昨日は夏日を記録した一昨日よりも6,7℃低く、一日中雨だった。
今朝、目覚めたときから太陽が降り注ぎ、冬には珍しく風がなかった。
正月2日に三社詣りしてから、早一ヶ月が過ぎようとしている。
先の寒波を過ぎて、正月の三社詣りの初夏のような暖かさを懐かしく思い出した。
三社詣りの風景はいつもの年と変らず賑やかだった。
ただ、中国や台湾からの参拝客が多かったのには驚いた。
大勢の混雑する中を長い時間待って、お札やお守りなどをたくさん買い込んでいた。
元日と変らぬ混み様で、いづこの神社も長い列をつくり、参拝までに30,40分ほどかかった。
先ずは、那覇市にある出雲大社沖縄分社に向かった。
自宅近くのバス停からバスに乗り、15分ほどでモノレール古島駅近くのバス停で降りる。
出雲大社沖縄分社は古島駅の近くにある。歩いて5分程のところ。
小さなお社だ。
写真の右手、お社の前には小さな出店があるだけの静かな参拝風景である。
陽が燦々と降り注いでいた。
出雲大社の参拝を済ませてモノレール古島駅に向う。
次の護国神社のある奥武山公園に行くためだ。
昨年11月、運転免許証を返納した。その時免許証を返納した証明カードを渡された。
このカードを見せれば、バスやモノレールは半額、殆どのタクシーが1割引になる。
その都度、カードを提示するのが面倒なので「OKICA]というバス・モノレール共用のプリペードカードを古島駅で購入した。
護国神社は那覇市奥武山公園内にある。
モノレール壷川駅で下車。古島駅から10分程度である。
国場川を渡り護国神社に参拝する。
参拝までには30分以上の混雑振りであった。
沖縄で三社詣りを始めた十数年前には考えられないほどの人出である。
参拝を終え、お神酒をいただいて波之上宮に向った。
例年なら、波之上宮までは歩いて行くのだが、この日ばかりは疲れて果てていたのでタクシーを使うことにした。
国道58号線に出て反対車線で拾うことにした。
陸橋に上がると、那覇軍港が一望できた。
尖閣諸島での中国艦船のこともあるのだろう巡視船が数隻停泊していた。
那覇市波之上宮でも参拝までには30分以上もかかった。
毎年、ここでお札や破魔矢などを求めるようにしている。
お札やお守りを求める人たちに溢れ、ここでも30分以上かかった。
言葉が違うな、と感じたのはこの時である。中国語だ。
たくさんのお札やお守りを買い込んでいた。
友好の証しであればいいなあと感じた。
参拝の様子は撮らなかったが、数年前に立ち寄ったときの拝殿。
帰路は一般の参拝路を避けて脇道にはいった。
いつもなら、この脇道から波之上ビーチと那覇大橋をみることができるのだが、今年はたくさんの店が出ていて大変な賑わいで、叶わなかった。
波之上宮と接するように「対馬丸記念館」はある。
陽も西に傾いていたので、幾つかの史跡を横目でみながら帰りを急ぐ。
自宅を出たのが12時30分。
時計は17時半を指していた。日を改めて周辺を歩いてみようと思った。
「お腹も空いたなあ」と思いつつバスに乗った。
途中下車して、久し振りに居酒屋「恵美」に寄り空腹を満たした。
たのしい夕べだった。
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今朝、目覚めたときから太陽が降り注ぎ、冬には珍しく風がなかった。
正月2日に三社詣りしてから、早一ヶ月が過ぎようとしている。
先の寒波を過ぎて、正月の三社詣りの初夏のような暖かさを懐かしく思い出した。
三社詣りの風景はいつもの年と変らず賑やかだった。
ただ、中国や台湾からの参拝客が多かったのには驚いた。
