あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の人情~どうせナイチャーよ~ところ変わっても地域の義理人情は同じⅡ

2009年11月29日 18時17分59秒 | Weblog
 帰りの機上から携帯電話で撮影。
沖縄上空の午後、夕方間近。
往きと同じで、携帯電話を使って良かったかなと心配した。
電波を発信していないのだからと思ったが。
那覇空港に降り立ったとき、体を包む風と匂いに安堵感が拡がった。
福岡空港とは風も匂いも違っていた。


 きょうは北風が強く、空は日本晴れで秋らしい気候であった。
自動販売機でコーヒーを買って近くの公園で、タバコをくゆらせながら、暖かな陽射しに、心地よく吹きすぎてゆく風に遠い日々を想い、追憶に浸っていた。
 3人の50過ぎの男性が声高に語らいながら通り過ぎて行った。
瞬間、
そうだったんだ。何でこのことに気付かなかったんだろう。

 それは、30数年前のことである。
営業の担当から事務の後方業務に異動した時のこと。
それまでは接待やら付き合いやらと酒席が多かった。
営業を外れたしばらくの間、人間らしい生活に戻ったと、鉢植えに精を出していた頃のことである。
接待だ何だというときにはずいぶん金も要ったが、担当が替わり、ずいぶんと余裕も出てきていた。

 在勤地は郷里で、自宅は分譲住宅を買ったばかりでバスで40分ほどの郊外にあった。
 ある日、自宅のバス停を降りたとき、夕暮れにネオンの点いた小さなスナックを見つけた。
鞄を提げたまま、店に足を踏み入れた途端、数人の先客から、一斉に好奇の眼差しを向けられた。
<まずかったかな>何となく異様な雰囲気にたじろいだ。
 数回通う内に慣れた。
馴染み客と会話のひとつも交わせるようになったものの、やはり馴染めずにいつしか足が遠のいた。そのときのことを思い出したのである。

 転勤先で同じようなことを経験した。
それからというもの、自宅近辺で飲むことはやめた。
 仕事の性格上、勤務地は、概ね県庁所在地であった。事務所は街の中心地にあった。
昼も夜も、方々から来る人々で成り立っている都市である。
いつか必ず、この街を離れていく人々である。
<今日の出会いは今日限りかもしれない>
そんな気持ちが奥底にあったから、出会いを大切にしたし、気に入らなければ執着することもなかった。
そんな生活を続けてきた。
 
 住宅地近くの居酒屋、すし屋、スナックなどはそこに住み、慣れ親しんでいる人たち、所謂、地の人たちでなりたっている。
あの人はどこの誰それさんで、子供が何人いて、優秀だとか走りが一番だとか情報を共有しているのである。
それは安心につながる。多少の行き違いがあっても、時が解決するという安心感がある。都市にある社会とは全く別の社会が出来上がっているのである。

 そうした安心安全の世界の中に、見も知らぬ全くの異郷の人間が割り込んできて我が物顔で振舞えば、当人にその気がなくても摩擦も起こる。
顔も気に食わなければ態度も悪い。
話もわかりにくい。
「どうせよそ者だよ」
といわれてしまう。「どうせナイチャーよ」
といわれないようにと忠告されたがします。
沖縄では<どうせナイチャーよ>ということになるのだろう。
日本中、否、世界中どこに行ってもつきまとうことだ。

 公園で3人連れの男たちの会話を耳にしたとき、あのバス停のスナックを思い出したのである。
あの店の客は店の周りに住んでいる連中だったのだ。
飲み方が違う筈だ。
こちらがいくら気を使っても、彼らにとっては気を使ってもらう必要などさらさらないのだ。
「よそ者」で「生活習慣が違う」奴が割り込んで来ただけである。
経験の乏しい世界に入っていくときには相応の覚悟がいる。
<沖縄県人は冷たい>
と早々に引き上げた前出の退職者の彼は、まさにそうしたことだったのだろうと思う。隣人の所為ばかりではない。
友人が言ったように、会社に勤めていたころの習慣が抜け切らなかったこともあるだろう。
彼も今までの習慣から抜け出さないとならないと覚悟していたはずだが、経験のないこと故、思ったとおりにやっているかどうかの判断基準さへ持ち合わせていなかったろうと思う。
ただ、彼に心を預けられる友人がいたなら、こんな哀しい思いをしなくてすんだろうにと思う。 

 「沖縄、沖縄って言わない方がいいわよ」
そういった優子さんの言葉がずしりと響く。
例え沖縄を讃えていても、それ自体がよそ者の証拠。
「よそ者」が居つく場所はあるのだろうか。
転勤族にとっては故郷に帰っても「よそ者」。町並みも変貌し、住む人間も知る人もいない。
歌の文句じゃないけれど「山」「風」だけは変わっていなかった。

 野島さんや優子さんに逢いたくなった。
「お元気ですか」



 



 

