あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み20数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄での生活 ~ パソコン買い替えた②  ~ 漸く見つけたパソコンプロ「パソコン修理屋沖縄」

2018年05月05日 18時42分42秒 | Weblog




きょう(4月26日)、近くの店に行った帰り。
公園の百日紅に大きな花らしきものが見えた。
百日紅じゃないことはわかる。近づいてみると胡蝶蘭だ
根を水苔でくるんで幹の間に植え付けたらしい。
周囲を見回すと、何本もの木に植え付けられている。胡蝶蘭が満開だった。
そういえば、未だ百日紅が咲いていない。今年は遅いなあ。




 パソコンの反応が見事に遅くなった。
ひとつのブログを観て、簡単なコメントを書くだけで20分ほどかかるようになった。
パソコンが機能不能になる前にデータの取り出しだけはしておかねばなるまいと考えていた。
 1月19日(金)、昼過ぎにパソコンの前に座った。
電源を入れた。いつものように画面が変わっていく。
コーヒーがなくなったので立った。
2,3分して戻ってみると未だトップ画面が出ない。
「えっ?」と不吉な予感にかられた。
画面はトップ画面になった瞬間、また最初の起動画面に戻る。この動作を繰り返しているのだ。
何度も電源を切ったり、コンセントを抜いたりして試みるが症状は変わらない。
その内、全く反応しなくなった。
パソコンメーカー、プロバイダーと思いつく所に電話をするが要領を得ない。
取り敢えず、言われるままにやってみるが駄目だった。
 夕方へとへとになった。パソコンに詳しい知人を思い出したが亡くなっていたり、本土に帰ったりと身近には思い当たる人物がいない。
ふと、ある居酒屋を思い出した。
毎日のようにカウンターに座っている男がコンピューター関係の仕事しているということを思い出した。
いつもは20分余りで歩いていくところだが、タクシーを拾った。
暖簾をくぐると・・・居た!
落ち着きを装い、酒を二口、三口飲んで、パソコンの状態を話した。
「ドライバーがイカれているのでしょう」という。
「もう充分働いてくれたから・・・。データだけでも取り出せますかね」
「話を聞いた限りでは取り出せますよ」と、大型パソコン専門店を教えてくれた。
「しかし、最低3~4万はかかるでしょうね。5万は行かないと思いますが・・・。個人でやっている人だったら半分以下でしょう。ちょっと心当たりを考えてみましょう」
買い替えは覚悟していたから、データを復元できる可能性が高いのに胸を撫で下ろした。
その晩は、その店で遅くまで飲み唄った。

 翌日、一日中待ったが彼からは電話はなかった。
急を要するようなことを言わなかった事を後悔した。
 その日の夕方だったか、翌日の日曜日だったか、無為な一日が終わろうとしていた時、閃いた。
多分、日本一安い』と控え目にタイトルの付いたブログが、「沖縄」の4,5位にあった事を思い出した。
「多分、日本一安い」の多分が気に入ってメモをしていた筈だ。
A4の裏や広告の裏を半分に切って雑事をメモっている。
30分ほどでメモは探し当てた。
記憶では個人でやっていると携帯電話を書いてある。
 早速、電話した。すぐに繋がった。
「持ち込みか訪問かによって基本料金が変わる」との説明。
「どちらにしますか」という。
訪問診断は5,000円だという。その後の料金は作業により加算されるのだ。
訪問を依頼した。
「21日月曜に伺います」と。午後の時間を予約した。

