あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の観光~路線バスで本部半島今帰仁へ。素晴らしい夕陽に出会う~全島エイサー祭りは8月20日から

2011年08月18日 16時12分43秒 | Weblog
クリックしたら大きくなる。
写真は沖縄市から30分ほどの「海中道路」である。

 8月20日15時から沖縄市コザ運動公園で「全島エイサー祭り」がある。
エイサーの本場中部地区の地域の青年団が競ってエイサーを踊る。
必見だ。
詳細はここをクリックされたい。
エイサーのついでに「海中道路」へのドライブを薦めたい。


 8月16日、盆明けで少し余裕が出たということで本部半島の友人の経営するホテルベルモア東洋に向かう。
夕方4時過ぎ、急遽、今帰仁に向かうことにした。
沖縄に居住して20数年になるが、路線バスを利用して本部まで行ったことがないので路線バスを使うことにした。琉球バスと沖縄バスが共同運行する120番だ。
出発するといきなり渋滞に出くわした。
渋滞は北谷を抜けるまで続いた。30分以上の遅れだろう。
北谷を抜けると路線バスらしからぬスピードで一路名護に向かった。
各駅停車の普通の路線バスである。
嘉手納町を過ぎた頃から乗降客がめっきり減った。
急行バス並みでノンスットップである。
急ぐ用件もないので焦ることもなかった。

「下の写真は1年前の8月撮影。嘉手納の某レストランから」


車窓に流れる景色は見慣れたものであった。
妙に懐かしくもあった。
3時間あまりの長いバス旅であったが、十分満喫できた。
乗用車よりも座席が高いのがいい。
途中、「県民の森」を過ぎる。
「野鳥のことを調べないといけないな。そろそろ渡りの時期だ」
と、毎日、楽しみにしているみている鳥ブログの人のことを思った。

「下の写真は1年前の58号線沿いにあるレストランから」


 名護に近づく頃、夕陽が水平線に沈み始めた。
車窓から目いっぱいシャッターを切る。
まぶしくてファインダーなど覗いていられない。
もちろん、ファインダーなどない。
写るだろうかと心配しつつシャッターを切った。
今朝、パソコンに入れてみたら、結構みられる写真になっていた。

「名護市に入り、58号線の車窓から撮影。右の島は本部半島」






 58号線沿線西海岸の写真はたくさんあると思っていた。
デジカメ以前に撮影したものばかりだった。
数枚ある内から昨年のものを掲載した。
これらの近くにはバス停はある。
ゆっくりとデジカメ提げて、58号線を訪ねてみないとならないなと思った。

 路線バスはいい。
この120番は空港から名護行きのバス。
自動車道経由で行けば、時間は半分ほどに短縮されるが単調で、退屈だ。ビジネスならいいが、観光旅行には考え物だ。
辛いのは長時間なのにトイレストップがないことだ。
降車するとき、運転手さんに
「3時間もの間、一度もトイレ休憩がないのは辛いね」
5分でもいい、改善できないかと投げかけた。
バス会社に提案してみようと思う。

終点では10分遅れ程度で済んだ。


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沖縄の観光~観光の宝庫本部半島~今帰仁村周辺の風景と今帰仁村総合運動公園

2011年08月14日 17時17分49秒 | Weblog
 7月下旬、今帰仁村のホテルベルモア東洋の朝。ベランダから撮った風景。
正面の景色がいいが、右から太陽が昇り始めたので左にずらした。
友人の経営する50室あまりの小さなホテル。3年ぶりに泊まった。
低価格で提供するため、極力コスト低減をはかっているが、掃除も行き届いているし、アメニティーグッヅもよくて満足すrことが出来た。
家族やグループには格安プランである。
近くの海浜でビーチパーティするもよし、自然に恵まれたポイントで自由なプランを楽しめる。
車で20分のところには海洋博公園がある。
また、車で5分のところには今帰仁村運動公園が運動の合宿演習には最適だ。




 8時過ぎにホテルを出て、午前中周囲をドライブした。
今帰仁村総合運動公園エントランス。



今帰仁村総合運動公園の一部、野球場。


今帰仁村総合運動公園の一部、陸上競技場。


今帰仁村へのアプローチと周辺ドライブの風景走る車から撮って失敗したが、我慢できる画像をアップした。
良いカメラならピンボケはしないだろうにーーー。
今帰仁村周辺の風景。



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沖縄での出来事~台風9号とちいさな小鳥~沖縄戦ビデオにみる震える男の子

2011年08月07日 23時16分43秒 | Weblog
 
 23年8月7日日曜日、朝8時過ぎ。
この公園の丘の頂上に「ピーちゃん」を埋葬した。
まだ、台風9号の強風圏内で雲が走るように南から北へ流れていた。
時折、秋の初めのような湿った風がビューッと吹き抜けていく。
わずか2時間あまりの命しかなかった。

