あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の風景~那覇市の川を遡るサメ~誰も信じなかったが本当の話

2009年08月28日 16時40分15秒 | Weblog

ギンネムの樹。花は黄色。合歓の木(ネムノキ)にそっくりである。
マメ科の植物で成長が早い。帰化植物で,米軍と一緒に戦後沖縄に入ってきたらしい。
他の島は気付かなかったが本島全域に繁茂している。
昔は燃料に使ったらしい。



 南国沖縄でも9月が近くなると、朝晩はの風はそれとなく涼やかになる。
最近は、散歩がてら、40~50分歩いて小さなスナック居酒屋によく通うようになった。
17時には歩き始める。陽は高いが、建物や木々が落としている影を選んでの歩きだ。店に着くころは少し汗ばんで冷房が心地良い。
 その日は、漁師(海人=ウミンチュウ)を生業としている真っ黒に日焼けして頑強な体の男が店に顔を出した。屈強な体躯に似合わぬ端正な顔立ちで、無口で、頭が低い男に最初会った時から好感を覚えた。今夜で3度目だろう。
 彼と出会ったのはひと月ほど前。
「差し入れ」と言って持ってきた貝が美味かった。アワビを焼いた感じの味と食感であるが、とにかく、日本酒に良く合う。
 件の漁師殿の説明によると「タカセ貝」という。潜って獲るという。
身が固くて、刺身では食べられない、ほどよく煮込まないとやわらかくならないらしい。
 他に客も居なかったので海の話になった。
「那覇港にサメが入ってくると以前、那覇港の岸壁で釣りを見ている老人から聞いたことがあるのですが本当ですか。那覇港でナイチヤーがもぐりをやっているのを見かけるがいつか事故になる、とも云ってました」
「いや、サメは那覇港にはよく入ってくるよ」
目からうろこ、つかえていたものが吹っ飛んだ。
「そうですか。誰も信用しないんですよ。那覇の人だってあいまいで,
ーそうかなあ、海につながっているからねー
くらいなことしか云わない」
「泊港に流れ込んでいる川の上流でサメが2匹泳いでいるのを見たことがありますよ。沖縄の人に話しても誰も一笑に付してしまう。イルカじゃないかと云うんだよねえ」
「いや、イルカじゃない、サメですよ。あの川は餌を追って上がってくる」

 それから数日経った昨夕、件の居酒屋で馴染みの女性客と「タカセ貝」の話からサメの話になった。
「安里川から久茂地川と交差する泊港に流れ込む川があるんだが、川の名前は思い出せない。58号線の泊交差点から少し国際通り寄りに入ったところで夕暮れの川面に大きな背びれを出して、2匹のサメが泳いでいるのを見たんだ」
「いるらしいよ。新聞で見たことある」

 実はこうである。
今から、7,8年前のことである。
その川辺の沖縄料理の居酒屋「木精夢者(キジムナー)」で、日の高い内から東京から来た友人と酒を飲んでいたときのこと。店員が、
「サメが上がってきてる」
と飛び込んできた。その店は外階段で2階にある。ふたりは店を飛び出し、階段を駆け下り、ガードレールに手をかけて川面を探す。
陽は落ちかかっていて、ビルの陰になっているため川面はすでにうす暗かった。
川幅は5mもない。満潮時なのだろう、いつもより水面が近かった。
「ほら、あそこ」
いつの間にか店員も店を飛び出していた。店員が指差す川上にめをやるとサメらしい背びれが見えた。
1匹は川上に、他の1匹は川下に向かって泳いでいた。
やがて、観ている我々の眼下を通り過ぎてゆく。
しばらくすると、また川下から引き返し、川上へ向かう。こんなことを何度か繰り返していた。川上には堰があって上れないらしい。

 それからというもの、しばらくは酒の席になると自慢げにサメの話をした。
しかし、誰一人信用しなかった。
「イルカと間違えたんだろう」
と。数年、この事は忘れていた。
それほど小さい川である。決して河ではない。

人生も旅。旅は未知の世界を知ることである。
旅先で聞く話はもちろんのこと、己の知識や経験だけではないことに興味を持つことが大切だと痛切に感じるこの頃である。
これは自戒の言葉。

