
気仙沼から帰って参りました!
去年の3.11の日に久しぶりに訪れて、その変貌ぶりに目を見張った気仙沼ですが、今回は前泊したこともあって時間をかけて見て回ることができました。
まずは気仙沼大橋、通称「鶴亀大橋」。本土と気仙沼大島を結ぶ2019年に開通したのですが、2021年のNHKの朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」でも「橋を渡ってきた」という主人公のセリフにあるように、気仙沼大島の住民さんにとって悲願の橋だったのです。この橋は建設している段階から ぬえも見ていまして、陸上での組み立て工事が住民に公開された時期にはその見学にも行きました。

上の画像は ぬえが大島の亀山の頂上から撮影したのですけれども、左下に小さく見えるのが本当は巨大な気仙沼大橋。その向こうの正面に平らに見えるのが南気仙沼とか内ノ脇と呼ばれる地区をを抱える地域で、気仙沼の漁業や水産加工の中心地でもありますが、近世からの埋め立て地で、周囲の高台には限られた橋を渡って行くより方法がなく、震災時には大きな被害を出してしまいました。震災後は災害危険区域として住宅などの建設には制限を加えながら、それでも魚市場をはじめ水産加工場の建物が復興されて昔と変わらぬ気仙沼の経済の中心地となりました。
この右奥が「内湾」と呼ばれるエリアで、もとの大島へのフェリー埠頭を中心に次々と新しい建物が立ち並ぶ先進的な場所となりました。

半島状の埋立地の上を、これは去年はじめて見て驚いたのですが、三陸道の大きな橋がまたいで通りました。気仙沼もまるで近未来都市のようになりましたねー! 今回ようやくこの橋も渡ってみることができました!
さて ぬえは午前中に今回の会場の「すがとよ酒店」さんに楽屋入り、ついで昨晩ちょっと挨拶できた「えほん楽団」のクラリネットアンサンブルのみなさん、いつもお世話になっていて今回のコーディネートをしてくださった住民ボランティアの村上充さんも到着していろいろ情報交換を兼ねて、ご近所の仮設商店街時代からお世話になっている「団平」さんで昼食。
寺井さんも到着して音響機器の設置があり、やがて14:46の発災時のサイレン、黙祷のあとに上演となりました。

黙祷に先だって地元・気仙沼鹿折の浄念寺さんによる十三回忌の法要があり、黙祷のあと「えほん楽団」さんのクラリネットアンサンブルの奉納演奏。

撮影:米倉三喜子さん
「えほん楽団」さんはなんと九州・福岡を本拠地として被災地の復興へ音楽を通じて貢献する団体で、石巻や気仙沼で何度も支援活動をされているとか。思えばその間に九州では災害が相次ぎ、ぬえも地震被害が起こった前後に熊本を訪れて様子は見ておりましたから、九州と東北と、両方に対応されるのは大変なことでしょう。
ぬえたちプロジェクトは前述の通り能「松風」のダイジェスト版を奉納上演させて頂きました。13回忌を迎えて、ようやくこの曲も普通に演じることができるようになったと思います。思えば当地で140回以上も上演させて頂いておりますが、能ではよく出てくる泣く演技。。「シオリ」の型を被災地でしたのはこれでやっと数回目。

撮影:米倉三喜子さん
よく能は「鎮魂の芸能」などとも言われたりしますが、ぬえ自身にはそんな大それた役割が果たせる自信もなく、この12年、もっぱら震災のあともこの世に残された住民さんの幸せを祈って舞うことにしておりますから、選ぶ曲も当然のように希望に満ちた曲ばかりを選んできました。
が、これまた前述のように「愛する人を待ち続ける」その姿もまた純粋で美しい、と賛美するつもりで「松風」を選びましたが、この曲が違和感なく受け入れられたことがまた、復興のひとつの証しなのかもしれません。
去年の3.11の日に久しぶりに訪れて、その変貌ぶりに目を見張った気仙沼ですが、今回は前泊したこともあって時間をかけて見て回ることができました。
まずは気仙沼大橋、通称「鶴亀大橋」。本土と気仙沼大島を結ぶ2019年に開通したのですが、2021年のNHKの朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」でも「橋を渡ってきた」という主人公のセリフにあるように、気仙沼大島の住民さんにとって悲願の橋だったのです。この橋は建設している段階から ぬえも見ていまして、陸上での組み立て工事が住民に公開された時期にはその見学にも行きました。

上の画像は ぬえが大島の亀山の頂上から撮影したのですけれども、左下に小さく見えるのが本当は巨大な気仙沼大橋。その向こうの正面に平らに見えるのが南気仙沼とか内ノ脇と呼ばれる地区をを抱える地域で、気仙沼の漁業や水産加工の中心地でもありますが、近世からの埋め立て地で、周囲の高台には限られた橋を渡って行くより方法がなく、震災時には大きな被害を出してしまいました。震災後は災害危険区域として住宅などの建設には制限を加えながら、それでも魚市場をはじめ水産加工場の建物が復興されて昔と変わらぬ気仙沼の経済の中心地となりました。
この右奥が「内湾」と呼ばれるエリアで、もとの大島へのフェリー埠頭を中心に次々と新しい建物が立ち並ぶ先進的な場所となりました。

半島状の埋立地の上を、これは去年はじめて見て驚いたのですが、三陸道の大きな橋がまたいで通りました。気仙沼もまるで近未来都市のようになりましたねー! 今回ようやくこの橋も渡ってみることができました!
さて ぬえは午前中に今回の会場の「すがとよ酒店」さんに楽屋入り、ついで昨晩ちょっと挨拶できた「えほん楽団」のクラリネットアンサンブルのみなさん、いつもお世話になっていて今回のコーディネートをしてくださった住民ボランティアの村上充さんも到着していろいろ情報交換を兼ねて、ご近所の仮設商店街時代からお世話になっている「団平」さんで昼食。
寺井さんも到着して音響機器の設置があり、やがて14:46の発災時のサイレン、黙祷のあとに上演となりました。

黙祷に先だって地元・気仙沼鹿折の浄念寺さんによる十三回忌の法要があり、黙祷のあと「えほん楽団」さんのクラリネットアンサンブルの奉納演奏。

撮影:米倉三喜子さん
「えほん楽団」さんはなんと九州・福岡を本拠地として被災地の復興へ音楽を通じて貢献する団体で、石巻や気仙沼で何度も支援活動をされているとか。思えばその間に九州では災害が相次ぎ、ぬえも地震被害が起こった前後に熊本を訪れて様子は見ておりましたから、九州と東北と、両方に対応されるのは大変なことでしょう。
ぬえたちプロジェクトは前述の通り能「松風」のダイジェスト版を奉納上演させて頂きました。13回忌を迎えて、ようやくこの曲も普通に演じることができるようになったと思います。思えば当地で140回以上も上演させて頂いておりますが、能ではよく出てくる泣く演技。。「シオリ」の型を被災地でしたのはこれでやっと数回目。

撮影:米倉三喜子さん
よく能は「鎮魂の芸能」などとも言われたりしますが、ぬえ自身にはそんな大それた役割が果たせる自信もなく、この12年、もっぱら震災のあともこの世に残された住民さんの幸せを祈って舞うことにしておりますから、選ぶ曲も当然のように希望に満ちた曲ばかりを選んできました。
が、これまた前述のように「愛する人を待ち続ける」その姿もまた純粋で美しい、と賛美するつもりで「松風」を選びましたが、この曲が違和感なく受け入れられたことがまた、復興のひとつの証しなのかもしれません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます