やがて日も暮れ、ともしびプロジェクトさんによりキャンドルにも火が灯されて、会場はとってもロマンチックな雰囲気に。こうして地福寺の片山住職さまを中心にした「送り火の集い」は始まりました。

もうこのブログを書いているいまは寒いけど。。これは8月16日のお盆の終わりのことで、東北とはいえ暑いさなかの催しでしたが、それでも今回の活動の中では最も美の空間が現出されるはず。そうしてこの美しさに しばし暑さを忘れました。
当初は入れることに異論も出た御子柴さんのキーボードでしたが、ぬえがゴリ押しして参加して頂いて、これは大正解だったと思います。どこまでもお盆の法要の集いなのですけれども、それは同時に故人を偲ぶ。。面影に思いを馳せるために参集する機会でありたい。
この3月。。震災から2年目の日の直前にプロジェクトでは気仙沼の「リアス・アーク美術館」を拝借して「星と能楽の夕べ」という、擬似的なプラネタリウムを出現させ、その前でピアノ演奏と能の上演を行う公演を行いました。これはナマイキながらプロジェクトが掲げる「文化の復興」という目標へと続く企画のひとつだったのですが、ぬえはこの場にもぜひとも片山さんをお招きしたいと考えました。これにも出演者からは少々異論も出たのですが、結果的にやっぱり ぬえがゴリ押し。(^_^;) たしかにプラネタリウムやピアノの上演とは僧侶である片山さんの出演は一見似合わないようにも思えましたが。。しかし震災の日の直前の公演でもあり、片山さんには上演の直前に黙祷をして頂くことにしました。これがじっと不動のままの片山さんの黙祷により、予想以上の大きな効果を生み、単なるロマンチックなイベントではなく、あくまで震災を思い、復興を見据えて、この二つがバランスを取った催しとなったと思います。

今回の地福寺さんの「送り火の集い」は、この「星と能楽の夕べ」のまるっきり逆の形式で行われた催しになりましたね。キーボードの演奏により、まずはとってもロマンチックな雰囲気に。。御子柴さんには、今回は申し訳ないが影で弾いて頂くことにしていましたが、キャンドルのゆらめく ともしびだけが目に入り、そこに音楽が響く。。なかなか良いアイデアだったのではないかと思います。
やがて笛の独奏に引かれて『羽衣』のシテが登場。プロジェクトが先日、石巻の秋田屋さんで催した「能とピアノの夕べ」公演では、持参のLEDキャンドルを灯しましたが、今回は本物の火がゆらめいています。



。。ところが、昼のうちによく石庭の様子は見ておいたのですが、やっぱり暗くなると、自分が舞う場所がよくわからない。。しかも驚いたことに、長絹を着ているのに、扇を持つ手にキャンドルの熱が感じられるのですよね~(!)。これには焦りました。舞うには決して広いとはいえない石庭のスペースで、築山を廻るようにびっしりとキャンドルは置かれていて。。キャンドルを築山をよけて舞うための目印にしようと考えていた ぬえでしたが、キャンドルの熱を感じることで、まさか自分がいつの間にか築山に寄っていて、キャンドルの火が装束に燃え移るのではないか? と不安で不安で。。 後日ビデオを見てみたら、どのキャンドルからも程良く距離を取ってうまく舞っていましたが、この時は内心ではびくびくしながら舞っておりました。
能が終わると片山さんの法要。ぬえは着替えをしていたのであまり良くは拝見していませんでしたが、やはり法要が締めくくり、というのが「送り火の集い」の趣意だと思います。当初は片山さんから能をフィナーレに、というご提案も頂いたのですが、それでは やはりイベントに近いものになってしまう。。ぬえはこう考えて、ぬえたちを尊重してくださるお気持ちは大変ありがたく思いますが、やはり法要を中心に、我々はその前座、というような気持ちで、そのような順番にして頂くようお願いしました。


終演後には片山さんから食事(とビールも!)の提供を頂いて本堂で歓談させて頂きました。神戸から植樹をしたりブラスバンドの演奏をしに来ている中学校の生徒さんのこと、それから震災の当時のこと。。「送り火の集い」には、昼の鹿折中学校仮設で活動をご一緒した起業家の方もお出まし頂きましたので、この歓談にも参加頂き、片山さんとも語り合って とても有意義な時間だったと思います。
やがて地福寺さんを辞して、近くに再開されたとボラ仲間から聞いた旅館「沖見屋」さんに宿泊しました。
(撮影:前島吉裕)