沖縄の人情~どうせナイチャーよ~ところ変わっても地域の義理人情は同じ

2009年11月25日 10時26分34秒 | Weblog
 11月中旬、福岡に出向いたときの機上からの雲海。
懐かしく遠い過去を髣髴とさせる雲海だった。
見とれているうちに携帯電話で撮影してしまった。
「まずかったかな」と気付いたときは遅かった。
数十年前に、沖縄へと出張した日々が昨日のことのようの思い出される。

 最近、居酒屋でゆんたく(おしゃべり)していて違和感を感じることがある。
 「沖縄の人と喧嘩をしてはだめよ。勝てっこないんだから、あなたは、所詮ナイチャーだから」
そういって忠告してくれたママがいた。
「ナイチャーの前では、何が正しいの、誰が間違っているのと言うけれど、ナイチャーがいなくなったら<どうせ、ナイチャーだから私たちとは違うんだから>ってことにになってしまう。なまじ議論なんかするもんじゃないよ」
彼女の言葉を肝に銘じて酒場のカウンターでゆんたくを愉しんでいた。
 いつのころからか、自分が県外人(ナイチャー)であることをすっかり忘れてしまっていることが多かった。
 「出身はどこですか」
言葉が違うから、初対面の人によく訊かれる。
そんな時、自分が故郷を離れて数十年になり、異郷の地で生活していることを思い知らされる。心の内で冷めた空気がしばらく取れない。
質問する人には悪気はないだろうが、なぜか好きではない。
必然的に、沖縄と本土の生活や文化そしてとりわけ歴史の違いについの話題が多くなる。

 ある友人は十数年前こんな話をしてくれた。
「沖縄での転勤生活で沖縄にほれ込んだ一流会社の管理職だった男がいた。
退職後、夫婦共々沖縄に移住してきた。
移住はしてきたもの、在任中はだれかれとなく訪ねてきた者たちが退職すると、全くこなくなった。
「沖縄の人間は冷たい」
そういって、ついに沖縄に馴染めず、本土に帰ってしまった。
「会社を辞めたあとでも会社の地位が忘れられないでいたんだ」
件の友人は、退職後の人間関係の意識の転換が必要だと説いた。
このことも肝に銘じておかねば、ときいた。

 この1,2年那覇ではなく、浦添の居酒屋で飲むことが多くなった。
飲み代の安さもあるが、何より自宅からも近く、くつろいだ雰囲気がいい。
 ところが最近になって、その内のある店で他の店のようなくつろいだ気分になれない。ママが何かと忠告してくれるのである。最初はありがたいと思った。
そもそもあまり行儀の良い酒ではないらしいので言動にはかなり気を使った。
「ナイチャートという意識がお客様にある。だから、気をつけた方がいいよ」
といった時は、なぜか面白くなかった。
誰がそうなのか言わない。
これ以上、気を使って飲みたくない。親切心も度を過ぎると皮肉になる。

 その帰り道小佐野氏のことが頭に浮かんだ。
「酒は楽しく飲めばいいさあ。自分がたのしければいいさ」
変わらぬ彼の飲み方であるが、結構、どの店でも人気があるようだ。
「あれかな?」
それでも、あの店には足を運ぶことも少なくなるだろう、と月夜をひとり、家路を急いだ。

沖縄の季節~沖縄も初冬~体感温度は低い

2009年11月21日 18時42分42秒 | Weblog
近くの公園の土手にあるさくらの冬姿。
名護のさくらに遅れること2,3週間で花をつける。
ふた月半もすれば沖縄の足音が聞こえてくる。
沖縄の桜は寒緋桜。一番寒くなったときに咲きはじめる。
桜の名所八重岳の桜は山の上から咲き始める。
見頃は1月下旬から2月中旬までか。
今年はどうかな?


 気持ちに余裕がないとブログも億劫になる。
無精を決め込んでなにもかもやりっぱなしになってしまっている。

 11月に入り、寒さ?を実感するようになった。
今日などは那覇・浦添などは最高22℃だ。
北部ヤンバルは2,3度違うというから、きっと20℃を切っているのではないかと思う。
 先日福岡に行ったが、身を切られるほどではなかったが、11℃とかで寒かった。
背広は合物、パッチをつけ、長袖のアンダーシャツを着込んで出かけた。
もちろんコートは持参した。
寒さはそれほど感じることはなかったが、コートは室外では手放せなかった。
 この日、那覇は26℃だった。
早朝、那覇を出たのだけれど、コートを脱ぐだけで暑さは感じなかった。

 12月から本島地区は曇天の日が多くなり、北風が強くなる。体感温度は実態よりグッと低くなる。
通年を通じて言える事だが、最高気温と最低気温との温度差は3℃くらいであるから、対応はしやすい。
今夕もきっと21~22℃位だと思うが肌寒い。冬もののパジャマに替えた。

