先週、無事に『融』を終えることができました。偶然が重なって、公演日が中秋の名月その日に重なり、しかもそれは新暦によるズレもなく満月の日、台風一過も重なって見事な晴天にも恵まれました。この日の暦によれば月の出が17:22、日没が17:43で、公演終了が17:30頃でしたから、能楽堂から外へ出たお客さまは帰り道でちょうど中秋の名月をご覧になったことと思います。
併せて、この2年6ヶ月活動を続けている東北からも…気仙沼からも石巻からもお客さまがお見えになってくださいました。その上さらに、その石巻からのお客さまが、なんとこの公演当日がお誕生日だったという。
こんな偶然が重なった催しとなりましたが、ぬえとしても何年かぶりに楽しい。。と思いながら舞うことができた、収穫の多い出来となりました。微妙にセリフ3~4文字ほど間違えたのと、あとで「ちょっと元気良すぎじゃない~?」というお叱りの言葉を頂いたのですけれども、遊舞の曲ということで見た目の面白さが必要な曲と考え、早舞も「替ノ型」で勤め、汐汲みの例の場面も舞台の先に桶を下ろして汲み上げる替エの型の方にて勤めさせて頂きました。
ところでこの『融』という能を稽古してきて、いろいろ考えるところがあったのですが、とくに感じたのは、この曲は世阿弥の作品のうちでは比較的早く書かれたものではないか、というものです。
どなたか研究者が『融』の後シテの出について「修羅能の特徴を持っている」と書かれたのを読んだことがありますが、能楽師がおそらく全員が『融』の後シテに持っている印象は、修羅能ではなくて同じく世阿弥作が定説となっている『高砂』との相似でしょう。
『融』の後シテの登場場面のシテ謡と地謡のバランスや比率、組み立てられ方は『高砂』そのままですし、それに従って囃子の手組も似た構成になっています。舞の掛かり方こそ違え、これは『融』が遊舞の舞であることを強調するため、脇能である『高砂』とは意識的に違えて作られた作曲と思えますし、舞上げのあとのロンギの形式のキリは、脇能に類例は多いものの、やはり『高砂』との相似は否めますまい。それを以て言うのは傍証としては弱いかもしれませんが、やはり『融』は『高砂』と近い時期に書かれた能、と考えたいと ぬえは思っています。
もうこれ以上は妄想の領域になってしまいますが、文体の平明さ、主人公の心理の追求の深さ、など、世阿弥作とされているそれぞれの作品には少しく特徴があって、仮にその文章の修辞の深さや主人公の心理を描く筆致の深さ、人間観察の鋭さの違いを、そのまま世阿弥という人物が歳とともに書き重ねてきた作品に現れた人間的な成長がそのまま投影されているとしたならば、『融』や『高砂』は比較的早い段階で書かれた曲であり、これより以前に世阿弥作品の中では文章が最も平明な『敦盛』が先行し、これらの能に続いて『井筒』『鵺』(この2曲はもう少し早い時期の作品かも)や『松風』、『忠度』などが続き、もう少し遅れて『西行桜』などが成立し、さらにその後に世阿弥の晩年に近い作と考えられている『砧』があるのではないかという印象を持っているのです。
それでは世阿弥が何歳頃に『融』を作ったか、ですが。。もちろん「何歳のとき」なんて具体的なことはわかるはずもないのですが、ぬえは実は相当若年の時の作品なのではないかと思っています。
併せて、この2年6ヶ月活動を続けている東北からも…気仙沼からも石巻からもお客さまがお見えになってくださいました。その上さらに、その石巻からのお客さまが、なんとこの公演当日がお誕生日だったという。
こんな偶然が重なった催しとなりましたが、ぬえとしても何年かぶりに楽しい。。と思いながら舞うことができた、収穫の多い出来となりました。微妙にセリフ3~4文字ほど間違えたのと、あとで「ちょっと元気良すぎじゃない~?」というお叱りの言葉を頂いたのですけれども、遊舞の曲ということで見た目の面白さが必要な曲と考え、早舞も「替ノ型」で勤め、汐汲みの例の場面も舞台の先に桶を下ろして汲み上げる替エの型の方にて勤めさせて頂きました。
ところでこの『融』という能を稽古してきて、いろいろ考えるところがあったのですが、とくに感じたのは、この曲は世阿弥の作品のうちでは比較的早く書かれたものではないか、というものです。
どなたか研究者が『融』の後シテの出について「修羅能の特徴を持っている」と書かれたのを読んだことがありますが、能楽師がおそらく全員が『融』の後シテに持っている印象は、修羅能ではなくて同じく世阿弥作が定説となっている『高砂』との相似でしょう。
『融』の後シテの登場場面のシテ謡と地謡のバランスや比率、組み立てられ方は『高砂』そのままですし、それに従って囃子の手組も似た構成になっています。舞の掛かり方こそ違え、これは『融』が遊舞の舞であることを強調するため、脇能である『高砂』とは意識的に違えて作られた作曲と思えますし、舞上げのあとのロンギの形式のキリは、脇能に類例は多いものの、やはり『高砂』との相似は否めますまい。それを以て言うのは傍証としては弱いかもしれませんが、やはり『融』は『高砂』と近い時期に書かれた能、と考えたいと ぬえは思っています。
もうこれ以上は妄想の領域になってしまいますが、文体の平明さ、主人公の心理の追求の深さ、など、世阿弥作とされているそれぞれの作品には少しく特徴があって、仮にその文章の修辞の深さや主人公の心理を描く筆致の深さ、人間観察の鋭さの違いを、そのまま世阿弥という人物が歳とともに書き重ねてきた作品に現れた人間的な成長がそのまま投影されているとしたならば、『融』や『高砂』は比較的早い段階で書かれた曲であり、これより以前に世阿弥作品の中では文章が最も平明な『敦盛』が先行し、これらの能に続いて『井筒』『鵺』(この2曲はもう少し早い時期の作品かも)や『松風』、『忠度』などが続き、もう少し遅れて『西行桜』などが成立し、さらにその後に世阿弥の晩年に近い作と考えられている『砧』があるのではないかという印象を持っているのです。
それでは世阿弥が何歳頃に『融』を作ったか、ですが。。もちろん「何歳のとき」なんて具体的なことはわかるはずもないのですが、ぬえは実は相当若年の時の作品なのではないかと思っています。