大勢の混雑する中を長い時間待って、お札やお守りなどをたくさん買い込んでいた。
元日と変らぬ混み様で、いづこの神社も長い列をつくり、参拝までに30,40分ほどかかった。
先ずは、那覇市にある出雲大社沖縄分社に向かった。
自宅近くのバス停からバスに乗り、15分ほどでモノレール古島駅近くのバス停で降りる。
出雲大社沖縄分社は古島駅の近くにある。歩いて5分程のところ。
小さなお社だ。
写真の右手、お社の前には小さな出店があるだけの静かな参拝風景である。
陽が燦々と降り注いでいた。
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出雲大社の参拝を済ませてモノレール古島駅に向う。
次の護国神社のある奥武山公園に行くためだ。
昨年11月、運転免許証を返納した。その時免許証を返納した証明カードを渡された。
このカードを見せれば、バスやモノレールは半額、殆どのタクシーが1割引になる。
その都度、カードを提示するのが面倒なので「OKICA]というバス・モノレール共用のプリペードカードを古島駅で購入した。
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護国神社は那覇市奥武山公園内にある。
モノレール壷川駅で下車。古島駅から10分程度である。
国場川を渡り護国神社に参拝する。
写真をクリックで拡大
参拝までには30分以上の混雑振りであった。
沖縄で三社詣りを始めた十数年前には考えられないほどの人出である。
参拝を終え、お神酒をいただいて波之上宮に向った。
例年なら、波之上宮までは歩いて行くのだが、この日ばかりは疲れて果てていたのでタクシーを使うことにした。
国道58号線に出て反対車線で拾うことにした。
陸橋に上がると、那覇軍港が一望できた。
尖閣諸島での中国艦船のこともあるのだろう巡視船が数隻停泊していた。
写真をクリックで拡大
那覇市波之上宮でも参拝までには30分以上もかかった。
毎年、ここでお札や破魔矢などを求めるようにしている。
お札やお守りを求める人たちに溢れ、ここでも30分以上かかった。
言葉が違うな、と感じたのはこの時である。中国語だ。
たくさんのお札やお守りを買い込んでいた。
友好の証しであればいいなあと感じた。
参拝の様子は撮らなかったが、数年前に立ち寄ったときの拝殿。
写真をクリックで拡大
帰路は一般の参拝路を避けて脇道にはいった。
いつもなら、この脇道から波之上ビーチと那覇大橋をみることができるのだが、今年はたくさんの店が出ていて大変な賑わいで、叶わなかった。
波之上宮と接するように「対馬丸記念館」はある。
陽も西に傾いていたので、幾つかの史跡を横目でみながら帰りを急ぐ。
写真をクリックで拡大
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自宅を出たのが12時30分。
時計は17時半を指していた。日を改めて周辺を歩いてみようと思った。
「お腹も空いたなあ」と思いつつバスに乗った。
途中下車して、久し振りに居酒屋「恵美」に寄り空腹を満たした。
たのしい夕べだった。
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今年のお正月はこちらも暖かで良かったですよ!
noratanの三社参りの様子、よくわかりました。
私はどこへもお参りに行かなかったのですが、今年の
おみくじはnoratan、大吉だったのでしょう!
よかったですねぇ~
どこへ行っても外国人ばかりですね。
でも、それで日本が潤うんもですから歓迎しなければ
なりませんね!
モノレール、りっぱですね!
