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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

殺生石/白頭 ~怪物は老体でもやっぱり元気(その9)

2009-04-22 03:40:35 | 能楽
橋掛りで一度足を止めたシテは、再び歩み行きます。

ワキ「さてこの石は何故かく殺生をばいたすやらん。
シテ「むかし鳥羽の院の上童に。玉藻の前と申しゝ人の。執心の石となりたるなり。
ワキ「不思議なりとよ玉藻の前は。殿上の交はりたりし身の。此の遠国に魂を。留めし事は何故ぞ。
シテ「それも謂れのあればこそ。昔より申し習はすらめ。
ワキ「御身の風情言葉の末。いはれを知らぬ事あらじ。
シテ「いや委しくはいさ白露の玉藻の前と。
ワキ「聞きし昔は都住居。
シテ「今魂は天離る。
ワキ「鄙に残りて悪念の。
シテ「猶もあらはす此の野辺の。
ワキ「往来の人に。
シテ「仇を今。


ところで、呼び掛けで舞台に登場する場合、シテは必ず橋掛りで一度立ち止まってワキへ向く型があります。ところが、厳密に決められているような印象が強い能の型ですが、意外やこういう場合、シテが橋掛りのどこで立ち止まるかについては、割とシテの裁量に任されている場合が多いですね。

たとえば常の『殺生石』では「アシライ(注=ワキへ向くこと)は橋掛りの長短により見計らいにて可」と師家の型附には明記されています。その上で参考として(一之松辺にて執心の石となりたるなり とワキへ向き、不思議なりとよ と左へトリ行き、舞台に入りシテ柱にて 昔より申し とワキへ向き、聞きし昔は と正)とあって、それからあとの型は「今魂は天ざかる は正にて謡い、尚もあらわす とワキへ向き、仇を今 と二足ツメ」と決められています。つまりワキの「さてこの石は…」から、同じくワキの「聞きし昔は…」までは橋掛りのどの場所で立ち止まり、どの文句でワキへ向くかも、厳密には決められていないのです(いえ、家によっては細かく決められている場合もあるでしょうが。。ぬえの師家の場合では おおよそこのようにシテに任されているようです)。

たしかに能楽堂によって橋掛りの長短には極端な違いがあって、がんじがらめに型を決められてしまうと、現実問題として演技に無理が起きる場合もあると思います。ぬえの場合は、たしかあれは『藤』だったと思いますが、あまりにもシテが橋掛りを歩んでいる間に謡う文句が短くて、とても舞台に到着できず、これは稽古の段階から無理がわかっていましたので、この場合はおワキにお願いして、少しゆっくりめに問答して頂いたこともあります。

『殺生石』の場合では、ぬえが小書ナシの常の能として初演したときは、だいたい上記の(一之松辺にて執心の…)という記述に従ったと思いますが、今回の「白頭」ではまたその時と状況が異なります。。というのも、「白頭」の場合ではシテはワキとの問答の間には舞台に入らず、最終的に一之松で立ち止まって「仇を今」とワキにツメ足をし、そして地謡になってから舞台に入ることになっているからです。

このように、常の能ではワキと問答をしている間にだんだんとシテはワキに近づいて行って、舞台の中、シテが常座に立ったところでその問答がクライマックスを迎え、そして地謡がその緊張を引き継いで謡い出すのに、小書の場合には問答の間はシテは舞台に入らず、地謡が謡い出してから舞台に歩み入る、という例は非常に多いと思います。

これはシテの立ち位置に違いを設けることで 小書がついた場合には常の能とは あちらこちらの場面で演出が変わるのを印象づける、という意図もあると思います。常座と一之松とはとても近い位置関係にはありますが、見所から見るとかなり異なった場所、という印象があると思います。それゆえに舞台と橋掛りとで同時に演技を進行することで、舞台と橋掛りのそれぞれに居る役者がお互いに知らないところで事件が進行してゆく、という演出をすることも可能で、『小袖曽我』などはその好例でしょう。また『鞍馬天狗』などの天狗物によくある演出として、橋掛りに登場した後シテが割と長大な演技を橋掛りだけで行い、それは空中を闊歩して威勢を誇示している天狗のその姿が、まだワキに見えない、という事を表しています。