 月曜日、時間どおりに彼は来た。
2,3言葉を交わしただけで作業にかかった。
生来、口達者な技術屋は好きでないから、第一印象に安心した。
一所懸命な彼を尻目に、何かと時間を費やしたり、作業を覗き込んだりして過ごした。
2時間も経った頃、「ひと休みしませんか」と声をかけ、近くの喫茶店に誘った。
「どうですか」と訊ねる。
「ドライバーが駄目になっているようです。もう少しチェックしてみますが、直るかどうか?」
「もう替え時でしょう、ずいぶん、騙し透かしして使って来ましたから・・・。Windows98からXPに替えたときは1年位苦労しました。知人の”8”を操作したことがありますが、大変でした。”10”は大分良さそうですがどうですか?素人でロクに勉強もせずに、いきなりワープロからパソコンを使っているものですから基本的なことは全くわかりません。パソコン用語辞典を買ってやっていますが基本がわからないから駄目ですね」
買い換えるつもりで訊いてみた。
「”10”は未だ問題があるかもしれません。私は”7”を使っています。20年でアフタケアが切れますけど、その内、”10”の改良版が出るはずです」
パソコンが駄目になるか命との競争だな、と腹で苦笑いした。
「一台良いのがありますよ。勿論、中古ですが」
パッと目の前が明るくなった。
買い替えは中古でもいいかと考えないでも無かった。
しかし、故障やわからない事が出たら、パソコン屋にどう対応してくれるか不安だった。
彼から購入すれば、簡単なことは対応してくれるはずだ。まさに渡りに舟じゃないか。
「いくら位ですか」
「データを取り出して、移行しますから全部で・・・・・」
データ取り出しにはかなりの時間がかかるという。
「お願いします」と即注文した。
「持ち帰られて続きの作業をされませんか」相当時間もかかるらしかったから、そう伝えた。
「3日間位時間をください。持ち帰ります。すぐ使えるような状態までやります」
1年余りモヤモヤしていた濃霧がパッと開けた。

 アフターケア、アフタフォローと、我々の時代は買っていただいた客の面倒をどうみるかが重要だった。
それによって、顧客として定着し、安定顧客となる。
アフターケアであたふたしないためにも、購入前の説明は重要だった。だから、説明は丁寧だった。
近年、大型店が幅をきかせるようになって、アフターケア、アフタフォロー等という言葉は効かなくなった。
 2,3年前だったか、テレビを買い替えた。5年保証とあった。
昨年末、リモコンの調子が悪くなった。
購入した大型店に電話すると「リモコンは保証対象外です」ときた。
「いくらですか」
「5000円です」
今やリモコンはテレビの一部のはず。文句を言う気力も失せた。
数日間後、リモコンは治った。
 自宅近くのカメラ屋で、10数年前だったか、デジカメを5万少々で買った。
4,5年前、こいつの調子が悪くなった。買った店に持っていくと、
「メーカーに出してみないとわかりませんね。SDカードが壊れているかもしれません」
メーカーに出して原因を調べるのに1万数千円かかるという。
「SDカードで試してください」というと
若い店員は
「このカメラ用に作ったSDカードですから店にはありません。メーカーにはあるかもしれません」堂々としたものだ。
「お客さん、それだけの修理代を出すなら、1万円少々でデジカメがありますよ。デジカメの技術は、年々、猛烈に進んでいます。1万円のカメラでも、このカメラ以上の性能です」しゃあしゃあと言って退けられた。
 一ヶ月後、その店が暇なようだったので入ってみた。
その日は件の店員はいなかった。
30代の真面目そうな店員をつかまえて、
「ブログに使うだけなのですが、どの辺りのカメラがいいでしょうか」
「写真を趣味にしておられるのではないですね」そういいながらカメラの並んだ棚に連れて行かれた。
新機種売出しキャンペーンの飾りがしてあった。
カメラは1万円前後である。
「もう少しいいのでいいんだけど?」というと
「ブログに使うくらいなら、これで充分です。高いカメラを買っても1年ではもう古いというほど技術は進んでいます」
「それに修理は販売店では出来ません。みなメーカー送りです。修理代はカメラの価格に応じて高くなります」
 カメラも消耗品か、と納得行かない気分で、その日は店を出た。
1,2年使えればいいや」と覚悟して、2、3日後、勧められたカメラを買った。
今年2月まで使った。

 ノウハウや技術は会社にはつかない、個人ひとりひとり人間につくものだ。
マニュアルやデータだけでは充分に伝えることは出来ない。
人間そのもの価値観が尊重される時代はもう来ないのだろうか。

 彼のブログはここをクリック。




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沖縄での生活 ~ パソコン買い替えた①  ~ 今も残るバブルの体質 

2018年04月27日 16時21分56秒 | Weblog


 10月には咲き始め、12月まで花を咲かせ続けるトックリキワタ。
満開の時には桜並木かと見紛うほど薄紫の花が美しい。
このトックリキワタは、昨秋は数える程の花しかつけていなかったはずなのに、4月はじめのある日、ふと見上げた青い空にいくつかの実をつけていた。



