あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の季節~沖縄本島・本部町伊豆味の「あじさい園~

2015年05月25日 14時41分44秒 | Weblog
 27年5月21日の地元民放で伊豆味の「あじさい園」が見頃との報道があった。翌日、昼過ぎに伊豆味に向った。
沖縄の梅雨は入ったばかり。この日は運よく、小雨であった。
満開時期で、これから日毎に花は少なくなっていくだろう。
往復のルートは恩納村58号線を利用した。時間的な問題もあるだろうが、自動車道と30分くらいしか変らなかった。観光ルートなら58号線がいい、と実感した。
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 6月の初めから咲き始めたあじさい。
今は90歳を越える女性が、数十年の長い年月をかけてコツコツと作り上げたものである。
この日は平日に喪関わらず、お婆やお爺たちをはじめ、若い女性達で賑わっていた。
 あじさい群生の間に咲く見慣れぬ花々が特に印象的であった。
特に、見慣れた「野ボタン」には驚かされた。
20代後半の頃だったか、店頭でふと見つけた「野ボタン」の鉢植えを買い、自宅の庭で、長い間育てていた。
冬の合間は霜や雪を避けて部屋に入れ、大切に育てていた。
沖縄では潅木のように大きくなっていたのだ。



 順路でみつけたこの花はなんというのだろうか。
生き物の目玉のように見え、一瞬ぎょっとした。



 山あいの園の周囲の山々にはいろいろな植物が目に入る。
「いじゅ(伊集)」の花。
石川を過ぎた辺りから、自動車道の左右にも、山々にも目につく。
「いじゅ」が咲くといよいよ梅雨入り入りだと云われている。



 季節の木ではないが、「ヘゴ」は伐採や採取は禁じられている貴重な植物。
この辺りの山野では至るところで見ることができる。



 あじさいの種類は多くはないが、それだけに野趣があっていい。
沖縄本島・本部町伊豆味 あじさい園




 5月23日土曜、娘ほどの歳が違う二十数年前の後輩が、訪ねてきてくれた。
「ダーリンと一緒よ」というから、沖縄の魚をと思っていたが沖縄の豚「アグー」の特上のしゃぶしゃぶにした。
ホテルで待ち合わせ。
やがて、彼女の後からエレベーターを下りて来た「ダーリン」をみてびっくりした。
30年近く前まで一緒に仕事した仲間であった。
「この野郎!」
これが最初に出た言葉だった。
照れた彼と彼女の笑顔が印象的であった。
その夜は、よく食べ、よく飲み、語り、唄い楽しい一夜を過ごした。
痛飲した。
 翌日、くたくたになった身体を起こすこともままならず、怠惰な一日を過ごす事になった。
今朝、爽快な気分で目覚めた。大雨、雷などの注意報が出ていたが、梅雨明け間近と思うほどの青空が拡がっていた。



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沖縄のイベント~第19回オーモリビルメンフェア開催~清掃機器類・用具等の専門業者向けフェア

2015年05月18日 20時09分14秒 | Weblog
 5月13日(水曜日)、沖縄県産業センターで恒例の株式会社オーモリが主催するビルメン業者向けのフェアが開催された。

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 一年に一度、5月の第二水曜日と、開催日は決まっている。
台風6号が接近していて、随分、気を揉んでいるだろうと心配していたが、11日に台風はあっという間に通り過ぎて行った。
人間、真面目に一所懸命やっていれば神は味方してくれるものだ。
 昼前、会場に向った。
時折、厚い雲が通り過ぎて行くものの好天気であった。

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 主催者の大森正信社長は、ブログに何度も登場した那覇マラソンを初回から出場し、昨年の30回大会まで、欠場することなく完走しきった御仁だ。
写真は嫌がるのでスチール撮影したが、多少ぶれてしまった。

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 業界と無関係ではあるが、機器類の進歩には目を瞠るものがある。
ひと通り会場を一巡する。
参加メーカーは30数社であった。
賑わっているところを撮りたいが、人混みの後姿じゃ記念にもならないと、空いた瞬間に写した。

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 合間を縫って一息入れる。

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<余談>
 5月17日日曜日。
「戦後70年止めよう辺野古新基地建設ー沖縄県民大会」が沖縄セルラースタジアム那覇で開かれた。
5月18日沖縄タイムスの1面と最終ページ32面を開いた大画面だ。

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 5月15日は沖縄復帰の日。
翌5月16日の1面に翁長沖縄県知事の記者会見が載った。

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沖縄の史跡~英祖王統伊祖城址・伊祖公園~浦添バイパスを北上 伊祖トンネルの左手の丘

2015年05月05日 13時21分05秒 | Weblog
 晴れの日が続く4月下旬。
久し振りに、前田高地、浦添大公園と続く丘にある伊祖公園を散策した。
伊祖の家並みを左右に見ながら坂道を登りきると伊祖公園の裏手に行きつく。
十段ほどの石段を上りきると正面に沖縄戦の慰霊碑が目に飛び込んできた。

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 人が訪れることもあまりないのだろう、荒れて落ち葉が朽ち、雑草が生える小道を辿る。
鬱蒼とした暗い樹下の小道は、森閑として、所々の木漏れ日が淋しい。
車の多い道路も遠くないのに、ここでは音が途絶えてしまう。

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 小道が二手に分かれる。
明るい空が見える方の上り坂の小道を選んだ。
坂の上に出ると見慣れた光景が広がっていた。
陽が燦々と降り注ぐ公園の緑に安堵した。
小学校の運動場くらいの芝生の周りには植えられた桜の緑葉がさわやかだった。

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 何度も来た筈なのに幾つかの碑があるのに気付かなかった。
伊祖城址と書かれた古い立て札。
伊祖公園が城址であるということを初めて知った。
 ブログに書き留めるに当たって、琉球史をインターネットで調べたが、容易に飲み込めない。
半日あまりかけて、読み漁ったが頭に入らない。更に時間をかけねばならないだろうとあきらめた。
おぼろげながら理解した範囲内によると、伊祖城は英祖王(1229~1299年)の先祖が代々に亘って居城にしていたと伝えられているらしい。
英祖王の没後に三国時代に入るのか、三国時代の最中なのか、その勢力範囲がどのようなものであったか。
隣接する浦添大公園には尚王朝の王墓もあるし、王城が首里に移る前、浦城大公園の高地にあったという文書も見たことがある。その史跡も歩いてみたし、史料館にも行った。
歴史の一時期、伊祖城が有力な王の居城であったことは間違いなかろう。
城址は鬱蒼とした木々に覆われ、石垣の一部を残すだけであった。

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「おもろそうし」の碑文があった。



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 帰り道、振り向くと「伊祖公園」といつも目にする看板があった。
裏口からの進入も馬鹿にならない。
思わぬ発見をするものだ。

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ー伊祖公園・伊祖城址ー



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