城郭都市の設計史32

2016年03月23日 | 湖と城郭都市

 

【事例研究:道づくり Ⅰ】

ここでは、過去から近未来にかけ「道」について考察する。まず
は上代から近世の変遷を俯瞰する。

● 多賀大社と彦根藩

徳川家はもと三河松平郷(現愛知県豊田市)の豪族。徳川
家康の時代に織
田伍長の盟友として徐々に力を蓄え、慶長
五年(1600)豊臣側の石田三成の西軍を関
ケ原で破り
豊臣秀吉の後を襲って天下人になる。
彦根の佐和山に麾下
の<名将井伊直政を移封しました。従って、関ケ原合戦後、

井伊家初代の直政が佐和山城へ入封することで、多賀大社
と彦根藩主井伊家との関
わり生まれる。

織田信長、豊臣秀吉と比べると、徳川家康は多賀大社との

直接的関係は薄く、その崇敬は、井伊家を通して十分に披
瀝される。多賀大社別当不動院代々の院主は、京都の公家
の日野家の出身者が勤めていたが、多賀大社の管理運営が
衆議制から不動院に移行してからの代々の院主は、その時
の中央権力との関係を強く保ち信仰圈の拡大や造営の事業
には必ず大きな助成を得ている。なかでも不動院院生娘五
世の大僧正慈性は、慶長五年八歳にして京都・青蓮院の院
家尊勝院へ入院、同十二年(1607)十五歳にして不動
院と兼帯を許され、そのお礼に同二月十五日駿河に参府す
る。

また、元和五年(1619)九月十五日には徳川秀忠が
神領多賀村のうち三百五十石を安堵する朱印状を発してい
る。この三百五十石は、実は当時の多賀大社の維持運営に
は五百石を要したようで、間に立った井伊家では幕府に加
増を斡旋するが捗どらず、ついに慶安四年(1651)、
井伊直孝は不足分の百五十石を多賀村の内で寄進する。寛
永十五年(1638)には、十年余の歳月を要した大社の
大造営を竣工する。これも慈性の活躍で大願を果す。多賀
大社と井伊家との関わりも、先の犬造営や神領加増の訴訟
を契機に、二代藩主直孝と慈性がより親交を深めても不思
議でない。

 

※将軍秀忠病気平癒祈願のため春日局の代参があり、彦根
 藩
主の井伊家は多賀大社表参道整備を行った際の中山道
 高宮宿
の鳥居をこのとき建立したと伝えられる。

井伊家では「直孝公御遺戒」を歴代藩主によって申し送っ
ている
。その一つに、
 
 社寺の建立、修復、法事祭礼に塀 怠あるべからず候

とあり、井伊家との関わりの中で特に顕著なものとしてあ

げなければならないのは、神領の加増で、直孝が江戸から
僧正慈性に発した、慶安四年(1651)三月一日付け
書状。これは先に幕府より三百五十石神領の寄進があっ
たこ
となど、社領地の内情を多賀大社に照会する。多賀大
社が年間
不都合なく運営していくには、幕府より安堵され
ている三

百五十石では賄うことはできず、直孝を通じて徳川幕府に
嘆願する。ところで、同年四月八日付の慈性に寄せた直孝
の書状は、先の三月一日の書状に応えたものだが、幕府か
らの寄進ではなく、井伊家自領より百四十七石を社領とし
て寄進すべき旨の書状であって、これにより多賀大社は合
わせて五百石の社領をもつこととなる

寛永八年(1632)には将軍徳川秀忠病気平癒祈願のた
め春日局の代参する。井伊家では中山道高宮宿から表参道
の整備を行い、現在の中山道高宮宿一の鳥居はこの時の建
立と伝えられてる。

寛永十一年(1634)五月に多賀大社は、境内の建物は
もちろんのこと、隔所八か所の末社に至るまで一大造営の
起工が行われ、同十五年九月に竣工、遷座祭が行われてい
る。この遷座祭斎行には慈性大僧正は井伊直孝の尽力によ
り江戸表まで屡々出府、要路に誓願を重ねてついに造営費
の拝領に成功する。この遷座祭から約五十年後の、元禄年
間にも修復の造営が行われ、元禄十二年(1699)に竣
工されている。