松山はモノレールなんてないですよ。
昨日のブラタモリは松山に住んでいても勉強に
なりました。
来週は道後をするそうですね。
noratan、松山に興味を持っていただきありがとうございます。
今度行った時は、絶対に乗りたいわぁ~(^^ゞ
『対馬丸記念館』への小道は、雰囲気が良いですねぇ~(^_^;)
シニア料金の適用が近付いて来ました。
早く行きたいんだけどなぁ~今年は難しいけど、来年はどうかなぁ~行くなら、5月かなって思ってます(*^^*)
私は初詣に行った事がありません。
お正月は夫の実家で過ごすんですが、初詣という習慣はないみたいです。
家族で(一族?)ワイワイ過ごしています。
そういえば、お祭りも村の倉庫から神輿を出して村中の家を回って、
帰ってきてからみんなでお酒飲んで・・近くに神社やお寺がありません。
お葬式は自宅でやって、お墓(田んぼの真ん中に近隣の家の)に土葬だったし、
法事もお坊さんが自宅に来てお経をあげてくれて、法要の食事も自宅だったし
田舎のお寺がどこにあるか知らないな~
今は土葬ではなく火葬になりましたが、お通夜も告別式も斎場でやってお寺ではやらないし、今度、聞いてみようかな~
なんていうと、かなりド田舎に聞こえるけど、車で15分くらい行くと「いわき」の街です。
う~ん・・その周りは田んぼや畑だから、やっぱりド田舎か~~
福島第一原発から30㌔ちょつとの我が田舎には
もう故郷には帰れない人たちが移住して来て人口は増え、
田んぼや畑には建売住宅が立ち並んでいます。
車がなければ移動が不自由な所なので、渋滞して困ると
兄は言いますが、東京の渋滞から考えると比じゃないです。
沖縄本島は、都会ですね。
noratanは何十年も前から、年賀状は正月から7日までに起こった事、考えたことなどを書いているので相手の方に届くのが10日を過ぎることもあるようです
2日も机に向っていたら、テレビから「3日から雨」と聞いてそさくさと出かけました。
モノレールは小さな車両で2両編成。
最初に見た人は「かわいいね」って言います
「ブラタモリ」、来週も観ますよ
昭和40年、復帰前に来たときは、家は急ごしらえでセメントの打ちっ放し、看板はその上からペンキで塗ったもの。引きしまでの期間が短かったようです。
本土は復興著しい時代です。
昭和61年に転勤で来たときも、復興は本土に20年は遅れているなと痛感したものです。
その後、再開発は進んでいましたが、この10年、驚くほどの大胆に再開発が進んでいるようです。
是非、モノレールに乗ってください。
少し慣れれば、観光には最適の交通手段です。
車窓からの眺めも楽しめます。
すたさんはふるさとにほのぼのとした思い出があるのですね。
きっと、原発には複雑な思いがあるでしょう。
noraの子供の頃は近くに小さなお宮さんがあって、祭りの頃は神輿が家々を廻り、庭で「ワッショイ!ワッショイ!」やっていました。
noraも神輿を担ぎました。
沖縄の人の話によると、最近まで土葬して骨にして3年後くらいに掘り出して、きれいに洗い、、そのお骨を骨壷にいれてお墓に納めたといいます。
お墓も門中墓といって一族の墓が有り、本家の長男が引き継いでいます。4月には門中(モンチュウ=一族)が集まり、墓前で料理を広げ先祖を供養します。
今は本土からお寺がきていますが、檀家というものはなく、亡くなったら最寄のお寺で葬式を挙げるようです。
私の家は浄土宗で、お墓参りをしたときに、方丈から聞いた話ですが、本土も本来、村にひとつだけのお墓だったといいます。
時とともに、沖縄のような一族の墓になり、現在のように本家長男以外は分家していったと聞きました。
インフラが整備されるにつれて、沖縄の路地も変りつつあります。
一極集中で、県の人口の三分の二程の人が那覇とその周辺に集まっていますから、土地や家賃が高くて大変です。
次第に沖縄らしさが無くなって行くのをみるのもさみしい限りです。
出雲大社沖縄分社は前からありましたか???
記憶がありません。
護国神社(奥武山公園)と波の上神宮は良く行っていました。
モノレールが出来て沖縄に行きましたが、まだ乗ったことがありません。
小さくて可愛いようですが、乗ってみたいものです。
那覇軍港も良い風景ですね・・・
免許を返納したので、割引があるようですが、私はまだまだ返す気はありません。
朝から夕方までお疲れ様でした。
良い運動になったと思います。
場所は興南高校校門前の道を下ったところにあります。
仕事でも、私用でも、滅多に行かない場所ですよね。
那覇軍港の景色は何度も見ていますが、この日は天気も、時間帯も良くて、とてもいい景色でしたよ。
運転は目の具合が悪くなったときに、長い期間やらなかったので勘も落ちていたし、免許証更新のときに同乗した連中のあまりの下手さに驚いたからです。
いつか、会ったときにでも酒の肴にして詳しく話しましょう。
世の中、高齢者社会です。
50歳になったら運転するな、なんて言っていたのは遠い昔のことです。
今は、70,80代の人たちが運転しています。
貰い事故にならないよう気をつけてくださいよ!
出来るだけ毎日運転しておくことが大切じゃないでしょうか。