あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄での暮らし~眼底出血再発で暗い毎日~

2009年03月28日 10時18分16秒 | Weblog
 今朝、風に揺れるこの花を58号線の並木でみつけた。まだ咲いている。
まだ、と書いたのはこの花を見つけてひと月あまりも経っていると思ったからである。
 南国の花にしては、花びらが薄く、色も薄ピンク色で珍しく可憐な花だったから覚えていた。
いつもは、こうして写真を撮った後、名前など調べるのであるが、生来兄の物ぐさも手伝ってか、その頃は花も散ってしまっている。これからは、出来るだけそんな面倒な事やめようと決心し、記録だけでも留めておく事にした。

先週、木曜日左の目が眼底出血した。
片目だと実に不便である。薄ぼんやりとは見えるのだが、鬱陶しい。距離感が掴めない。小さなものはつい掴み損なう。鍵穴に鍵を差し込むときは大変だ。一度ではすまない。出血した目を手のひらで覆って差し込む。
段差もはっきりしない。暗い階段を下り切っているのにもう一段あるつもりで踏み出して転びそうになるあの感触だ。また、小さな段差でも気付かないと膝を折る。

 治療を始めて一年になる。レーザーを3回も当てたが、11月のある日、
「目の淵に何かがあるので後の治療は治ってからにしましょう。私は今月限りでやめます。○○先生が診てくれます」
そう云い残して担当医は遠くにやめて行った。
 2ヵ月後、替わった担当医は、
「片目だけ出血すると言うのはあり得ない。白内障も少しあるのでそれを直してからにしましょう」
といっていつもの目薬1種を渡された。今度は吐血剤はないのかと思ったが、もう出欠もなかったので説明も聞かなかった。
更に、2ヶ月経った先々週、
「最後のレーザー治療をやめた時から流れるほど涙が出るのですが」
涙の出がひどいので、今度も質問した。
「いやそれは大したことではありません。気にしなくていいです。原因がわからないんですよねえ。また、2ヵ月後に来てください」
納得できずに処方箋をもらって、院外の薬局で処方箋を出す。
「今度は2種類ですね?」
不思議そうに薬剤師が訊ねてくる。
「えっ?何も説明聞いていませんが」
「手術とか目に傷があるとか、そんな事がありましたか」
薬剤師は真剣である。
「いえ、特にありません。何か目の中に白いものがあるとか、白内障が少し出ているとか2ヶ月前と同じような事を云われただけで、レーザー治療も中断したままです」
ありのまま答えた。
「そうですか」
しばらくして
「この目薬は今まで使っていた目薬を注したあと、5分位して使ってください。調子が悪いようでしたら直ちに止めてください」
一週間後、再び、眼底出血したのである。

 どの医者に相談すればいいのか。暗澹とした気持ちでいる。
沖縄県の医療技術は高いと言われているらしいから、自分の取り越し苦労かとも思う。
 医者と患者。信頼関係がなければ駄目だと実感する。
医者の側からはもちろん、患者側も信頼関係を築かねばならい。

不安を抱えた毎日を過ごしている。




沖縄の人情~そうかな?   で、あるわけか!~

2009年03月17日 23時21分40秒 | Weblog

 かなり酩酊して書いている。
今夜、元高校教諭と飲んだ。
彼らはいい男だ。
 ところがその内のひとりがこんな話をはじめた。
「俺が外出してさあ~。帰ったら校長がひどく怒ってんだよなあ~」
「ん?」
「生徒に罰として廊下に立たせていたんだ。そのことすっかり忘れて外出してしまった。帰ってみたら未だ立っている。それを見ていた校長からこっぴどくしばかれた。参ったよなあ~}
「それでーーー」
「そんな馬鹿なことしたをことがあったよ。校長には平謝りさ」
「校長からしかられるのは当然さ!それで?」
「いつまでも黙って立っていた奴に言ってやったさ、<おかしいと思ったら抗議しろ>って!」
え?みなさんはどう思う?
場は大笑いした後、
「あんたが生徒に謝るべきじゃないのか、校長に謝る筋合いのものじゃないよ!」
と言ってはみたが、どうもこれは屁理屈。場にそぐわない。
彼のやり方はウチナンチュウは理解できるらしい。

