あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の行事~6月23日「慰霊の日」~県指定の休日 沖縄戦終結の日

2014年06月23日 20時25分48秒 | Weblog
 1945年6月23日。
沖縄県糸満市の摩文仁の丘で沖縄防衛第32軍司令官「牛島 満」中将と参謀長「長 勇」中将が自決した。
沖縄県は、この日を節目とし沖縄戦の終戦として「慰霊の日」を設けた。休日である。
正午から摩文仁の丘にある平和祈念公園では「平和の礎」傍で戦没者追悼式が例年行なわれる。
今年も阿部総理が出席され、知事は平和宣言を行なった。



 昨日22日、空を仰ぐとギラギラ照りつける真夏の光と夏雲が目に痛かった。
いよいよ梅雨明けか、とやりきれない蒸し暑さに耐えつつバスを待った。
この太陽と蒸し暑さは「慰霊に日」の頃の特有の気候である。
追悼式のテントの中では、右手の扇子を頻りに動かし、左手のハンカチで首筋を拭っている様子をテレビのニュースでみながら、これから続く長い夏を覚悟したものだ。
明日は雨・・・・・珍しいことだと、雨が降った慰霊の日はいつだったかと思いつつバスに乗った。





慰霊の日前日の沖縄タイムスの記事

 毎年5月15日の沖縄本土復帰記念日から6月いっぱい、沖縄の2紙(沖縄タイムス、琉球新報)そしてテレビは「沖縄戦」「基地」「平和」の文字や企画でいっぱいになる。
今年はテレビも新聞も「対馬丸」の話題が多かった。
1944年8月19日、那覇港を出港した児童疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦に撃沈され、多くの学童と引率教師など1400余名の人々の命が奪われた。
5隻で船団を組んだのだが、対馬丸は古く、船足が最も遅かったらしい。
奇跡的に助かった人々や見送った人達の話が、ようやく語り継がれようとしているということだった。





慰霊の日当日の沖縄タイムス

 6月23日、朝目覚めて沖縄タイムスの紙面に目を通す。
スポーツ、広告、外国版以外は戦争、平和、基地の記事がちりばめられていた。
 窓を開けると土砂降りである。
きょうは雨か、と思いつつ机に向かった。
昼を告げる町のオルゴールで我に返り、窓外をみると雲足が速く、時折、薄雲の切れ間から青空が見え始めていた。
30分もすると雨の気配が吹っ飛んだ。



 このブログを書き終える17時には、再び、黒い雲が空を覆った。

 静かに物思いに耽っていると20数年前に沖縄に来たときの事を様々思い起こしていた。
あの頃は、沖縄の人たちと先の戦争や基地などの議論をしたものだった。
この10数年はそれらの事を論じ合うことはなくなった。
最近、気がついた。
沖縄の人達はわれわれ本土の人間が言い出さない限り、彼等から戦争やそれらを話題にすることは滅多にない。
話したくないのである。判ってもらえない、とあきらめているのだ。

 そう云えば、北方領土に暮らしていた人たちはどうしているのだろうか。
全くと言っていいほど、我々には情報がない。
「北方領土返還!」と勇ましく叫んではいるが、住んでいた人たちのことはどうなっているんだろう。
 満州や朝鮮に住んでいた人、引き上げた人達は・・・・・。
広島、長崎の原爆だって、あの痛みや悲しみ、苦しみを我々はどれだけ感じる事ができるのだろう。
東京大空襲だってある、地方の都市も悲惨だったときく。

 結局、人間って奴は己の手が触れる範囲でしかわからないのだろうか。
3日もすると梅雨は明けるらしい。




沖縄の観光~本島沖縄市の倉敷ダム~東南植物楽園・ビオスの丘にも車で5分足らず

2014年06月16日 19時51分06秒 | Weblog

 沖縄本島沖縄市にある倉敷ダム。
那覇から凡そ1時間余りの所にある。
沖縄自動車道で行く方法もあるが、58号線を使ってもさほど所要時間は変わらない。
嘉手納町に入り、58号線のT字路で嘉手納基地に沿って右折してうるま市方面に向かう。
途中、安保の丘といわれる地点に道の駅がある。屋上に上ると嘉手納基地が眼前に拡がる。
道の駅を出てさらに左に進み嘉手納ゲート前で左折する。
倉敷ダムか東南植物楽園の標識したがって進めばよい。
倉敷ダムは東南植物楽園の入り口を左に見て5分ほどで着く。
店はない。夏場には売店が出るかもしれないが、飲み物等は持って行った方がよい。



