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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

浦田保利先生がご逝去。。

2009-04-24 14:08:04 | 能楽
突然の訃報でした。京都の観世流シテ方、浦田保利先生が亡くなったと。。

ああ、悔やんでも悔やみきれません。ぬえは心より尊敬しておりましたので。。まさに京都の至宝でした。

思い起こせば、ぬえが浦田先生の能を拝見したのは、なんと海外公演でだったのです。もうずいぶん以前になりますが、ぬえの師匠が団長の海外公演に2度、浦田先生が招かれてご一緒しまして、ドイツでの公演で浦田先生が『隅田川』を勤められた折に ぬえも地謡でその能に参加させて頂きました。

この『隅田川』に ぬえは大変な衝撃を受けてしまって。。

それは、言葉は悪いけれど、ドロドロな『隅田川』でした。でも浦田先生の狂女は、本当に我が子のことしか目に入らない、まさしく狂女で、何というか。。彼女が我が子を探すその邪魔だてをしようものなら。。おそらく彼女はその相手を殺してしまうであろうという。。激烈な謡であるわけではないのですが、そういう密かな決意に満ちた能でした。ああ、能はキレイごとじゃいけないし、それでは済まされないのだな。。と、ぬえは魂を揺さぶられる思いでした。その『隅田川』は子方を出さない演出だったのですが、あの芸の前には子方は不要だったかもしれない。それほど人間のドラマを苦しいほど突きつけられた舞台でした。

その折 ぬえはホテルで浦田先生のご門下の大先輩と公演中ずっと同室で、この『隅田川』の素晴らしさについて夜遅くまで、この先輩をつかまえて熱弁をふるっていました。そんなご縁から、ぬえはこの先輩の催しに呼んで頂いたりしましたし、また この先輩は非常に人間性がすぐれた方で、ぬえは自分が海外の大学などで講義や公演を行う機会には、この先輩に同行をお願いしたりもしました。ぬえからは親子ほども歳が違う大先輩なのですが、快く協力してくださり、また ぬえを立ててくださって、大学からもとても評判がよかったですね。よいご縁に巡り逢ったと思います。

さて今からは数年以上前になると思いますが、浦田先生は京都で秘曲『関寺小町』を勤められることになりました。これには ぬえは居ても立ってもいられず、新幹線のチケットを買って京都に拝見に伺うことにしました。秋の行楽シーズンということで宿はどこも満室。。ついに小さな旅館のフトン部屋のようなところにようやく泊まることができ、この舞台に出演することになっていた ぬえの師匠にお願いしまして、ムリヤリその鞄持ちといういうことにして頂いて楽屋に潜り込むことができました。

で、この『関寺小町』が、これまた強い信念をもった芯の太い小町像で、素晴らしい舞台でした。あの杖を強く一つ突かれた、あの音はまだ ぬえの脳裏に残っております。。見所でこの『関寺小町』を立ち見した ぬえが終演後に急いで楽屋に戻ると。。やがて汗を拭きふき、胴着のままで浦田先生が装束の間から戻られました。ぬえが感動のうるんだ瞳で見つめながら(笑)、「あ、、ありがとうございましたっ」とワケの分からないお礼を申し上げると。。浦田先生は楽屋にあった菓子をさして ぬえに「お、ぬえ君、この菓子食べたか? これ、うまいんやで」と。。

ああ、もうダメです。秘曲を勤める気負いも、誇らしげな達成感も、なんにもありません。ニコニコと、いつもの浦田先生がそこにはおられるだけなのでした。やっぱりそうだった。ぬえが舞台で見たものは 浦田先生という人間そのものだったのですね。。

その後何年かして、浦田先生は大病をされてずいぶんお痩せになりました。毎年一度ほどしか ぬえは浦田先生にお目に掛かる機会がないのですが、体力もすこし落ちられたご様子で心配しておりましたが。。結局、ぬえは去年の秋に岐阜でお舞台をご一緒させて頂いたのがお目に掛かる最後となってしまいました。。

告別式も決まり、ぬえはお弟子さんの稽古日を変更して京都に参り、参列させて頂くことに致しました。ぬえにとって尊敬する先生。感謝の申し上げようもありません。どうぞご冥福をお祈り申し上げます。

                                   合掌