 今夜の酒席は地方文化論?みたいなことから始まった。
その内に教育の話になった。
「3歩離れて師の影踏まず」論をやった。
子供にとって先生は絶対的存在であるのだ。先生も親もこのことを理解するべきである、ということで一致した。レッキとした革新系だと自負している教諭もいた、全員賛成だった。断っておくが自分は教育界とは全く関係ない。

 酒席であるから、関連する話題なら、所嫌わず、話題選ばずの放談会である。
生徒立たせっぱなしの話題が出たのはそんな折である。
 その時は、「沖縄文化の他県人にはわからぬ真骨頂だ」
と腹のそこから笑った。みんな笑った。
 当人は至って真面目で、生徒思いの師である。

 立たされっ放しにされた生徒は、真面目に先生の言いつけを守って、また叱られた。
酒の所為かやはり愉快な話である。
もう何十年にもなるが、件の先生とかの立ちんぼ生徒とは今でも交流があるという。

 教育は理屈ではない。子供がどう感じるかだ。

 カラオケばかりで馬鹿な夜を過ごす事の多くなったこのごろ、愉快な酒に浸った。
夜風が心地良かった。

沖縄の風景~貯水槽と屋上の角~

2009年03月16日 15時24分13秒 | Weblog
 写真の左下の建物の屋上。4本の柱が突き出ている。将来建て増しをするために準備されたものという。(写真を左クリックすると大きくなります)
 屋上にあるタンクは貯水槽。どこの家庭にも準備されている。雨の多い沖縄ではあるが、5月末から6月の梅雨明けを過ぎると12月までは雨は少ない。
夏はダムが渇水状態になることが多かった。節水、断水がたびたびであった。
貯水タンクはその自衛手段である。
十数年前、新たなダムが出来て、渇水、節水などの言葉を聴くことは少なくなった。

 沖縄に住み始めた20年くらい前は、よくスコール?が来た。
晴れの予報でゴルフを楽しんでいると、午後3時前後になると、一点の雲もない青空が、突如、黒雲に覆われたと見る間にザーッと強烈な雨が降り出したものだ。雨脚が強烈で傘など役に立たない。横殴りと跳ねっ返りで膝上もずぶぬれになった。
30分もすると雲はいずこかへ過ぎ去り、真っ青な空が戻ってくる。再び灼熱の太陽が降り注ぐ。
暑くてうんざりしている時は、この雨が命を蘇えらせてくれた。

 「スコールが来なくなったなあ」
と気付いて10年以上もなるだろうか。
 台風も来なくなった。今年は未だにひとつも発生していない。
台風は発生しても本島を避けて北上する。だが、八重山諸島は大変だ。
 梅雨も、沖縄に来た20年前は男性的だった。雨ではなく、バケツの水をぶっかけられたように空から水が降り注ぐ。真夏のスコールほどじゃないが、降り方は暴力的だ。傘など役に立たない。せいぜい、首から上が雨を凌いでいるだけだ。風もないのに。
ひと通り降ると青空さへ現われる。
余談だが、先日、ある本に書いてるところによると、「五月晴れ」とはこの梅雨の頃の雨の合間に晴れる空だとあった。文字通り、五月晴れで清々しかった。
最近の梅雨は、雲は低く垂れ、薄暗く、湿った空気が澱み、しとしとと一日中降る。

 イジュウの花も終わり、つつじが満開だ。
いろいろな花が咲いているが名前が判らないので写真に載せる事もできない。 
一月中旬、本島の北中城(きたなかぐすく)村に「ひまわり祭り」をはじめたというニュースをみてたずねてみた。広い畑がひまわりの花で埋まっていた。まだまだ、「まつり」というには程遠いが、ふるさとの近郷の人たちが集まり、冬の日向のひと時を過ごすには充分だと感じた。
静かで穏やかな風もよかった。
その日はまぶしいほど陽の光も明るかった。

暖かだった。

 

沖縄県都の中心地久茂地

2009年03月08日 18時09分51秒 | Weblog

 沖縄料理「あかさたな」の地図も載せて見た。今回は趣向を変えて拡大図で示した。地図のマイナスをクリックすると広範囲に見えるから、目的地の位置がよくわかる。(蛇足でした)
「あかさたな」は赤枠で表示したファッションビルの表示のある「フ」の位置辺り。
国際通りから入ったところ。

