ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

義経への限りないオマージュ…『屋島』(その5)

2023-04-07 02:20:57 | 能楽
シテの合戦の語りはツレを巻き込んで屋島合戦全体の話に広がってゆきます。

ツレ「その時平家の方よりも。言葉戦ひ事終り。兵船一艘漕ぎ寄せて。波打際に下り立つて。陸の敵を待ちかけしに。
シテ「源氏の方にも続く兵五十騎ばかり。中にも三保の谷の四郎と名のつて。真先駆けて見えし所に。
ツレ「平家の方にも悪十兵衛景清と名のり。三保の谷を目懸け戦ひしに。
シテ詞「かの三保の谷はその時に。太刀打ち折つて力なく。すこし汀に引き退きしに。
ツレ「景清追つかけ三保の谷が。
シテ詞「着たる兜の錏をつかんで。
ツレ「うしろへ引けば三保の谷も。
シテ「身を遁れんと前へ引く。
ツレ「互ひにえいやと。シテ「引く力に。


このツレが何者かは判然としません。義経に付き従った郎等の一人なのかもしれませんし、考えようによっては義経自身の分身のような物かもしれませんね。ともあれ「その時平家の方よりも。。」からの一連の謡は溌溂と謡うところで、ツレとしてはかなり目立つ良い役でしょう。若武者然として謡う姿はお客さまからも印象的に見えると思います。

さてここに描かれるのは「景清の錣(しころ)引き」の場面です。屋島合戦では三つの大きな事件があって、それが有名な那須与一による「扇の的」、義経の「弓流し」、そしてこの「錣引き」です。が、別格に有名な「扇の的」以外の二つは 今となっては能の世界の外ではあまり知られていないかも。。

そもそも屋島合戦はこのような有名なエピソードがありながら、前述のように義経の奇襲に驚いた平家が海上に逃げ出し、その後義経軍が少数だと判明した平家の一部の軍勢が立ち戻って戦ったので、実際には両軍が激突した合戦とはかなり様相が違い、いわば戦闘は両軍の一部が衝突した程度といえると思います。しかし軍記物語の世界。。さらに言えば能の世界では屋島合戦は義経の華々しい栄光の場面として強調されていて、これが後世この合戦が 一の谷や壇ノ浦に匹敵する新しい地位を得る事になったと感じます。

実際のところ能では「弓流し」はこの「屋島」の後半で詳しく語られるほか、さらに囃子の難しい間に合わせて弓を取り落とし、また拾い上げる具体的な型を伴う「弓流」「素働」という難易度の高い二つの小書が作られて、このエピソードが特に強調されています。

そして「錣引き」は「屋島」もさることながら、能「景清」にさらに詳しく語られ、それは命のやり取りをする戦場に臨みながら対戦した相手の力量を互いに賛美する男同士の美学が描かれていて感動的。しかもそれは平家の残党として頼朝の命を狙いながら果たせず、誅されることもなく流罪となった恥から自らの両眼をえぐり潰したという壮絶な武者の姿であり、そこに世を捨てたと思い過ごす彼を慕って現れた、かつてみずから捨てた娘との邂逅という悲しい物語の中での物語で、この重厚な能はまさに能の中でも屈指の名作と数えられています。

しかしながら「平家物語」に描かれる「錣引き」の場面は、どうもあまり感動的ではありません。

「平家物語」によればこの「錣引き」のエピソードは「扇の的」のあとに位置していて、渚に上がった三騎の平家に対して源氏からは五騎が対抗して出陣した小戦闘でのこととなっています。まず真っ先に進んだ平家の「美尾屋十郎」が馬を射られて飛んで下り、太刀を抜いて源氏に挑んだところ、源氏からは大長刀を打ち振って男がそれに対抗。しかし武器の威力の差に不利を悟った美尾屋は「掻き伏いて逃げ」、これを源氏の男は長刀を掻い込んで右手を出して追い、ついに美尾屋の兜の錣をつかみました。美尾屋もこらえて力勝負になりましたがやがて錣は鉢付けの板からふっつと切れて、美尾屋は味方の馬の影に逃げ込んで息をつき、源氏の男は美尾屋の錣を高々と上げて「遠からん者は音にも聞け、近からん者は目にも見給へ。これこそ京童部の喚ぶなる上総悪七兵衛景清よ」と名乗って退いた、と。

「錣」は兜の後ろ側、首の後ろを保護するスカート状の大きな部品で、鉢付の板とは鉢。。すなわち頭頂部を保護するヘルメット部分と錣との境目の部品です。

しかしこの「平家物語」の記述は、能「景清」に見える「えいやと引くほどに錣は切れて此方に留れば主は先へ逃げのびぬ。遥かに隔てゝ立ち帰り さるにても汝おそろしや腕の強きと言ひければ。景清は三保の谷が頸の骨こそ強けれと笑ひて。左右へのきにける」という素晴らしい描写とあまりにかけ離れています。「平家物語」も軍記物語としての虚構に満ちて史実に忠実とは言えないのですけれども、時代を経るに従って、とくに芸能での表現として弁慶と同じように美化されていった景清像の変遷が見えて面白いと思います。

地謡「鉢付の板より。引きちぎつて。左右へくわつとぞ退きにけるこれを御覧じて判官。御馬を汀に打ち寄せ給へば。佐藤継信能登殿の矢先にかかつて馬より下に。どうと落つれば。船には菊王も討たれければ。共に哀れと思しけるか船は沖へ陸は陣に。相引に引く汐の後は鬨の声絶えて。磯の波松風ばかりの音淋しくぞなりにける。

ここでシテは「引きちぎって」と前に組み合わせた両手を引き離す型をしますが、これは単純な型ながら本当に力を込めて型をしないと文句の通りには見えないところですね。左右を見渡して両軍が引き離れたのを表すとシテは床几から立ち上がり、佐藤継信が落馬するところを足拍子で表し、やがてその激しさも今となっては波の音、松風の音と聞こえるばかり、と遠くを見つめて静かにワキの前に戻って着座します。

「錣引き」の場面は能「屋島」では「景清」ほどの臨場感は持たず、「かの三保谷はその時に太刀打ち折って力なく」という部分を除けば、大筋で「平家物語」に忠実と言える内容で、このあたり「錣引き」のエピソードが能の中で「景清」に向けて拡大して行った過程がほの見えるようで興味深いところです。

がしかし「これを御覧じて判官。。」からは屋島合戦のエピソードとしては「平家物語」とはかなり順番が変えられています。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 義経への限りないオマージュ…... | トップ | 義経への限りないオマージュ…... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