あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の風景~基地建設にゆれる沖縄 ・ 辺野古

2016年07月27日 18時41分08秒 | Weblog
 7月26日朝,「どこか、どこでもいいから出ないか」と友人から電話があった。
丁度、退屈していたのでふたつ返事で承諾した。
外はギラギラ照り付ける太陽と熱風でうんざりする。
暑さで意識が朦朧としていたわけではないが、カメラを忘れた。
助手席に座り、手持ち無沙汰で夏空を眺めながら取り留めのない話題で時を過ごしていた。
兎に角北上。と、読谷村に入ったところで、突然、数ヶ月前、辺野古を彼と訪ねた事を思い出した。

 辺野古に行こうというきっかけは、NHKのドキュメンタリーを観たからである。
「辺野古」の文字を見ると「基地反対」一色の新聞やテレビの情報の中で、基地を待ち望んでいる人たちがいるというものだった。
 辺野古に居住する40代前後の男性の言葉が非常に印象に残った。
安全保障上基地が必要だといっているわけではない。
基地による地域経済の活性化を期待しているのだ。他に手立てはない、というものだった。
色褪せた看板、傷んだ塀や家屋のある地区の様子が映し出されていた。
 友人に電話を掛け、辺野古に行ってみないかと誘った。
数日後、友人と辺野古に向った。

 辺野古のある名護市東海岸一体は、沖縄の中では印象深く、思い出のある土地である。
20数年前、沖縄に赴任して来たとき、沖縄民謡「二見情話」に出会った。
着任して間もない頃のことである。スナックのカラオケで「二見情話」を初めて聞いた。
メロディーといい、歌詞といい、画面に映し出される映像に衝撃的な感銘を受けた。
その週の日曜日、ひとり二見に向かった。着任早々、大した仕事もなかった。
名護市から東海岸に向って走る。上りを少々走って峠に出た。
「左二見」の道路標識に沿って、曲がりくねった山道を下る。
麓には小さな村落があるがそれを過ぎて、右手は「これぞ沖縄の海」と感嘆するほどの海岸線を北上する。
いくら走っても「二見」の表示らしきものはない。
誰に訊ねることもなく引き返した。
 次の日曜日、再び二見にに向った。
山道を下ったところの小さな村落が二見だという。下り切った所で集落に入った。
小さな道が集落の真ん中に一本通っているだけで左右は山だ。
その谷間の道を200mも行っただろうか、芭蕉の密生するところで集落も道も途切れた。
みるべき所もなく、車をUターンさせて来た道に出た瞬間、眼前に「二見」とだけ書いた看板があった。
県民なら誰もが知っているという「二見情話」の二見だった。


 二見への道(旧329号線)を降り切ったところで、眼前に広がる海が大浦湾である。
写真奥、右手の岬がキャンプシュワブ。岬の左手の海上が基地建設予定地だ。
今は、峠から大浦湾に出るところまでバイパスが通じているから曲がりくねった山道を通ることはない。
バイパスから右下に二見を見ることは出来るが、初めてこの地を訪れる人は看過ごすだろう。
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 今は、本島を北上するときは、偶に、東海岸を通る。国道329号線だ。
この329号線は、辺野古のの外れを通っていたが、十数年前にバイパスが出来たため、「二見情話」の歌詞にある上り下りの大きな勾配のある坂は緩やかになってしまった。
この日は久志(くし)から旧道に入った。
入ってから直ぐに小さな公園の中に立つ塔を発見した。


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 塔の下部の碑文と右に刻まれた戦没者の碑。


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 辺野古中心地に当たるのか、その時撮影した内の数枚。




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 マスコミに登場する基地反対のテント。
遠くから車のフロントガラス越しに撮った。
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 久志・辺野古・二見・・・・・私の好きな沖縄のひとつである。
あの頃は、政治とは無関係の古き沖縄が残る所くらいにしか考えてなかった。
 マスコミは反対者側の行動だけを報道する嫌いがある。
しかし、賛成側にもいろいろな考えがあることを教えて欲しいものだ。
NHKドキュメントをみながら、複雑な思いに駆られた。
 先日、居酒屋で「反対反対ばかり言って、仕事もせずに過ごせるのは金があるやつばかりだ!」とはき捨てるように云った老人の言葉が忘れられない。



『 二見情話 』 玉城一美 山内たけし




辺野古


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