もうこのブログを書いているいまは寒いけど。。これは8月16日のお盆の終わりのことで、東北とはいえ暑いさなかの催しでしたが、それでも今回の活動の中では最も美の空間が現出されるはず。そうしてこの美しさに しばし暑さを忘れました。
当初は入れることに異論も出た御子柴さんのキーボードでしたが、ぬえがゴリ押しして参加して頂いて、これは大正解だったと思います。どこまでもお盆の法要の集いなのですけれども、それは同時に故人を偲ぶ。。面影に思いを馳せるために参集する機会でありたい。
この3月。。震災から2年目の日の直前にプロジェクトでは気仙沼の「リアス・アーク美術館」を拝借して「星と能楽の夕べ」という、擬似的なプラネタリウムを出現させ、その前でピアノ演奏と能の上演を行う公演を行いました。これはナマイキながらプロジェクトが掲げる「文化の復興」という目標へと続く企画のひとつだったのですが、ぬえはこの場にもぜひとも片山さんをお招きしたいと考えました。これにも出演者からは少々異論も出たのですが、結果的にやっぱり ぬえがゴリ押し。(^_^;) たしかにプラネタリウムやピアノの上演とは僧侶である片山さんの出演は一見似合わないようにも思えましたが。。しかし震災の日の直前の公演でもあり、片山さんには上演の直前に黙祷をして頂くことにしました。これがじっと不動のままの片山さんの黙祷により、予想以上の大きな効果を生み、単なるロマンチックなイベントではなく、あくまで震災を思い、復興を見据えて、この二つがバランスを取った催しとなったと思います。

今回の地福寺さんの「送り火の集い」は、この「星と能楽の夕べ」のまるっきり逆の形式で行われた催しになりましたね。キーボードの演奏により、まずはとってもロマンチックな雰囲気に。。御子柴さんには、今回は申し訳ないが影で弾いて頂くことにしていましたが、キャンドルのゆらめく ともしびだけが目に入り、そこに音楽が響く。。なかなか良いアイデアだったのではないかと思います。
やがて笛の独奏に引かれて『羽衣』のシテが登場。プロジェクトが先日、石巻の秋田屋さんで催した「能とピアノの夕べ」公演では、持参のLEDキャンドルを灯しましたが、今回は本物の火がゆらめいています。



。。ところが、昼のうちによく石庭の様子は見ておいたのですが、やっぱり暗くなると、自分が舞う場所がよくわからない。。しかも驚いたことに、長絹を着ているのに、扇を持つ手にキャンドルの熱が感じられるのですよね~(!)。これには焦りました。舞うには決して広いとはいえない石庭のスペースで、築山を廻るようにびっしりとキャンドルは置かれていて。。キャンドルを築山をよけて舞うための目印にしようと考えていた ぬえでしたが、キャンドルの熱を感じることで、まさか自分がいつの間にか築山に寄っていて、キャンドルの火が装束に燃え移るのではないか? と不安で不安で。。 後日ビデオを見てみたら、どのキャンドルからも程良く距離を取ってうまく舞っていましたが、この時は内心ではびくびくしながら舞っておりました。
能が終わると片山さんの法要。ぬえは着替えをしていたのであまり良くは拝見していませんでしたが、やはり法要が締めくくり、というのが「送り火の集い」の趣意だと思います。当初は片山さんから能をフィナーレに、というご提案も頂いたのですが、それでは やはりイベントに近いものになってしまう。。ぬえはこう考えて、ぬえたちを尊重してくださるお気持ちは大変ありがたく思いますが、やはり法要を中心に、我々はその前座、というような気持ちで、そのような順番にして頂くようお願いしました。


終演後には片山さんから食事(とビールも!)の提供を頂いて本堂で歓談させて頂きました。神戸から植樹をしたりブラスバンドの演奏をしに来ている中学校の生徒さんのこと、それから震災の当時のこと。。「送り火の集い」には、昼の鹿折中学校仮設で活動をご一緒した起業家の方もお出まし頂きましたので、この歓談にも参加頂き、片山さんとも語り合って とても有意義な時間だったと思います。
やがて地福寺さんを辞して、近くに再開されたとボラ仲間から聞いた旅館「沖見屋」さんに宿泊しました。
(撮影:前島吉裕)