 8月4日昼過ぎから猛烈な風や雨が荒れ始めた。
台風9号が接近してきたのである。
本島各地で40メートルから50メートルの猛烈な風が吹いた。
道を歩いていた人が50数人、風に飛ばされて怪我をしたという。
雨も止むことなく、休みなしに降り続いた。
 暴風圏内から沖縄本島が抜けたのは8月6日土曜日の夜である。
ずいぶんごゆっくりされたもので、9号は2泊3日の長期滞在となった。
20数年前に、10日あまり台風圏内であったことがある。
また、通り過ぎた台風が行き返して来たこともあった。
やはり沖縄は亜熱帯気候だと納得したものである。

 ピーちゃんと出合ったのは8月6日10時過ぎのこと。
近くのコンビニの駐車場でみつけた。
タバコを買いに出かけたがコンビには台風のため臨時休業。
車を発進させようとしたその時、車のそばを何か黒い塊が風に飛ばされるように動いた。
激しきく降る雨の中へ降りてみると、小さな巣立ったばかりか、巣立ち前かの小鳥の雛が震えていた。
濃いこげ茶色のみたこともない種類の小鳥だった。
逃げようと羽根をバタつかせるが飛び立てない。
容易に捕まえることが出来た。
連れが
「そのままにしときなさいよ」
という。
そうだな、自然のままがいいかと思い直して放す。
2,3メートル飛ぶが、すぐに黒い塊になって動かない。
また、激しく雨が降りはじめた。
車のドアを閉め、窓越しにみる。
突風がその小鳥を襲った、羽根をバタつかせて2,3メートルほど吹き飛ばされた様子。
このままにしておいたら死んでしまう。
野良猫にみつかればひとたまりもないだろう。
風雨の中に夢中で飛び出し、両手に包んで車に乗り込んだ。
「どうするの」
と連れ。
「2,3日すれば飛べるようになるだろうから連れて帰る」

 家に帰っても鳥籠などないし、台風で店も開いてない。
自宅に着くまで、小鳥は両掌の中でじっとしている。
いまにも消え入りそうに小さくて、柔らかくて、暖かだった。
「資源ごみ」をいれるプラスチックの籠の底に新聞紙を敷き、餌のかわりにお菓子のくずを作り、ちいさな適当な水のみをみつけ水を入れた。
お菓子なんか食べるかな、明日になったら鳥かごと餌を買って来ようと決めた。
腹空いているだろうなと思いながら、他に適当なものがないか思案していたら、魚ソーセージがあることを思い出した。
ソーセージを細かく千切っておいてやるが食べないので、指先に乗せて口元に持ってゆくとかぶりついた。
2,3切れも口に入れると大きすぎたのか、噛み砕いていくつか吐き出した。
水も指先に浸してやるが飲もうとしない。
嘴の上で湿らせてやると首を左右に振る。いやいやをしているようでかわいい。
無理か、と思いつつどうすればいいのだろうかと途方にくれる。
しばらくそっとしておこうとテレビをつける。
甲子園高校野球の実況中だった。
そのときだった、突然、ピーピーピーと鳴いた。
しばらくして、また、「ピーピーピー」と鳴いた。
そこで「ピーちゃん」と名づけた。

 1時間ほどして覗いてみるとぐったりしている。
触ってみても翼を動かすことはない。
弱ってるな、そっとしておいたほうがいいだろう。
20,30分ほどして除いて見るとじっとしている。
また覗いてみるが全く動かない。
そっと指でつついてみるが動かない。
ちいさな瞳は開いたままである。
10分後、同じ姿勢のままだった。
「ピーちゃん」と何度も呼んでみた。
そっと手に取り、まぶたをそっと閉ざしてやると眼を閉じた。
死んだ。
直感したが、眠っているかもしれないとそのままにして、ティッシュで布団を作りその上に寝かせた。
時計をみると午前11時45分を少し回っていた。
 それから何度覗いても、ちいさな身体をティッシュの布団の上に横たわり、あのときの姿勢のままだった。
「明日は生き返るかもしれない、ねむっているのかもしれない」
そう思った。

 今朝、早く起きて
「ピーちゃん」
と呼びながら近づいてみた。
ちいさな身体は微動だにしていなかった。
そっと掌にのせるとあたたかだった。羽毛のせいだろう。
 ビニール袋に小さなスコップと「ピーちゃん」をティッシュの布団でくるんで近くの公園の小さな丘の上の松の根元に埋めた。
「ピーちゃん、空がこんなに近いんだ。自由に遊んでね」
そう祈って、家路に着いた。

 ピーちゃんとは、ほんの2時間あまりの付き合いであった。
ピーちゃんの「ピーピーピー」と呼ぶ声は誰を呼んだんだろう。
ソーセージの餌が大きすぎて喉に詰まったのではないだろうか。
嘴の上に水滴をつけたのがいけなかったのではなかったのか。
人間の手で触ったのがよくなかったのでは。そんなことをテレビでみたことがある。
 ピーちゃんと出合った土曜日の朝は広島原爆記念日で、その模様をNHKで実況していた。
このところ、太平洋戦争のさまざまな記録をテレビで観ていた。
それらのことがあってか、妙に心に残る忘れられない出会いと別れになった。

合掌。


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