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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

殺生石/白頭 ~怪物は老体でもやっぱり元気(その3)

2009-04-05 08:49:47 | 能楽
ともあれ「次第」が演奏され、やがてワキと間狂言が登場します。

ワキは玄翁道人で、装束は角帽子(沙門)、小格子厚板、白大口、水衣、掛絡、緞子腰帯、墨絵扇、数珠、と僧としてはやや厳めしく強い感じ。間狂言は能力で、能力頭巾、無地熨斗目、縷水衣、括り袴、脚絆、扇の出で立ちですが、払子という、煩悩を払うために打ち振る道具に見立てた小道具を肩に担いで登場します。

この払子はもちろん玄翁の持ち物を能力が運んでいるわけで、長い竹の棒にS字型に曲げた竹を組み合わせ、そのうえに白垂を結びつけてあります。達磨像などに描かれ、現在でもよく見かける片手で扱う払子よりも大型で、これにさらに団扇を結びつけたものが『放下僧』でも使われます。放下僧ではシテが「浮雲」ツレが「流水」を名乗っていますから、この払子にもその寓意が込められているのでしょう。

やがてワキは舞台に入り常座に立ち、「次第」で登場した場合の決マリとして囃子方の方へ斜め後ろに向いて謡い出します。このとき間狂言は舞台に入らず、一之松のあたりに控えます。

ワキ「心をさそふ雲水の。心をさそふ雲水の。浮世の旅に出でうよ。

これまた「次第」の常として、ここで地謡がワキが謡った文句を低吟し、そのあいだにワキは正面に向き、名宣リを謡います。

ワキ「これは源翁といへる道人なり。我知識の床を立ち去らず。一大事を歎き一見所を開き。終に拂子を打ち振つて世上に眼をさらす。此の程は奥州に候ひしが。都に上り冬夏をも結ばばやと思ひ侯。

ここでワキが謡うのはかなり大仰な内容ですね。求道者としての強靱な精神力といったものを感じさせ、それが後に登場する、これまた強力な怪物であるシテを改心させるための前提ともなるわけで、これはこれで台本として立派な伏線になっているのだと思います。

ワキ「雲水の。身はいづくとも定めなき。身はいづくとも定めなき。浮世の旅に迷ひゆく。心の奥を白河の。結びこめたる下野や。那須野の原に着きにけり。那須野の原に着きにけり。

続いて謡われる「道行」と呼ばれる紀行文で、ワキは陸奥から都に上るさまを表します。「道行」の中でワキは斜めに向き二三足出、また振り返って囃子方の方へ二三足出て、このときに「那須野の原に着きにけり」と謡うことで、旅行の途次、下野の那須野の原に到着したことになります。

ここでワキが「急ぎ候ほどに、那須野の原に着きて候」と、「着きゼリフ」を謡って、あらためて那須野への到着を宣言しますが、おワキの流儀によってはこの文句がなく、代わりに狂言がそれを言う場合もあるようです。

狂言「御急ぎ候ほどに。那須野の原に御着きにて候。ありゃありゃ。落つるは落つるは。

常の『殺生石』ではこの文句、大小前に置かれた石の作物に向かって謡うようです。文意に即しているわけで、「白頭」の小書によって作物が出されない場合は、当然それとは違う方角に向かって謡うことになるのでしょう。シテ方としては作物を出さない場合は幕を石に見立てているのですが、お狂言も幕に向かって謡う場合や、それに拘泥せず見所の方へ向かって謡うなど、お流儀やお家によってそれぞれ定めはあると思います。

いずれにしても急迫したこの狂言のセリフは、いかにもこれから起こる事件を予想させるもので、効果的だと思います。