あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の風物~モルタルに直接描かれた看板~

2008年11月29日 12時00分45秒 | Weblog
ビルの壁面に直接描かれた看板。
今では、市中ではあまり見かけなくなった。
余談だが、台風が来ても沖縄では看板が飛ぶ事はない。
街路樹が薙ぎ倒されても看板は飛ばない。
暴風圏の真っ只中でも会社が休みということはない。



 昭和40年代(1970年ごろ)沖縄の建物にはこうした看板が方々でみられた。
当時、風が強いからだろう、くらいにしか思ってなかった。
復帰後、本土との経済力の差がひどかった時代で、看板なんかに金をかけられないからだと勝手に決め込んでいた。
 どうもそれだけではない。
戦後、沖縄を占領した米軍はあちこちに基地をつくった。
住宅地だったところ、田畑だったところなどところ構わず基地にしたという。
東洋一と呼ばれる嘉手納基地も戦前は沖縄最大の穀倉地帯だったと聞いた。
 終戦直後の世界では、まだまだ戦争から脱却した平和な空気はなかったろう。
日本軍も命がけで戦ったなら、米軍も命がけで戦ったであろうし、自自国の利益を最優先したことは想像に難くない。戦争そのものが自国の利益を守る或いは拡大する事が目的であるからだ。
そんな時代を過ごした人々の感覚を平和にどっぷりつかっている現代の我々の感覚をそのまま当てはめるわけにはいかない。
また、当時は既に東西冷戦が始まっていた。アメリカには日本にはない危機感があった。
 ある日、突然、
「〇月〇日基地建設の為、土地を接取する」という米軍からの通達が来る。
収穫前の芋畑であっても、ブルドーザーは踏み潰して行く。背中に乳飲み子を背負った若い母親がブルドーザーの前に身体を投げ出して止めようとするが、容赦はなかったという。この場面は、20年近く前、琉球新報だったか沖縄タイムスだったか
、終戦後の沖縄を連載していた「瀬長亀次郎」の記録で読んだ。
 想像するに、住宅地を追われた住民は雨露を凌げればよかったのだ。
だから、家々の作りはモルタルで生地そのままであった。タイルなどの化粧をした建物は珍しかった。看板も壁や軒先に直接描いた。20年前の沖縄の風景である。
 全土を焦土と化した沖縄、地上戦が展開された沖縄。
このような風景を見るたびに、平和のありがたさを実感できる。
この戦争の犠牲の上にあるこの平和。
戦争で死んでいった多くの兵や市民の犠牲があったからこそのこの平和。
その死を無駄にしてはならない。
「だっからよう~。なっくるなるさ」
陽気な沖縄に「幸あれ」と祈る!
 

懐かしい沖縄の文化~酒代はお酒の量~

2008年11月19日 11時46分29秒 | Weblog
 沖縄は亜熱帯性気候で落葉する木は少ない。
隣家の寒緋桜の冬支度をした姿。
沖縄では珍しい枯れ木の姿だ。
この桜も正月が過ぎるとひとつふたつと花を咲かせ始める。
 きょうは最高気温が20℃と予測された。
2週間までは夏日が続き、30℃を越す真夏日があったというのに。そろそろ、衣替えを急がねばならなくなった。それでも日中の温度が15℃を切る事は、年内はないだろうと思っている。

 もう都会では出会うことがなくなったが、ほんの10年前まで、那覇市内のスナックではボトル半分をキープできる店があった。
 1年半ほど前から、浦添市の屋富祖に通うようになった。ここには、昔のそうした半分キープの面影を残す店がある。
 屋富祖へは58号線屋富祖交差点から右に入るとすでに屋富祖大通である。
那覇市内からだとタクシーで1,500円くらいだ。
華やかだった頃の昔の面影はないとこの街で青春を謳歌した古老たちが懐かしげに言う。
 この街でもボトル半分キープという店に出くわした事はないが、酒で勘定するといった名残がある。
泡盛のキープは3,500~5,000円、ウイスキーは5,000円から。高級な酒を注文すると10,000を越える。
キープがあるとどんなにつまみが出ても、ひとり1,000円から2,000円。長い時間居たからといってテーブルチャージを取られるわけではない。
馴染みさんが久しぶりの連中に逢うと何時間でも長居する。
 沖縄に来た当初は、腰を据えたらデンとして動かない当地ウチナンチューの飲み方を結構非難したものだが、最近、この勘定の仕方も合理的と気付いた。
長くいるだけ、また、つまみが美味ければそれだけ客は長居して酒を飲む。
勘定するほうも使うほうも明朗会計だ。
「あそこにキープがあったな」
金が乏しいときでも計算が出来るからついつい足が向く。
1ケ月が経ってみたら、ずいぶんと通っている事に気付く。
100円ショップに寄って、店を出るときは1,000円くらい払っている。
そして、そのほとんどが未使用のままだ。
 沖縄の事情に疎い人は注意が必要。
那覇など県外人(ナイチヤー)が集まるところは本土並みの計算をする店が増えている。混合態もある。
クラブでない限りひとり10,000円前後を覚悟してゆけば、結構、冒険できる。
法外な請求をする店もある。自分はそんな店に出くわした事はない。どうも鼻が効くらしい。
ウチナンチュウが「行くな」というところには、大体、行ってない。
あくどい店は日本中どこにでもあるが、沖縄は少ないと思っている。

 「屋富祖なんかで飲んでるの」
とナハンチュー(那覇の人)はいうが屋富祖も捨てたもんじゃない。
昔は、那覇の「松山」といえば高級クラブやスナックの集まった沖縄の社交街の代表格だったかもしれないが、今じゃその面影も薄れた。
結構、屋富祖も楽しいと、自分なりに粋がっている。