 Windows98からXPに替えて10年ほどになる。
ウイルス対策がXPにも対応していたので使い続けていた。
ずいぶんガタが来ていた。
CDも使えなくなったのが3年前。USBで何とか凌いで来た。  
立ち上げにひと仕事できる程にスピードダウンしていた。
勿論、インターネット接続や様々な作業にも、ずいぶんと時間がかかるようになった。
新幹線で作業が出来ていたのが、特急になり、快速へ。昨年にはローカル線の普通列車並みになった。
これはどうにもならんと覚悟を決めたのが今年のはじめ。

 正月明け早々、大手家電量販店に下見に出かけた。
パソコンフロアーには目もくらむような種々の機種が並んでいる。
何がなにやら、どのように機種を選べばいいのか、さっぱり見当もつかない。
Windows10が何やら問題になっていたことを思い出す。
30分余り見て回ったが選択の糸口すらみつからない。
 フロアーに屯する店員に恐る恐る問い掛けた。
「パソコンを買い替えたいのですが、どう選べばいいですかね」
「何のために、どう使うのかがわからないと・・・どう言ったらいいのかわかりませんね」
見事な返事が返ってきた。しばらく考え込む。
「そうか、それもそうだ」
その店にいる気も失せてそう言って店を出た。
急ぐこともないし、じっくり考えようと。

 帰り道、何かしっくり来ない。
質問した方も無茶だが、整理したところで、こいつ等には相談したくない、信頼出来ないなと思った。
うまく伝えられないから、野暮な質問をしているとは慮ってはくれないのか。
AIロボットの対応と変わりない。これで給料もらっているんだ。
専門家なら客の質問の何たるかを導き出してくれてもいいはずだ。
「何でわからない!何処がわからない!」
学校の先生にもこういう奴がいた。
わからないから答えようがない。頭の悪い先生だなと感じたものだった。
バブルが弾けたといっても、中味はバブルの時、そのままだ。専門家がいない。
半素人がプロのように振る舞っているだけだ。バブルの時代をそのまま引きずっている。

  きょう、昼食の後、ぼんやりとみるとはなしに、テレビの前に座っていた。
小学校高学年のクラスの「シャッター商店街を元気づけよう」というドキュメンタリーをやっていた。
ある一場面にハッとした。
シャッター街でも頑張っている店の人に、思いや意見を聞いてみようと子どもたちがインタビューすることになった。
インタビューに答える店主の言葉。ある子供が、
「どうしてお店を閉めないでがんばっているのですか」というようなことを尋ねた。
「新しい商品が出たよとか、この酒もどうですかとか、お客さんと会話が出来るし、絆も生まれる」
と酒屋の店主が応えた。
 商店街が繁栄した頃はそうだった。
魚屋は「生きのいい鯵が入ったよ」と声をかけ、捌き方から食べ方まで教えてくれた。
八百屋も「旬の筍が出たよ」「きょうは白菜の大安売りだ」料理法や保存の仕方まで教えてくれた。
洋服屋もこれからの流行の傾向まで情報を提供してくれた。
最近、ブログの投稿が滞りがちになっていた。
この気持を残しておこうと腰を上げた。4月25日の夕方である。