現在、境内に二基の大釜のうち一基は寛永造営竣工記念と
し、もう一基は元禄造営竣工の記念としてそれぞれ奉納す
る。井伊家では度重なる大社の不幸に際しては、米や木材、
その他相応の修復費を奉納し、幕府と大社との連絡斡旋に
も尽力し、大社の保護に篤い配慮を行っている。

      出典:中島一 著『続・城と湖のまち彦根

● 北国街道と永源寺詣の道-彦根道

彦根は、東に美しい山脈をもつ鈴鹿山系、北には近江第一
の高峰であり、歴史と伝統に恵まれた伊吹の山々、そして、
西には満々と水を湛えた大潮琵琶湖があり、その山に水源
をもつ大小の河川が、平野を形成しながら大潮に注ぐ。そ
の彦根は地形的に日本列島の東と西、北と南を連ぐ道ぐ、
ほぼ中心に位置する。

いずれも彦根が古代から東国・西国・北国の交通の要衝と
して深く位置付けられる。彦根には、東山道(のちの中山
道)、北国街道をはじめ朝鮮人街道、湖上の道などが縦横
に通じ「道の街」の様相を呈す。

これらの街道は、古代から物資の搬送、天下を目指しての
戦い、信仰を求めての社寺への参詣、住民の生活などに大
きな役割を果す。さらにこのことが豊かな文化を形成した
要因の1つでもある。これらの街道は、機能そのものは現
在も大きく変わっていない。

● 北国街道

『近江輿地志略』には、越前路六道の1つとして「虎枕越
」(いたどりごえ)が「所謂北陸近東近江路といふもの是
也、言路也。中河内村より越前国虎枕村に出づる路也」と
ある。この北国街道は、彦根市下矢倉町のところで中山道
と分かれ、米原町、近江町、長浜市、びわ町、虎姫町、湖
北町、高月町、木之本町の二市ハ町を経て栃の木峠を福井
県今庄町板取へと出る。

彦根市内でみると、中山道鳥居本宿から米原宿へと歩みを
進めることになる。



● 彦根道

彦根道は、街道の機能とは別に、特定の目的をもつものと
して存在する。『彦根藩井伊家永源寺詣での道』である。
「彦根道」は、その彦根藩主井伊家が、永源寺へ詣でる際
に用いられた道で、彦根を出て、中山道の高宮宿へ、多賀
大社のある多賀を通り、金屋村、さらに湖東三山の一つ西
明寺、さらにもう一つの金剛輪寺の麓を過ぎ、北蚊野村を
通り、小八木村、さらに湖東三山の今一つの百済寺のその
麓から園村を経て、永源寺の門前町の高野を経て、さらに
永源寺へと至るという行路を形成する。

永源寺は、康安元年(1361)に六角氏頼が臨済宗の高
僧である寂室元光を開山に請い、現在地に呈寸を創建した
ことに始まる。

その後は、六角氏との関わりも深く寺領も近隣に多く存在
する。ところが六角氏の家臣との内紛により、永源寺など
の諸庵が悉く焼き払われてしまう。寛永二十年(1643)
に丁糸文守は、永源寺に入り、方丈をはじめ山内の諸堂を
再建。ところが、享保元年(1724)の出火は、方丈・
仏殿・入寂塔などが焼失してしまいました。同十四年には
再建されたものの、明和元年(1764)に、再び焼失す
る。その後の再興は彦根藩主井伊家からの支援を受けて行
われ、現在の堂宇伽藍の多くは、この時の再建による。

この「彦根道」は東海道土山宿から、多賀大社に至る御代
参街道と並行して東の山裾を走る、現在の名神高速自動車
道に洽うもので、一般的、広域的に用いられたものでない。

明和七年(1770)の井伊家史料の『御小袖日記』に、
九月十九日夜五ツ時に彦根を出駕、永源寺詣に出かけた記
録があり、翌二十日七ツ時過ぎには高野村の本陣に着き、
「御膳召し上がられ」、その後方丈に面会、ただちに帰途
についている。この道程は、大凡九時間ということになる。
その他彦根藩井伊家の記録のなかに、永源寺に詣でたとの
記録は僅少で、なお明確な道筋も明記されず、詳細は分か
らない。途中金屋村は、大上川上流への大君ケ畑越えの道
筋の交差点、北蚊野村は、金屋村と同様彦根藩領、金剛輪
寺への参詣口ともなったところである。