沖縄の社会~やはり素晴らしい沖縄の若者~「えいこう」と「ひろし」

2009年08月14日 11時53分28秒 | Weblog

 ~太平洋戦争末期、米軍が最初に上陸したといわれる比謝川河口付近の海岸で遊ぶ米軍関係の子供達。58号線から1キロほど海岸に入り込んだところで、県内の人でもあまり行ったことはない。米軍がどのように上陸したのかは知らないが、この辺りから上陸して、南部に向かって兵を進めたことだけは確かだろう。
読谷村を通って 残波岬に行く海岸線の海は米軍の艦船で真っ黒だったと古老はいう。
潮の引いた岩の小さな潮溜まりにコバルトブルーの熱帯魚が取り残されていた。~




 自宅を出て3キロほどの道程を、垣根の木々や花に顔を近づけ香りを確かめたり、庭先に遊ぶ子らをなつかしく眺めたり、何度も歩いているのに気付かなかった粋な住まい発見して小さな感動を覚えたりしながら、夕暮れの散策を楽しみながら目的の小さなスナックにたどり着く。40分ほどの楽しい散策だ。
 この日も、好きな日本酒を飲み、夜8時過ぎに店を出た。
左に曲がるとデイゴの並木道に出る。5階建ての30室余りの棟が5棟ほど並ぶ団地の外れの道だい。
今日はバスで帰るか、と思いつつ団地の外れまで、ほろ酔い気分で通りかかった。
 外灯と外灯の間の暗がりで二人の若者がぼそぼそと話している。
ビールかジュースの空き缶が数個と少しの菓子か何かが残っているらしいビニール袋が彼らの足元にあった。
外灯の間が遠いため光が届かないのと並木が遮っているため顔はよくわからなかったが、低いブロックに腰をかけていた方は面長の顔が何とかみえた。もうひとりは反対側を向いているため、外灯に照らされている茶髪だけが目に入った。
時計はまだ9時を廻ってない。
茶髪のかれは作業ズボンのままで、仕事帰りに友人に会ったと言う風であった。

 近づいてたずねる。
「呑んでるのか?」
かわいい。若い香りと息吹が満ち溢れる。
「おじさん、のんでるのかあ?」
茶髪の青年が見上げていった。2人ともきりっとした男面である。
30前だな。
「うん、早くからねー。帰るところだ」
「ふーん、元気いいんだね」
茶髪がいう。
「イケメンだなあ、兄ィ兄ィ達はー。飲んでるのはジュースかビールか?」
「ビール。おじさん何呑んだのか」
「安酒、日本酒だよ」
何だかこの子たちには済まない気がした。
「おじさんも、少しビールが呑みたくなった。一緒にいいか?」
「いいよ、でも大丈夫か。買ってくるよ、何がいい?ビール?」
と茶髪。
「ああ、君達はビールでいいかな」
「俺達はいいよ」
と茶髪が応える。
「おじさんは小さいのでいい。あとは君達が好きなのを買って」
そう言って1000円札一枚を渡した。
茶髪が立った。
500メートル程先にコンビニがあったな、あそこまで行ったんだ。
1,000円でビールの大きいの買えるのかな、と急に気になり始めた。この4,5年、ビールを買った事がない。
「ビールありがとう。俺達ももらったよ」
茶髪はそういってつり銭をくれた。つり銭はそのままポケットに入れた。
茶髪が大瓶、面長と自分には普通の缶だった。
つまみも買っておいでといったのだがなかった。「おじさん、つまみ要る?」ときかれたとき、「おじさんはいいから好きなの買っておいで」そういったけれど遠慮したな、と思った。

 それから30分ほど話をした。
面長の青年は今年26歳。東京に勤めていて里帰りで、きょう着いたばかりという。
なまえは「ひろし」と言った。
茶髪は「えいこう」といって、
「栄えるの栄に光と書くんだよ。いい名前だろう」
と威張った。学年は面長と一緒だが、まだ25歳と言った。
作業着姿をみて「仕事帰りか」と聞くのも気が引けた。
「明るいところでもっとよく顔を見せろ」
と外灯のある方向に茶髪の顔を向けさせた。
街頭の明かりにきらきら光るたくましい若人だった。
「うまくやってたな」
ヒロシは首を横に振ったが、コウエイは苦笑いした。
「単車乗り回したんだろう。暴走族やったな」
「単車?」そういってふたりは笑い出した。
「おじさんが君らの時代は単車って言ったんだ」

