あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の自然~名護を通るなら羽地ダムと多野岳へ~梅雨の道中はイジュの花が満開。

2012年05月24日 00時53分09秒 | Weblog

好天候に誘われて新緑の羽地ダムへ。
羽地ダムのある名護へ沖縄自動車道を北上。
石川を過ぎた辺りで想思樹の花が満開の樹を見つけた。
ドライブで妙に黄色っぽい樹を見つけたら想思樹だ。



石川インターを過ぎた頃から路傍にそして山腹に白い花をつけたイジュの木々が目に飛び込んでくる。
「イジュは梅雨の花」、今を盛りと咲き誇る清楚な花。

 
高速道路を下りて二見杉田トンネルへと向かう。
最近開通したばかりの大浦湾への近道だ。
そのトンネルを抜けたところで眼下にイジュの樹があった。
太陽の位置が悪いのか、カメラがボロかきれいに撮れてない。
あの清楚なイメージが出てない。





ダム事務所までの湖岸からのダム風景。



ダムに架かる橋。



ダム事務所。簡単な資料館がある。
天気が良いなら弁当持ちで原っぱで食すると最高だ。



ダム事務所辺りから。




ダム事務所からの風景。



 この道から入ると良い。
中心点を動かさずにカーソルを上下するとわかりやすい。
時間があれば近くの多野岳まで行ってみよう。
名護湾の素晴らしい景色を見ることが出来る。



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沖縄の社会~本土復帰を夢見た沖縄の心②~4・28屈辱の日 5・15本土復帰の日 6・23慰霊の日

2012年05月17日 20時26分39秒 | Weblog
昨年6月25日本土行き機上から撮影。
沖縄戦の実質的な終戦の記念日6月23日「慰霊の日」の2日後である。
那覇空港を飛び立って間もない沖縄の上空。
本島がもうこんなに小さく見える。
20数万人の人々がこの島で死んでいったことを思うと胸が詰まった。

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 きょうは沖縄が1972年5月15日に本土復帰して40年の記念の日。

 13日は数日前、本島各地から発した平和行進の最終日。
行進した人々は、13日(日)宜野湾に集結して集会を開いた。
その模様は「琉球新報」と「沖縄タイムス」にリンクした。

   5月14日 琉球新報一面トップ記事。

   5月14日 沖縄タイムス記事。 

 昨日(15日)午後、先月放映された「朝まで生テレビ”沖縄で激論!”」再放送があった。
沖縄で収録されたものらしい。
元大田沖縄県知事をはじめ在沖縄の人たちも多く参加していた。
議題は「沖縄にアメリカの海兵隊が必要か。普天間どうなる」というものであった。
この番組の特色で議論は八方に飛んでいく。
司会役の田原聡一郎も交通整理ならぬ議論整理に四苦八苦するが、司会者なのかコメンテーターなのか判然としないのも相変わらずである。
 ある者は沖縄の現状と苦渋を訴えるばかりで「だからーーーしよう」がない。
またある者は「米軍であれ、自衛隊であれ、兎に角軍隊は沖縄には要らない」という議論にもならない発言をする。
ある者は日本政府がどんなに苦労してやっているかを訴える。
 その中で森本敏拓殖大教授の発言は傾聴に値した。
日本全国どの地域でも「基地」を歓迎するところはないだろう、というものだった。
ならば日本の安全保障をどうするかという「日本」の方針を「日本」が決めるべきだという。
全く同感である。
日本自体の安全保障が決まってから日米安保の交渉がはじまるというものだ。
それが決まらないまま、沖縄の基地や日米安保を論じても実のあるものにはならないだろう。
 葉千栄東海大教授の発言も的を得た問題提起だった。
「安全保障の対象国はどこか、中国だろう
ならば中国を対象国として議論に具体性をもたせるべきだ」という主旨の発言であった。
葉教授の発言の真意は幾通りもの解釈があるだろうが、はっきりとものを云わない日本人の最大の欠点を指摘したものに思えた。

 2時間ほどの視聴を終え、やるせなさと空しさばかりが残った。
私が沖縄県民を代表するわけにはいかないが、毎日毎日、紙面の多くを埋める基地と政府の対応を目にしてきた私には、このテレビ討論さへ県民の心を捉えているとは思われない。
しかし田原氏はこれらの議論に深入りすることを避けているように捉えられた。
森本敏拓殖大教授、葉千栄東海大教授の発言も司会者はもう少し掘り下げてほしかった。

 終戦から復帰まで27年。
終戦の年に生まれた子は、親となっているほどの長い年月。
沖縄の戦争は終っていないと多くの県民は云う。
 復帰運動は熱いものであった。
復帰すれば全てが本土並みになると期待した。
ところが復帰後も実態は変わらないと県民は落胆し憤慨している。
この曲折した県民の心がわからずに基地問題を議論する。
県民は
「相も変わらず沖縄に押し付けている」と更に怒りを増幅させている。
県民の偽らぬ「心」を知るべきだ。