 何もない。自然があるだけである。
わたしは機会ある毎に訪れる。とても好きなポイントだ。
サンドイッチやおにぎりで昼食を摂る。



 今年、2月終りにも訪れた。
車で対岸に渡ってみたらたくさんの水鳥が泳いでいた。


 倉敷ダムの北側に「ビオスの丘」がある。沖縄でも人気のスポットだ。
 地図の左下「地図」をクリックすると拡大地図が出る。
中心点「+」を少し上に上げると「ビオスの丘」が現れる。
下に下げると「東南植物楽園」だ。位置関係はこれで確認するとよい。
ビオスの丘も野鳥が訪れるという。この辺一帯は野鳥が多いのかもしれない。
倉敷ダム




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沖縄の観光~恩納村の「おんな道の駅」~再発見「ポーポーの味」・「妙味マンゴーぜんざい」

2014年06月03日 20時08分33秒 | Weblog
本部港を泳ぐ鯉のぼり?
きょうは5月7日、こどもの日は終っているのだが・・・。
旧暦の日は6月2日だから、それまで泳がせておくのだろうか?
本部は鰹の水揚げで有名なところ。
今が鰹漁の最盛期、泳ぐのぼりは鰹のぼりった。


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 5月5日に梅雨入り宣言が出されて2日後の5月7日、どんよりとした雲が垂れ込める朝から、イジュの花を求めてヤンバルに出かけた。途中、車窓に満開のイジュの木を見つけたが雨が降るので降りなかった。
 往きは58号線を北上した。海の見えない基地の金網を横目に内陸の道を走り嘉手納を過ぎるとやがて西海岸に出る。
那覇からは小一時間ほど走ると、下り坂の向うに美しいコバルトの海が開ける・・・・・筈だったが、きょうは梅雨空。海面は鉛色だった。
 左にラマダルネッサンスを過ぎるとすぐに「おんな道の駅」がある。
時計をみると11時時過ぎだった。久し振りだったので寄っていくことにした。





 連休明けのこの日は人の姿もまばらだった。



 店内を歩いてみると品数も多くなっているようで雰囲気が明らかに変っていた。

 
 
 店の外にはいくつもの飲食店が並んでいる。
いつもは缶コーヒーを買うだけあったが、きょうはあれこれ観察する。
値段も手頃で美味そうである。
未だ昼には早い、腹が空いているわけではない。
何かが変っているのだ。
 マンゴぜんざいを注文した。



 これがマンゴぜんざいの実物。ボリュームもたっぷりで驚いた。
美味しかった。
 沖縄の「ぜんざい」はかき氷に餅や豆が入っている。
本土で言うところのぜんざいを提供している店は少ない。
暖かなぜんざい」と云わない限り氷ぜんざいである。
 マンゴぜんざいはひとりでは多いので二人で分けて食べた。



 なつかしいポーポーの店があった。
ポーポードッグ、ポーポーチーズドッグなどがあったが、昔ながらの黒糖のポーポーを注文した。
一番安い120円。これがとても美味しかった。





 「美味しかった。もう1本ください」
カメラを向けると、にこっと笑って左手に何かを掲げた。焼き上げたばかりのポーポーだ。
くるっと巻くとポーポーの出来上がり。
ポーポーは昔のおやつだ。これなら家庭でも簡単に作れたであろう。



 ポーポーの店のふたりの明るい笑顔の素敵な女性。
快く写真に気楽に応じてくれた。ふたりの笑顔がほんとうに印象的だった。
 あれから、そろそろひと月になる。
名前を訊きそびれたのでプリントして届けに行かねばなるまい。
ポーポーとマンゴぜんざいが待っている。
ヤンバルへ行く道中のたのしみが出来た。