 そんな他愛ない話題で30分余りを過ごした。
「やっぱり人間は汗かかないと駄目だな。おじさんみたいに背広を着て、机に向かって夏は涼しく、冬はあたたかくと過ごすのもひとつの生き方かもしれないが、最近、汗を流して働くのはもっと素晴らしいと思えてならないんだ。家では、夏でも日中はおじさんはクーラー使わないんだ。汗がタラタラ出る。一日に何度もシャワーを浴びるし、着替えもする。汗をかくって最高だね。夕食もうまい。」
「おじさんの知り合いの息子がいてね、君達より少し上かな、鳶をやっているんだ。ずいぶんきつそうだけど、よくがんばっている。おじさんなんかは真似もできないよ。でも、飯がうまいと云っていた。職場でも友人がたくさんできるみたいだね」
栄光が、
「おれも鳶やっていたよ。今は失業しているけど」
「そう、若いうちは何でもやってみるさ。2度や3度の失敗くらい何でもないさ。でも、今の社会じゃあ試す事もできないなあ」
この青年達もどこかの居酒屋でも行って、久しぶりに逢った友達と語り合いたかったのではないだろうか。そう思ったが触れなかった。
 「君達のような若者が就職できないような社会にしたおじさんたちが悪いんだよなあ。すまないなあ」
ふたりはキョトンとして顔を見合わせていた。
戦後の日本がここまでになったのは俺達が一生懸命やったからだという輩はたくさんいる。しかし、こんな不運な若者達をつくるような社会にしたのだという者をひとりたりとも見たことがない。
 30分ほどの間だったが、清々しい時を過ごせた。
「邪魔してごめん。楽しかったよ」
名残り惜しかったが、腰を上げた。
「おじさん、どうもありがとう」
とふたり。
「いやいや、おじさんこそ若返ったよ。タバコ一本いいかなあ」
というと、タバコの箱を出しながら
「大丈夫?タバコやめてるんだろう」
あたたかい風がふっと通り過ぎた。
一本抜きながら、この若者達にとってタバコ一本でも大切にしているはずだと気が付いたけれど、そのままタバコに火をつけて後にした。

 いい人生送れよ。

 



沖縄の旅~国場川と奥武山公園~夏休みのおすすめコース

2009年08月04日 14時00分15秒 | Weblog
 写真はモノレール首里行きの車窓から撮った国場川。
橋は壷川駅と奥武山公園(オウノヤマコウエン)を結ぶ橋。
歩きの好きに人、自然を愛する人、家族連れの人、二人連れの旅人。
どなたにも会う散策コースだ。



 散策は早朝か夕方がいい。
沖縄は日の出が遅い。前日は早めに寝て、ホテルは6時には出よう。出来るだけ歩いて行く。
久茂地、泉崎、松尾、58号線沿いの松山、東町、西町辺りからも歩ける。上記の場所から、ゆっくり歩いても30分~40分で行き着くだろう。
 奥武山公園は運動公園であるが、園内には神社や護国寺がある。これもみどころ。
また、園内の木々には名前が付いているのでこれだけでも楽しい。
奥武山公園と平行して流れているのが国場川。
 園内の散策に飽きたら国場川を渡り、河畔の遊歩道を上流に向かって進むと市営の「漫湖公園」(マンココウエン)に出る。
国場側が広くなったこの辺一帯を漫湖とよぶ。
川岸に生える背丈の低い木々は「ひるぎ」(マングローブ)だ。
3時間も散策すれば沖縄の自然を街中で見たことに感動する。

 余談だが、北海道の遭難がいろいろ言われている。
若い頃、山歩きをかじった自分でも「低体温症」という言葉は知らなかったけれど、
「真夏の山でも、霧にまかれたら凍死する」
と言われていたから、山に入るときには最低の準備はしていった。水筒と非常食としての乾パン、着替とヤッケ位は日帰りでも、真夏でも用意した。

 旅も同じ。
日中と夜半の温度差、風の有無、標高によって体感温度は変わってくる。
旅行はカーディガンと下着で調整しろとよくいわれたものだ。
人間のからだは寒さには弱い。まして、冷暖房の効いた日常生活を送っていれば、体温調整なんて出来ないだろう。
 沖縄に限って云えば、日中と夜間の温度差はせいぜい5,6度。
だが、県人は冷房をガンガンかける。20℃でも冷房を入れる。
沖縄に住み慣れていても、真夏でも上着を話さない。冷房対策だ。
 直射日光は並じゃない。だから、早朝と夕方の散策がいいというわけだ。
県人は日中は決して海浜に出ない。夕方、太陽の光が幾分弱まった16時過ぎでからしかビーチには出ない。
それも、長袖のシャツを着ている。
 
 奥武山公園を散策して、 夜の街那覇のイメージは払拭される。
ゆったりと時が流れる亜熱帯の沖縄も、復帰後、本土の時の流れに染まってゆくようでさみしい。
せめて、沖縄にいるときだけでも「沖縄の刻」を大切にしたい。

沖縄の食~~豚は沖縄料理でこそ食べるべし~公設市場は旅人の昼食には是非!是非!