 昨夕も近くの居酒屋に顔を出した。
半袖で平気な男も居るし、長袖だけの人、カーディガンを羽織った連中もいた。
まさに、夏と冬が同居している風景は沖縄の気候の良さを物語っている。
もちろん、わたしは冬物のシャツにカーディガン。
帰路、オートバイに乗った若者は厚手のジャンバーを着込んでいた。

 旅の計画をするなら、半袖のウエアも忘れないように。
晴れれば暖かい、県外の人には暑いかも。
しかし、必ず、カーディガンくらいは持参すること。

 ベランダのハイビスカスがいっせいに花を開いた。

沖縄の季節~桜のようなトックリキワタ~花が少ない{/cat_5/}

2009年11月13日 12時39分23秒 | Weblog

これは昨年11月中旬に撮影したトックリキワタ。まるで桜の並木です。


ひとつひとつの花はこんなに大きい。
花が散ると足元はちょうどイチョウの葉が降り積もったような薄紫の花びらで埋まります。


 今年10月26日、蓮華さんから「きれい!」って喜んでいただきました。
そういえば、今年はトックリキワタをみてないなあ、と気づいて自宅の公園や数本の並木のある場所を歩いてみましたが、まばらに花をつけている木を一本だけみつけました。すでに葉をつけていました。

 気になりながらも季節が早いのかな、と案じていました。
11月11日。わたしが最初に見たハーバービューホテル近くの大きなトックリキワタが両歩道にある並木路に出かけてみました。枝が切り込まれたトックリキワタが殺風景に並んでいるだけ。葉もまばらにつけていました。
空港から真っ直ぐに北へ伸びるバイパスを余儀公園を通り、両サイドの歩道を注意深くみながら、浦添市のトックリキワタの並木に入りましたが、並木をを見て驚きました。
昨年の面影はありません。ここの木々も葉をつけています。
数本は花いっぱいでしたが、ほかの木は花はつけてなく、花をつけていても花のつけ具合はさみしいものでした。いわゆる、葉桜のはじめのような感じです。
花にも裏年というのがあるのか。
 今年は旧暦の閏年。
花の盛りはもう終わったのか。
今から咲き始めるのか。
困惑しているところです。

 ブログって怖いですね。十分確認したつもりですが、参りました。
 昨年の記事を見て、楽しみにしている方がひとりでもおられるんだと胸を痛めています。
 月末にでも、もう一度たずねてみようと思います。


 思い起こせば、昨年春先に撮影したイッペーの花も、今年は昨年ほど咲き誇ってはいなかったような気がする。


 

沖縄の自然~街中に流れる川にバン~自然を残す小湾川

2009年11月04日 12時04分28秒 | Weblog
58号線、那覇市から浦添市に入った直後の仲西交差点。
交差点から50メートルほどのところに「小湾川」という小川が流れている。
この川の両岸は護岸工事が施されているのだろうが、両岸に繁茂する植物群の風情が好きで散策を楽しんでいる。鯉かテラピアらしき大きな魚が背びれを素面に出して泳いでいる。
堰が幾重にもあるのになあ、といつも感心して見ていた。




 先日、夕暮れ時、この川岸を散策していた時のこと。
つがいのクイナを見つけた。
赤いくちばしに長い足、黒っぽい羽。写真で見るヤンバルクイナにそっくりだ。
岸辺の木陰と小さな洲を行ったり来たりしている。
ヤンバルクイナではないかと興奮してカメラに数枚収めたが、画像がはっきりとしなかった。
この日は携帯電話のカメラしかなくて、夕暮れ時の薄暮、逆光だった所為かもしれない。

 この地点は散策の引き返し地点であり、この川の近くの小さな居酒屋に寄って帰宅する事が多い。
この日も興奮冷めやらず居酒屋に飛び込んだ。
「小湾川にはヤンバルクイナがいるの?」
店の女将に尋ねた。
「バンですよ」
少しがっかりした。
「あの川は大雨の時には凄い流れになる。不思議な事に、バンのつがいは水が引いた後には、必ず、姿を見せる」
と常連客。
「でも、クイナは飛べないでしょう」
とわたし。
「そうなんだよなあ、不思議なんだよ」
「それに、つがいはいくつかいるよ」
しばし、クイナの話が続いた。
「ところで、魚がたくさんいるけど、鯉、それともーーー」
「ああ、テラピアだ。たくさんいるよ」
と常連客が応えた。
また、がっかりした。
でも、魚体を横にしたとき、テラピアは鯛のように平ペッたい。久茂地川で見るテラピアは横腹は白かったような気がする。まだ、鯉か鮒、または別種の魚ではないかと未練を残している。

 20年住んでいるのに、近くにも知らないことがたくさんある。
やはり歩く事だ。
沖縄にいらっしゃったら是非、1日でも2日でも自由に歩ける時間をつくることをおすすめ。きっと、新しい発見、新しい出会いがあるでしょう。

 そろそろ旅に出てみたくなった。