あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の季節 ~ 沖縄も秋の気配 ~ 亜熱帯気候にも四季がある小さな秋

2019年09月27日 15時43分51秒 | Weblog
 四季は温帯の特徴であるだろうが、亜熱帯気候の沖縄でも小さな秋がある。
吹き渡る風が心地よいかな、と感じるのは沖縄の秋の始まりである。
 夏には決して無い熱帯夜でない夜が現れ始めると秋の始まりである。
分厚い雲が水平線から消えてゆく。
落葉樹の少ない沖縄で、一番に色づくのは桜(寒緋桜)だ。



 常緑樹は秋になると一斉に新芽を出す。
その時期はもう少し秋が進んでからである。


 センダンも色づき始める。
センダンは数少ない落葉樹だ。
台風が来れば一斉に葉を落とす。これは台風17号前の写真。



 アマランダ(オオアリアケカズラ)が元気な花を咲かせ始めた。
この花は4月から12月頃まで咲くが、一年中見ることはできる。
特に、4月、6月、9月の節目になると元気な花がいっぱいになる。
元気な顔を見せてくれたが、本格的な季節はこれからであろう。



 今年、友人にいただいた彼岸花が咲いた。
2玉植えたが、2玉目は成長中。
2,3年後にはこの鉢一杯に咲かせてみようと思ってはいるけれど・・・。


 もう少し、気温が低くなるとブーゲンビリアも時期が来る。
何年か前、NHKでブーゲンビリアが美しく咲くのは24℃と報じていた。
年中ブーゲンビリアが咲いているのを見るけれど、やはり「旬」があるのだ。
 ハイビスカスも今からが美しく、一斉に咲く。
ハイビスカスもこの類であろうか。
この花、何というのだろう。
「秋の花だ」と思って撮ってはみたんだけれど・・・。


 空も次第に秋らしくなる。




 「夏と冬しかない沖縄」と言われるけれども、沖縄県民は小さな季節の変わり目を敏感に捉えている。
4年前、運転免許証を自主返納してから、殊に、四季の移り変わりを肌で感じるようになった
車の生活に慣れてしまうと季節の変わりを捉えることができなくなってしまうのかもしれない。


<余録>

 運動に通うバス停前の小さな居酒屋でみつけた。
正に、そのとおり!なかなか、名言である。
今から気付いても遅いだろうが、苦笑いが出ることばかりだ。
宝くじ買うのは止めるか!

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行ってみたかった川崎・横浜 ~ 川崎 稲毛神社・巣鴨j地蔵通り商店街⑩了

2019年09月11日 14時36分47秒 | Weblog

 5月17日、きょうでこの旅は終わる。
ホテルはビジネスホテルで川崎市の官庁街でJR川崎駅から10分ほどの閑静なところにあった。
昨日の朝、出かける途中で大きな神社が目についたので、今朝、お詣りだけでもと、寄ってみることにしていたので、早目にホテルを出た。
 稲毛神社である。
拝殿で参拝して、少し境内を周ってみた。


 境内はかなり広いようだ。
案内板ばかり撮ってご本体がない。







 樹齢1000年以上という「御神木大銀杏」
どのように撮れば巨大さがわかるかと悩んだなと思い出した。
結局はこの一枚となった。



 昨夜から決めていた老人に人気のあるという「巣鴨商店街」に行かねばならない。
お詣りだけと決めていたので「稲毛神社」は早々に引き上げた。


 駅を出るとすぐに商店街はあった。
「巣鴨地蔵通り商店街」


 ほんとうだ。
行き交う人達は老人が多い。
不思議に、それなりに活気があった。
アメ横と違ってゆったりした人の流れがいい。
テレビで話題にするところだから、老人の商店街以外にも何か筈だ。
しかし、「年寄の商店街」以外にはさっぱり思い出せなかった。

 突然、商店街の中に大きなお寺をみつけた。
境内は賑わっている。
御札などを売っている境内で訊ねた。



  「曹洞宗萬頂山高岩寺」といい、ご本尊は「とげぬけ地蔵尊」。
聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るというので列に加わった。
どのようにしたかは思い起こしてみるが、詳細は思い出せない。
ただ、その場でタオルが売られていて、悪いところをタオルで拭うと治るというので買った。
神仏のこうした売買の行為を「買う、売る」と表現するのは適切でないだろうが言葉が浮かばない。

 すぐ近くには眞性寺というお寺もあった。



ーすべての画像は画像をクリックすると拡大ー


 記事を書くに当たり、少々、ネットで調べてみた。
巣鴨は中央道の入り口にあたるので、旅の安全を守る地蔵尊があるという。
江戸六地蔵尊のふたつが巣鴨にあるのだ。
「地蔵通り」と言われる由縁はこれであったかと合点した。