冬来たりなば遠からじ。~58号線沿道に咲き乱れるアリアケカズラ~

2008年11月17日 14時52分16秒 | Weblog
アラナンダ。和名 アリアケカズラ。熱帯アメリカ原産。
58号線や垣根などたくさん見る事ができるツル科の植物。
県民でもゆうなの花と間違えることがあるが、似て非なるものの代表的なもの。
ゆうなと違って花びらが肉厚である。
戦後、米軍が持ち込んできた代表的な植物だ。


 きょうは福岡は雪模様という。
朝から結構「寒いな」と感じる。本土との差が15℃以上になる。
本土からの観光にはコートは要らない。
しかし、半そで半ズボンという真夏ファッションはいただけない。
これからは、時々25℃を越える日はなくなるので、長袖、カーディガンかセーターくらいは持ってきてほしい。

 1月下旬に入ると寒緋桜が咲き始める。
やんばるの山々は満開になるが、那覇の満開時期は2,3週間遅れる。
 寒緋桜は山の上から咲き始める。
春の花は麓から咲き始め、秋の紅葉は山の上からというのが常識だが、私の知る限りでは山の上から咲き始める花は寒緋桜だけだ。
どなたか知っていたら教えてください。

 このころ、JTBが主催する「杜の賑わい」が宜野湾市のコンベンションホールで開催される。JTBの各支店ではツアーを募集しているから、これを利用する方とよい。
沖縄の民謡や唄、踊りを繰り広げるページェントでおすすめだ。
一堂に地元郷土芸能関係者が総出ときく。毎年行くが、この頃は沖縄現地販売の入場券が手に容易に入らなくなった。

 少し寒い沖縄の冬。
沖縄の冬はイルミネーションが満開。12月は見頃だ。

トックリキワタの美しい季節も終わった~沖縄も23℃~

2008年11月10日 12時55分28秒 | Weblog
桜並木ではありません。トックリキワタ。
10月から11月中旬までが見頃。
写真は、那覇市与儀公園前の神原中学校正門から撮影した。
環状2号を古島からバイパスに浦添・宜野湾向けに入ると両側がトックリキワタの並木だ。
国際通りを出て、県庁前を左折し、右側に県庁、県警の建物をみながら歩く。県警を過ぎた交差点をまっすぐ進むとトックリキワタの大きな並木道に出る。この間、徒歩で10分。
10月にはいれば見頃だ。


 昨日、「ツールド沖縄」、自転車のロードレースがあった。
あとひと月もすれば那覇マラソンだ。
那覇マラソンの応援風景がとても好きだ。
沖縄の朗らかな。明るい生活文化がみえる。
方言の大声が乱れ飛ぶ。
知らない人にでも声をかけて、おばあが食べ物を手渡す。
刈り入れ時を目前に控えて伸びきったサトウキビの中を走る姿はいい。
平和祈念公園に車をおいて応援しよう。ここが折り返し点だ。

 そろそろ沖縄も冬に入る。
冬になると沖縄の天候は北の影響を強く受ける。
「福岡が風邪を引いたら、沖縄はくしゃみをする」
沖縄の気温が15℃を切るときは、福岡は雪だ、寒波が襲っている。
それでも、那覇が10℃を下る事は殆どない。
 沖縄の気候の本土と違う点は、昼と夜の温度差があまりないことだ。
せいぜい5℃。下着の調整で充分なことだ。

 1月に入ると曇天・雨天が多くなる。
雨天・曇天は3月はじめまで続く。
それでも、1月下旬には、寒緋桜がほころび始める。

「冬来たりなば春遠らじ」は北国の話。
「冬来たりなば春のはじまり」である。

勝連半島とその周辺~勝連城跡と帰路の泡瀬~

2008年11月05日 09時30分48秒 | Weblog
 写真は北中城(きたなかぐすく)村側の泡瀬埋立地を通る往復4社線の道路である。国体があった運動総合公園付近の写真だ。
冬になると並木は落葉する。
落葉樹が少ない沖縄で、四季がはっきりする沖縄の並木道のひとつだ。



 海中道路への往路、復路いずれでもよいが、沖縄の統一王朝、尚王朝が誕生前後に歴史の舞台となる城である。踊りや芝居でも演じられるところであるから、是非、立ち寄って欲しい。
石垣が残る城跡だが、最近は整備されて歩くのにも楽になった。世界遺産に登録された所以かもしれない。
 更に、城跡を出て左に行くと1キロ余りで交差点に出る。この交差点を左に折れる。
泡瀬、中城、総合運動公園などの案内表示が出ているはずだ。
左折するとやがて左手に工場群が見えてくる。右手に大きなスーパージャスコを過ぎると埋立地泡瀬の町だ。更に車を進めると多少町っぽくなる。泡瀬の中心地区だ。
この町の左奥に「サムズバイザシー」というレストランがある。
海沿いのレストランでポリネシアン風の客席と夕闇から夜にかけての雰囲気がいい。
外人も多く、異国情緒豊かな時を過ごすことが出来る。
料理はステーキと伊勢海老が中心。飲み物が結構揃っているのが楽しい。
飲酒運転は駄目。沖縄を遠い外国と勘違いするのか、南国の開放的な空気がそうするのか、レンタカーの雑な運転が目立つ。今は、沖縄でも飲酒運転の取締りが厳しいから、運転手はアルコールを絶対に口にしないように。
外国と同じように、食事にゆったりと時を過ごすのがいい。
海側の席を取るためには前以て予約しておくと良い。
電話は 098-937-3421。
大体一人当り5,000円前後だが、8,000円あれば贅沢できる。因みに一品料理だと1,800~6,000円だ。

帰りは那覇まで小1時間かかる。夜のドライブに見る夜景も好きだ。