 「沖縄の心」を知るべきだといっても2年や3年くらい沖縄にいても判るはずがない。
基地問題はいろいろな場面で語られるが、各論の論点がばらばらで議論にもなっていない。
森本教授が問題提示したように、先ず、議論を日本の安全保障を「日本自身」がどうするかを議論の出発点にすべきだ。
そして、日米安保が必要というするならどういう安全保障体制を組むべきかを考える。
それから基地負担を如何に分散するか、または集約するかを検討すればよい。
そうすれば基地問題を国民は自分の問題と考えるだろう。
「沖縄には米軍であれ自衛隊であれ軍隊はいらない」という知識人の発言があった。
「沖縄の経済は基地で成り立っているだろう」という者もいる。
これでは基地問題は解決しない。議論も何もならないし、やっても無意味だ。

 先の県知事選で「沖縄独立」を主張する候補が1万票を獲得した。
独立論はまだ少数かもしれない。
が、2,3日前の琉球新報では「沖縄の独立について」というテーマで1ページにわたる企画があった。いろいろな人たちの論が掲載されていた。
このページを見たとき、ひどいショックを受けた。
ここまで沖縄県民を押しやった政府や本土の責任は大きい。

 枝葉末梢にとらわれた論理や空論だけでなく、葉教授がいうように本質論を本音で議論するべきだと考える。
今の状況では何も進まないだけか、沖縄県民の心は蝕まれていく。
私は日本人だ。
日本という国が好きだ。
同じ日本国民が閉塞感に苦悶している姿は見るに耐えない。

 同胞が苦しんでいる。


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沖縄の社会~本土復帰を夢見た沖縄の心①~4・28屈辱の日   5・15本土復帰の日 6・23慰霊の日

2012年05月14日 03時07分55秒 | Weblog

本島最北端辺戸岬に立つ「祖国復帰闘争の碑」。
岬に立てば与論島が水平線に浮かぶ。

1952年4月28日、日本はサンフランシスコ平和条約により独立した。

そして沖縄・奄美・大東はアメリカ政府の統治下に置かれた。

沖縄の人々は、この日を「屈辱の日」と胸に刻み込んでいる。

奄美が本土復帰後、当時の日本最南端の島与論島の人たちと沖縄国頭の
人たちが国境線上に集まり、互いに励ましあった。

辺戸岬から本土最南端の与論島を眺めて人々は本土復帰を願った。


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 1945年3月23日以降、米軍による空爆や艦砲射撃が激化し、遂に4月1日沖縄本島嘉手納に上陸した。
本格的な沖縄戦のはじまりである。
この日からこの小さな島で、住民を巻き込んだ想像にあまりある凄惨な地上戦が繰り広げられた。
1945年6月23日、第32軍司令官牛島満中将の自刃により組織的な戦闘は終結し、沖縄では6月23日を「慰霊の日」として休日としている。

 1945年8月15日終戦の日から日本は連合軍の占領下に置かれるが、沖縄は1972年5月15日の本土復帰まで沖縄は米軍の統治下に置かれた。
沖縄では本土復帰運動が行なわれる。
その沖縄県民の熱い、哀しい思いを我々本土はどのように捉えてきたのであろうか。
どのように理解し、どこまで自分のこととして捉えているのだろうか。




 辺戸岬の突端への遊歩道。
そして辺戸岬からはるか与論島を望む。この日は靄っていて島影を見ることは出来なかった。

 この岬と与論島の国境線上で国頭村と与論町の人々が集まり、船上で本土復帰を願って励ましあった。

 その様子を伝える沖縄の2大新聞。クリックで該当ページへ。

 沖縄タイムス記事 43年ぶり27度線で27年ぶり海上会場集会 

 琉球新報社説 屈辱の日社説と関連の記事



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沖縄の文化~豊かな表情のシーサー~シーサーは沖縄の守り神

2012年05月02日 23時14分04秒 | Weblog

梅雨時の代表的な県花「デイゴ」。



かっては、5月の夏の太陽が照りつける頃には、

このようにいっぱいの花をつけていた。

そう、最近はこのような花盛りのデイゴを見ることが少なくなった。

新都心の中央通りには大きなデイゴの樹がるが、

このような花をつけたのは未だ見たことがない。

害虫の所為だというが果たしてそうだろうか。

松喰い虫の異常な発生であちこちの琉球松が枯れていく。

海では巨大な鬼ヒトデがサンゴを食い荒らしている。

何か大きなものが動いている気がしてならない。



 沖縄名物シーサー。

沖縄の観光は「歩くこと」に新しい発見があり、魅力がある。

そのひとつは「シーサー」。

家の門柱に、屋根に、庇にと至る所で見ることが出来る。

それぞれのシーサーは思い思いの表情をしている。


 某商業ビルの玄関に構えるシーサー。

これは雄。右手には雌が鎮座し、睨みをきかせている。




 浦添市役所玄関口のシーサーと議会棟の屋根にいるシーサー。






 那覇新都心日本銀行で堂々と前方を睨むシーサー。




 那覇警察署の入り口のシーサー。




 シーサーを撮った写真をフォトチャンネルにしてみた。
シーサーは千両役者




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