<稲毛神社>
 神社のご創建の年代は詳らかではないが、御神木大銀杏の樹齢が1千年と推定されるところから、当地の古社であることがわかる。
社伝によれば、東国に争乱の絶えなかった頃、武神・武甕槌神をまつり、天皇軍の戦勝を祈る社として建てられたと伝えられている。
第十二代景行天皇が東国御巡遊のおり当神社に賊難を避けられたといい、第二十九代欽明天皇の御代、この地方に動乱が絶えなかったため、天皇は当神社に幣帛・七串を奉り、新たに経津主神、菊理媛神、伊弉諾神、伊弉冉神を配祀せしめられ、戦勝とその後の親和協力を祈られ、以後長く勅願所であったと伝えられている。
 神社は初め御祭神の御名をそのままとって、「武甕槌宮」と称していたが、平安時代末期にこの地を領有した河崎冠者基家(秩父平氏)が山王権現を勧請して以後「河崎山王社」「堀之内山王権現」「五社山王」「三社宮」などとよばれていた。
 山王権現の称号は、天台宗系の神仏習合思想「山王一実神道」によるが、慶応四年、下向された有栖川宮熾仁親王殿下が当神社にご休憩され、その折りの殿下の御言葉「御社名、新政府の神仏分離の方針に相応しからず」により、鎮座地武蔵国稲毛庄の名をとって「川崎大神稲毛神社」と改称した。
その後、一時「川崎大神宮」と呼ばれた時期もあったが、明治中期には「稲毛神社」が固定した。
(この項、この記事から抜粋した。)


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー



 若い頃は東京は好きだった。
地方は未だ復興途上であったが、東京には何でもあった。
小走りでないとついて行けない人の流れがあった。
もたもたしていると、時代に取り残されそうだった。
その緊張感が好きだった。
地方でのんびりと過ごしていてはいけないと感じ、英気をもらって帰ったものだ。
 今回、十数年ぶりに東京・横浜・川崎と歩いた。
老人の身になっても、あの緊張感と時代が流れるスピード感は健在であった。
身が引き締まる思いだった。
60年近く前のあの頃とこの新鮮で、英気に溢れた空気は変わらない。
できることなら2,3年に一度はこの空気を吸いに来たいと思った。


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行ってみたかった横浜・川崎 ~ 東京アメ横・浅草⑨

2019年09月05日 15時15分48秒 | Weblog
 5月16日。 
明日の午後15時の便で沖縄に帰るだけである。
未だ時計は15時過ぎだ。
急遽、思い立ってアメ横に行ってみることにした。
初めて行く土地なのでワクワクした。
乗り換えも苦ではなくなった。



 アメ横の入り口に立った時、初めてのような気が全くしなかった。
横丁の人混みに揉まれる。
この時期のこれじゃ年の暮れはさぞや大変だろうと思った。
いろいろな店を覗き、時には入ってみる。
目的もなく、思いつきで来ただけだから、格別に目を引くものはない。
横丁の路地は長いようだ。
 どれくらい歩いただろうか、疲れたので路地に入った。
露地にテーブルを並べている中華料理店が目に入った。
そういえば、レンガ倉庫で休んで以来、何も口していない。
客の多そうな店を選んで座った。
この店、珍々軒だ。
ビールと餃子を注文した。
飲み屋では飲むことのない生ビールがひどく美味かった。
餃子がうまかった。


 再び人混みの中に入る。
そろそろ戻る時間かと、元来た道を引き返しながら店を覗いた。
サングラスのスタンドが目に入った。
いろんな形状のサングラスがあるな、と眺めていると
「これなんかお似合いですよ」と若い、スラッと背の高い店員が手に取ってくれた。
「サングラスは掛けたこと無いんよなあ」とつぶやきながらかけてみる。
「あ、似合いますよ」ときた。
鏡の顔が別人に見える。
「アメ横で何買った?」と言われるに間違いないと思い、
「アメ横の唯一の思い出」に買うことにした。
「かけて行くからいいよ」と包装を断り、再び人混みに入る。
初めてのサングラス。
人々の目線は一向に自分に向かない。
行き交う人は全く無視だ。
「強面のおっさん風」をイメージしていたのだが無視、無視。
そんなわけでほっとするやら、何か物足りなさを感じるようでもあった。

 時計を見ると18時前。
浅草に寄ってみることにした。
浅草は昼間の仲見世通りしか知らない。
「夜の仲見世」はどうだろうと期待に胸が膨らんだ。
歌に名高い「六区」の風にあたってもみたかった。
 遠くに雷門が見えてきた。
地下鉄からだと結構遠いなと・・・仲見世のシャッターが殆ど閉まっている。
人の姿も疎らだ。
道を尋ねた時、
「もう仲見世は閉まってないかなあ」と言った中年の男性の言葉が蘇ってきた。


 シャッターの閉まった仲見世風景は侘しいものだった。
取り敢えず、参拝だけはと奥へ進んだ。
何枚か写した。







 中天にかかる満月がわびしかった。



 結局、ショックで「六区」のことは、すっかり忘れていた。
18時過ぎにシャッターが降りるなんて考えられなかった。
沖縄の国際通りは夜の9時といえば、通りは昼よりもにぎやかだ。
観光地だろう、と合点がいかなかった。
 ホテルへの帰り道、コンビニでおにぎりとサンドウイッチを買って帰った。
21時を過ぎていた。

 あれから3ヶ月少々経ってみれば、懐かしい。
写真の数はアメ横2枚、浅草5枚であった。
写真の数は少なかったが、脳裏には、はっきり焼き付いた。


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