 ついでだから近辺を散歩してみよう。
地図の少し上にある見栄橋(みえばし)ビルは、建った頃那覇市内のどこからでも見えたそうだ。今でも、タクシーに乗って行き先を指示するときは「見栄橋ビルのーー」という具合に指示するときの目印となっている。
このビルの1階にある「雅」という画廊喫茶の雰囲気が好きでよく通った。静かで清潔な店だ。ここのコーヒーが好きでよく通った。
 このビルの裏手に「オクトーバー」というクラブがある。ここもよく通った。
、先日、久々に訪ねたら馴染みのホステスはもういなかった。「宝塚」出身という娘がいて、背も高くスタイルは流石だった。
ひとり7,000円から8,000円位かな。前以て、ママに電話してゆくといい。きれい?なママだったけど。
 この店の裏手筋に久茂地小学校がある。久茂地小学校前の通りを一銀通りという。
この通りと久茂地川の交差する橋のたもとに「Y’s](ワイズ)という喫茶店がある。もう30年近くやっている喫茶店で、昔懐かしい雰囲気でコーヒーの香りがする。ここのコーヒーは好きだ。昔ながらのコーヒー店のように点ててくれる。最近、このようなコーヒーを出す店がなくなったと思う。400円くらいだ。
 この川筋に、本土からの転勤族がよく通った琉球料理の居酒屋というか、結構安くていける店が数件あった。名前は忘れたが「Y’s]のマスターに訊ねるといい。

 この久茂地川の上をモノレールが通る前は、最も好きな沖縄のポイントのひとつだった。ひとりで大反対したが、出来てしまうとあきらめた。出来る前は、川畔には大きな「梯梧」の並木があった。ハイビスカスの原種の素朴な花が年中咲いていた。どぶ川で臭かった。その後改良工事をやり、匂いもしなくなっていた。よく歩いた。
この川にはテラピアという鯛に似た魚がたくさんいる。
川面に群れて波立っているからよくわかる。本土では「いずみ鯛」とかいって、大手のホテルが名物料理として売り出していた。
汚れた川を好む魚だったんだと喜んで食べたことを思い出す。昔の話だがーー。
 
 きょう触れた界隈は久茂地という。
安心して過ごせるところだが、久茂地・松山といえば那覇の中心地だから多少高い。
東京からきた人たちが、東京のバーやクラブの半分乃至3分の1位で飲めると思っている人が多いが県都である。
そこそこの金は払わないとならないと、先ず、腹を決めて遊ぶことだ。
 

 

沖縄のつつじ祭り~東村・慶佐次・マングローブ~

2009年03月05日 11時09分35秒 | Weblog

(中心点を移動せずにぷらす+を押してください。地図は拡大します)

 ターキーさんわざわざ行くのですか。美味しくなかったらどうしようかなー。
感想を聞かせてください。
 ようやく、「ちらー小」の位置を確定しました。

 きょうは嫌な雨だ。「菜種梅雨」だろうか。少々、早い気もするけれど、今朝の天気図でも不連続線が出ているから。でも、4月までにはこの前線は北上するだろう。
 ところで、不思議なことにまだ、台風はひとつも発生してない。
台風の多い年は、1月にはすでに発生しているのに。
今年はでかい台風が来るのではないかな。

 東村(宮里藍ちゃんのふるさと)ではつつじ祭りが始まった。
小高い丘いっぱいにつつじが満開だ。真っ青な海を見下ろしながらの小さな丘の小さな散策もいい。郷土芸能などがささやかに演じられているのも楽しい。
この時期になると、つつじなど珍しくもないナイチヤーが一時間以上もかけて出かける。つつじに魅力を感じているわけではないが、あの会場の周囲の雰囲気、ドライブの路傍の風景、季節などいろいろあって誘い出されるのだろうと思う。
今年はつつじも開花が早いようだ。ドライブされる方は早目がいい。
 ついでに手前10くらいのところに「慶佐次」というマングローブの自生するところがある。
333号線の橋を越えると、橋のたもとが公園になっている。公園に車を置いてマングローブの川岸を歩くといい。

 はじめての人は、「もうひとつの沖縄」「ほんんものの沖縄」を発見するでしょう。