 20数年前、ある鮨屋に立ち寄ったことがある。
ひと頃は那覇市の中心的な繁華街だっという前島のバス通りに面した落ち着いた構えの店だった。
はじめての店だった。夕方の客の少ない時間だったので、
「ここに座ってもいいですか」とカウンターの男に声をかけた。
男は料理する手をやすめるでもなく、下を向いたまま、
「どうぞ」と云った
目の前の男は「板長」と呼ばれていた。
「きょうは何がある」と声をかけると、「馴染みでも奴が何を言っているのか」みたいにちらっと顔を上げた。
その時、お茶を運んできた清楚な感じの中年の女性が、
「きょうはキハダが入っていますよ」と明るく会釈してきた。
「そうですか、きょうは白身かイカをたべたいなあ」というと
「久し振りにヤリイカのいいのが入りましたよ」と即座に返ってきた。
「そのイカにしましょう。短冊にしてください。それと熱燗一本」
「お酒の銘柄はどれにしましょう。ここは沖縄ですから、お酒の種類はたくさんないのですけど」
「一番良く出ている銘柄がいいです。冷酒なら冷酒でも構いません」
沖縄は泡盛かビール。日本酒を飲む客は少ない。
現在では、松山や久茂地あたりでは日本酒を置いてある店は増えたが、当時は鮨屋くらいであった。
封を切って10日以上も常温で保管しているから、燗冷ましの酒の味そのものであった。
イカも酒も美味しかった。
イカの新鮮な鮨屋は物がいい、という自分なりの評価をしている。余談だが、この基準は今も変わらない。
彼女に勧められるまま、2,3品を追加し、酒も2合ほど飲んで店を出た。
思った以上に勘定も安かった。
その女性はこの店の女将で、板長と呼ばれていた男は店主であることを、後日知った。
それ以来、少しばかり遠かったけれど、刺身を食べたいときはこの店の暖簾を潜った。
1年ほど経ったある日、女将のいない日があった。最初に座ったカウンターの位置に座った。
「きょうは何がいいかな?」と陳列棚をみながらつぶやくと、
「お客さん、ここに入っているものはどれもいいですよ」と板長が切口上に言った。
「それもそうだろうね」と半ば白け気分で2品ほど食して、早々に引き上げた。
それから10日ほどして立ち寄ったが女将がいない。
この日も早々に引き上げた。
それ以来、この店に足を向けることはなかった。
 数カ月後、とある馴染みの小料理屋の若女将から、夫婦別れして女将が出て行ったことを知った。
「きょうはイカはお勧めできませんね。これこれは嫌いですか?」
と穏やかに笑みを浮かべて、勧めてくれた女将のように心遣いの出来るプロに出会うことはなかった。
今では、顔も忘れ、出合ってもわからないだろうが、心地よく頂いたことだけはよく覚えている。

 バブルの時代、金が社会に溢れるほどあると皆錯覚した。
金さへ出せば何でも買える。品物さへ並べれば何でも売れる。
大した説明も必要なかった。
大型店は方々に出現した。
豊富な品揃えをし、車社会に対応する駐車場を確保すれば、一箇所で全て欲しいものが手に入る便利さに客は集まってきた。
何も説明する必要はなくなった。
売りたいものをチラシや陳列で一方的に情報提供すればよかった。
多種多様に並べられた商品の説明など必要ないし、又、そんなことは出来もしなかった。
バブルが弾けても、そうした供給側(売り手側)の変質した社会の本質は変わっていない。
 バブルの前、ひとりひとりが売るために商品知識のみならずあらゆることを吸収しようと必死に努力をした。
そうでない者は社会の隅に押しやられた。
「お前らを育てるために、会社は最低3年間は給料払って育てている」と新入社員当時、先輩からよく言われたものだった。
「給料並みに仕事が出来るのは5年先だ」とも言われた。
 バブル期に入ると、社員教育は軽んじられ、代わりに「マニュアル」が大切にされ始めた。
時と共に、マニュアルはいよいよ重要視されるようになった。
そうしてロボットが登場する。
AIロボットに至っては万能近くまで発達した。
「必要は発明の母」ともいわれていたが、その通りになった。



 少々疲れたので、近くの公園に出かけた。
62段の階段を上る。
晴れた空が心地よい。
NHK大河ドラマ「西郷どん」ではないが、「きょうはここまででよかろうかい」



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沖縄の女の子 ~ 無心に縦笛を吹きながら ~ 2月終わりの夕暮れ時  

2018年03月05日 16時34分36秒 | Weblog
 2月の終わりの夕暮れ。この日も2月の沖縄らしくなかった。
どんよりした雲はどこへやら、青い空の下、陽射しをいっぱいに浴びたツツジが満開だった。



