではありますが。。は払拭されずに残っている。。いや、これはシテ廬生がどう思うか、というよりは、観客に呈示された宮殿での廬生の帝王としての生活を表現する物理的な時間が、廬生が帝位を“現実のもの”と誤解するに至るまでの心理を納得させるには どうしても不足するのではないかと思うのです。

それで、子方の舞を見ながら、シテが幻の栄華に酔いしれてゆく、ついには帝王を喜ばせる節会の機構の中にシテの心が埋没してして行ってしまう。。言うなれば、シテ自らがついに夢の一部に同化するのを許してしまう、そういった心の隙を描く場面が『邯鄲』には必要なのではないかと思うのです。そうしてそれには『鶴亀』のような「君も御感の余りにや、舞楽を奏して舞ひ給ふ」という地謡の文言では、いかにも空虚になってしまう。。ここは音楽でシテの心理を描写する方が、ずっと有利なのではないかと ぬえは思います。

ちょっとうがった考え方かもしれませんが、型の上でも上記の「ホー、ヒーー」という常の「楽」の冒頭の笛の譜が吹かれる時にシテは立拝して、すなわちシテがこれから舞うことをしっかり認識して舞い始めるという印象が強いのです。上記の「思わず」という説明とは矛盾するようですが、「思わず」というのはいつの間にか舞っている、という意味ではなくて、「つい」自分も遊興の一員として加わろうとする、ある意味積極的な動作であろうと思うのです。

『邯鄲』の譜でもやはり「ホー、ヒーー」はあるのですが、その前に2クサリの静かに奏される譜が置かれています。この曲では感興に乗るべき帝王の位の必然性自体に微妙な不安定さがつきまとっていて、シテはその不安定さの上に常にいるのではないか。そして、この2クサリはシテは自分の置かれている立場を考える時間、と ぬえは解しています。その結果シテは興趣に乗る。。この2クサリは帝王を喜ばせる節会への喜びへの俗世的な快楽に、「身の一大事をも尋ねばやと思」うような廬生の自己への反省の指向が負けた瞬間だと考えています。この2クサリのあとの「ホー、ヒーー」の譜でシテは常の通り立拝をして立ち上がって舞い始めるのであり、これ以後シテは自ら夢の中の世界を現実として肯定してしまいます。夢はさらに超現実的な世界を描いてゆき、この後に用意されている破局へ自然に導かれてゆきます。短いけれどこの2クサリが、観客もシテの心情に納得できる仕掛けなのかもしれません。

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