2009年08月02日 12時36分24秒 | Weblog
 那覇市市役所と沖縄県庁は小道を挟んで並立する。
その小道の並木道である。夏は木陰で涼しい。
南国でありながら、並木の木陰が沖縄では殆ど見かけることがない。不思議だ。
下の地図の交差点付近が灰色に塗られているところが県庁だ。




 旅の上手はとにかく食べた事がないものを好き嫌いを云わずに食べてみることだ。「その土地でしか食べることができないもの」「その土地で生まれて引き継がれてきたもの」は、先ず、食べてみよう。
食べてみて嫌いだったらそれから食べなければいい。食べもしないうちから、「きらいだ」なんだというのは実に勿体無い。

 全国的に有名になった「チャンプルー」。
「豆腐チャンプルー」「ゴーヤーチャンプルー」「フチャンプルー」「ソーメンチャンプルー」等々。
沖縄のこの暑さに堪え、エネルギーを補給する為だけでなく、弱り始めた食材の滅菌効果も大きいと思われる。
「食」には土地の風土や知恵が受け継がれ、いいものだけが残っている。
旅は食することにありと言われる所以でもあろう。

 沖縄では豚料理がとてもうまい。日本一だと思う。
元来、沖縄では豚料理は日常的には食べない。
いわゆる、正月などに出されるご馳走なのだ。一軒の家では、正月などには一頭つぶすという。いろいろな部位を塩けにして、必要なときに出して料理する。
捨てる部位などない。内臓から全て食べる。
 「ソーキそば」の肉など4時間以上も煮込む。
本土の脂がべとべとしたような豚料理は沖縄ではない。あるとすれば、まともに料理をしてないと思えばいい。とにかく、念入りに脂を抜く。
ミミガーは「耳」、中味は内臓とたくさんの豚料理がある。
馴れると牛よりあっさりしていて、臭みもなく美味い。

 公設市場内の2階の食堂街?では一度くらい味わってほしい。
美味い店もあれば、そうでない店もあるだろうが、先ず、庶民料理の店だ。
上手な食べ方は、ひとりが好きなものを一品づつ注文して、それをみんなで食べ合う事だ。
一皿は俺が注文したものと抱え込む食べ方は止した方がいい。
必ず、取り皿を人数分出してくれる。何枚追加しても嫌な顔は絶対しない。



沖縄の料理~国際通りの散策と公設市場~路地にこそ沖縄がある

2009年08月02日 12時32分14秒 | Weblog
 国際通りで見つけた米軍グッズ。ひと頃よりも人気の熱は冷めたようだが、今でも、国際通りの店では結構、人の出入りが多い。
 那覇に来たなら、一度くらいは覗いてみたいものだ。



地図は+を押すと大きくなる。-を押す縮小される。四角の中心点は動かさないように、説明がやりにくくなる。
「パレットくもじと沖縄屋の前の交差点が中心にした」


 国際通りは地図の中心点にしている交差点から右に延びる通りだ。散策するには、出来れば長袖、傘は忘れないほうがいい。ゆっくりのんびり散策してほしい。
 むつみ橋交差点まで来ると国際通りのへそに来る。
むつみ橋交差点を右に入ると公設市場の通り。入り口に大きく書かれている。
もう一本、三越の前から下に向かって斜めに走る道が平和通り。共に先では合流する。この両通りの間にも路地がある。繊維製品の店が多い。
 11時ごろ入って、市場の中の沖縄料理食堂で昼食して、ぶらぶらする。
市場内の散策、平和通、市場通り、やちむん通りまで入れて、散策に3時間くらいはほしい。
公設市場から5分もかからず「やちむん通り」に出る。沖縄の焼き物の通りであったが今はそれを売る店が数軒あるだけだ。
 この辺一帯は「ほんものの沖縄」の魅力はいっぱいある。
あなた自身が手に触れ、目に観、舌で沖縄を味わうことが出来るだろう。
 昼食は公設市場に入って2階にたくさんの食堂がある。どこでもいい、好きなものを食べるといい。
 国際通りの周辺の散策は本通りばかりではない。
いくつもの路地や裏道がある。迷ったところでタカがしれている。
楽しいこと、珍しいものに出くわすだろう。