 夕方6時前、ぶらりと外に出た。陽射しは弱いけれど、未だ明るかった。
快い風に吹かれていると、いつの間にやら馴染みの居酒屋に向かっていた。
公園の角を回って右折したところから、ピーピッピーピーという何ともしれぬ音がする。
何だろうとあたりを見回すが、それと思われぬものはみあたらない。
夕方の混雑で混んだ車列の反対側から聞こえているらしい。
いくら探しても正体を確認することが出来ず、諦めて歩き出した。
相変わらず「ピーピッピーピー」と音がする。平坦な音である。
 信号が赤になったので反対側の歩道に向かって交差点を渡った。
その時、「ピーピッピーピー」が傍に立った。
小学校1,2年生くらいの女の子が頻りに指を動かしながら縦笛を吹いている。
よく見ていると穴を押さえる指は規律よく一定の穴を押さえている。
「ピーピッピーピー」「ピーピッピーピー」
信号が青に変わった。
女の子は私をちらっと見て、走り出そうとした。「待って!」女の子に叫んだ。
瞬間、左折してきた軽自動車が猛スピードで走り去った。
「いいよ」と言うと、女の子は小走りに信号を渡った。
ゆるやかな坂道を下る。
驚ろかしたかな?悪い事したな、と5,6メートル先をゆく女の子の小さな背中に詫た。
相変わらず「ピーピッピーピー」「ピーピッピーピー」と笛を吹きながら歩いている。
 左肩から右の脇に掛けた布製のカバンがゆれる。
足元はビニール製かプラスチック製か、最近良く見かけるツッカケを履いている。
この子の足にはどう見ても大きすぎる。
ふと、この子が半袖半ズボンであることに気づいた。そして、色あせた着衣にハッとした。
ある哀しい想像が襲いかかって来た。わけもわからぬ後ろめたさに苛まれた。
 ふいに女の子は溝蓋にでも引っ掛けたのか転びそうになった。
立ち直り、振り返って、私の方をみてニッと笑った。
あのあどけない、照れ笑いは今も脳裏に焼き付いている。
 「大丈夫?」こくんと頷いた。
「笛、習ってるの?」
「ううん、きょうもらったの」
「そうか」
これだけではよくわからないが、話しかけても嫌がるだろうと並んで歩くことになった。
と突然、女の子が話しかけてきた。
「3年生になったら習うの。わたし、まだ2年生だから・・・」
「もうすぐだね」
「うん」とこっくり頷いた。
ファミリーマートの舞えを過ぎても女の子は私の前を行く。
道は上りになった。
私が思い込んでいた小学校ならもう2km近く離れたことになる。
時計を見ると6時2,3分前。
「遅くなったね、お母さん心配してないかな」
というと、小首を傾げて私を見上げ、
「ううん」と小さく云った。
転びそうになって、ニッと笑ったときから、何やら和んでいた心が、また、沈んだ。
「学校は**小学校でしょう」「こんなに遠くから通っているの」
「遊んで帰っているところ」
「じゃ公園に遊びに行ったの?」
「ううん、学校に遊びに行ったの」と弾けるようにいう。
坂を上りきった辺りに信号がある。
「青になってもさっきのようなことがあるからね」
2,3歩交差点に入ったところで、
「いいよ!」というと脱兎のように走って渡った。
「お爺は真っ直ぐ行くから、気を付けてね」
「わたしの家もまっすぐ」と添うように一緒に歩く。
10メートルほどのところから私は左折して路地に入る。
「お爺はここで曲がるからね」
「私の家もこの道からも行けるの」
長い付き合いのような気持ちになってきた。
私の前を歩いたり、後になったり、200メートルも歩いたところで、女の子は立ち止まった。
十字路である。ここで別れるんだ。
「気を付けてね。また、どこかで会おうね」
そういって手を上げた。
女の子は何も言わなかった。
「この道からも行けるの」
女の子から聞いた最後の言葉だった。
私は振り返らなかった。振り返れなかった。

 あの子と別れて一週間になる。
なぜか忘れられない。
あの間は10分足らずの出来事だったのに。



 2月、天気の良い日に自主トレに通う整形外科の道すがら撮影した。














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沖縄の季節 ~ 台風の目 ~ 平成29年10月28日台風22号の目

2017年12月26日 14時25分17秒 | Weblog
 平成29年10月21日(土)には台風21号が沖縄本島と大東島の間を大東島寄りに北上した。
大東島は大変な被害を蒙ったようだが、沖縄本島は暴風圏には入ったと言え、大した被害もなく台風は通過した。
 一週間後、10月28日(土)には台風22号が本島を襲った。
本島東海岸を北上したのだが、自宅の地域も台風の目に入った。
勢力が猛烈でなかったからだろう、台風の目らしくない空だった。
 吹き荒れていた雨風が、突然、静かになった。
10分ほどして、「若しや?」とベランダに出た。空を見上げた。
黒く厚かった雲は何処に行ったのか、風は止み、雨も落ちてきていない。
時折、青空さえ覗く。表に出てみた。



 表に出たところで、7,8歳くらいの男の子が歩いてきた。
「ぼく、危ないよ。台風の目だからすぐに嵐になるよ」
「知ってるよ。20分くらいは大丈夫だよ」
澄ましたものである。さすが台風に慣れている。
 自宅のある地域は30m以上の台地の窪地になっている。
ここに住むようになって、周囲に被害らしい光景を見たことがない。
しかし雨戸がないので、風圧でガラスが割れるのじゃないかと冷や冷やしたことは何度もある。
今回もそうだったが、何事もなかった。
ベランダの大きい鉢やプランターボックスは、風の強さを予想して部屋に取り込んだり、ベランダに置きっぱなしにする。
この2,3年取り込むことはなかった。
しかし、ブーゲンビリアは22号で見事に枯れ木のようになった。
10月、11月はブーゲンビリアの最も美しい時期であるが、未だに、枯れ木同然である。

10月16日:台風前のブーゲンビリア



10月21日:台風21号通過後のブーゲンビリア


10月28日:台風22号通過後のブーゲンビリア





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沖縄の風景 ~ 空寿崎・亀瀬(カーミージー)御獄(ウタキ) ~ 浦添西海岸道路(沖縄西海岸道路の一部) 開通間近 ~ 

2017年10月21日 19時47分17秒 | Weblog

 今年もよく咲いたゼフィランサス・カリタナ。
夏の終わりごろから一斉に2,3度花を咲かす。
これによく似たタマスダレという白い花がある。タマスダレと違うらしい。
あれこれ調べてみた。コサフランモドキにもよく似ているが、カリタナに特定した・・・・が?



 浦添西海岸道路が今年度中に開通するという記事を数日前に読んだ。
以前から気にかかっていた「亀瀬御嶽(カーミージー)」を見に行った。
地元の人たちが、「カーミージー」と呼ぶ御願所(ウガンジョ)は、キャンプキンザーの外れにある。
58号線からは離れているので一般の人たちには知られていない。
こども達の遊び場(海水浴)にもなっているので、一帯の人達には身近な存在だ。
私も訪れるのは初めてだったので地元の知人に案内してもらった。

 58号線牧港から左折、沖縄電力の前を通り、7~800mほど行ったところにキャンプキンザーの門がある。
この門前を右折する。
300mほど行くと工事中の看板があり、視野が開け道路造成中の工事現場が目に飛び込んできた。



 工事現場がフェンスでガードされているため、ここで車を降りてフェンスに沿って炎天下を歩く。
10月というのに、暑さは真夏並みだった。暑さに閉口しながら乾き切った小道を進む。
突然、左手にトンネルが現れた。
トンネルの上が工事中の浦添西海岸道路だ。




 トンネルを抜けると真っ青な東シナ海が眼前に広がった。
その先に大きな岩礁があった。
「カーメージー」だ。なるほど、 亀の形に見える。



 この岩のような岬の上に「亀瀬御嶽(カーメージー)」という拝所がある。
カーメージーを左に、右には完成間もないだろう道路の橋梁が見えた。
湾曲した小さな浜辺は、子供たちにとっては、恰好の海浜だろう。



 白く光る砂浜はサンゴの砕けたものだった。



 「この暑さは我慢できないね。また、涼しくなったら来ることにしよう」
そういって、逃げるように帰路についた。
帰宅して調べてみると、ここは「空寿崎(ウジュザキ)」とあった。

<余談>
 空港から読谷村の50km余りが国道58号線のバイパス道路として大掛かりな工事がおこなわれている。
空港から那覇の区間は海底トンネルを抜ける道路が開通している。
那覇以遠のルートや工期を検索してみるがみつからない。
後日、全路線のルートや竣工状況を確かめてみることにした。
 浦添市西洲と浦添市北部区間については、浦添市の情報で確認できた。
この区間には米軍のキャンプキンザーが58号選に沿ってあり、キャンプキンザーの海岸部分を埋め立てる案もあったがらしいが、橋梁化で進めているという。
西洲からみるキャンプキンザーの海岸線の景観は素晴らしい。
西洲は卸団地になっていて、景観をたのしみによく行ったものだ。
 58号線とキャンプキンザー。この向うに海岸があるが、58号線は30mほどの高台を通っているため海は見えない。
 

 追記:平成29年10月26日
道路計画の概要が判明した。
糸満市~読谷村の50km。道路名は「沖縄西海岸道路」という。
かなりの部分が完成している。


空寿崎





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