                出典:中島一 著 『続・城と湖のまち彦根』

【エピソード】      

       

1981年に国鉄南彦根駅が新設され、87年に西日本旅
客鉄道になったが、新快速の通過駅だったため快速を止め
る運動をはじめめようとしたとき、会員の田中さんは意外
にも、複々線化を主張――湾曲に不同意を表明――し会と
してはそれ以上の議論を深めることができずにいた。また、
職域内でも議論を深めようとしていた矢先に「河瀬駅」で
停車させる計画があるので止めて欲しいとの動きがあり、
結局、この計画は頓挫することとなる。陸橋駅舎を拡張し
陸橋交差点しようとする地元(平和堂など)の動きも封じ
られた経験をしている。

このように、鉄道という道、あるいは陸橋交差点化という
道も地域エゴ(便益誘導)の政治力や財政力の関係で計画
が決まるというリアル・ローカルポリティーク事情がある。
前者で言えば、わたしが「勢い」を自主規制しまったこと
による。後者は、JR栗東、南草津駅前の都市開発の推進
力の有無でその後のその周辺地区の発展に大きく影響――
たとえば、陸橋交差点化による人口集による経済効果――
は大きいものがある。このようにしてわたしの「彦根城―
多賀大社――伊勢大社街道構想」は一頓挫する。いまでも
「勢い」を自主規制したのは間違いだったのではと考えて
いる。
 

【脚注及びリンク】
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  1. 「地域資源・交通拠点等のネットワーク化による
    国際観光振興方策に関する研究」国土技術政策総
    合研究所 プロジェクト研究報告 2008.05.21
  2. 「歴史まちづくりのてびき(案)」ISSN 1346-73
    28 2013.11.13
  3. 歴史まちづくりの特性の見方・読み方 国土技術
    政策総合研究所 2013.04.11
  4. 「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主導
    のまち創る-近世城下町 彦根市本町地区の2例の
    場合-(これからの都市づくりと都市計画制度 全
    国市長会) 中島一 2005.05.09
  5. 「城と湖のまち彦根」中島一 サンライズ印刷出版
  6. 「続・城と湖のまち彦根」中島一 サンライズ印刷
    出版部 
  7. 中島一・水野金一・田中治是『建築空間における
    都市計画額』コロナ社
  8. 中島一元彦根市長 Wikipedia
  9. 内藤昌編著『城の日本史』角川書店
  10. ドイツ:ニュルティンゲン市「市民による自治体
    コンテスト1位のまち(1)」 池田憲昭
     内閣
    府経済社会総合研究所
  11. The Neckar river near Heidelberg  Wipipedia
  12. ラウフェン・アム・ネッカー Wipipedia
  13. ボーデン湖 Wikopedia
  14. コモ湖 Wikipedia
  15. ネッカー川 Wikipedia
  16. 『ヘルダーリン詩集』 川村次郎 訳 岩波文庫
  17. 『ヘルダーリン』小磯 仁 著 清水書院
  18. 三島由紀夫 著『絹と明察』
  19. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論とし
    ての『絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷
    』詩文楽
  20. 三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論とし
    ての『絹と明察』(1)~(7)詩文楽-Shibun-
    raku
  21. フリードリヒ・ヘルダーリン  Wikipedia 
  22. フリードリッヒ・ヘルダーリン - 松岡正剛の千
    夜千冊
  23. ヘルダーリンにおける詩と哲学あるいは詩作と思
    索頌歌『わびごと』を手がかりに 高橋輝暁 2010.
    09.06
  24. 『ヘルダーリンの詩作の解明』、ハイデッガー著
    イーリス・ブフハイム,濱田恂子訳
  25. 南ドイツの観光|ドイツ観光ガイド|阪急交通社
  26. バーデンヴェルテンベルク州&バイエルン州観光
    局公式日本語
  27. リンダウ - Wikipedia
  28. ハイデルベルグ Wikipedia
  29. ハイデルベルク城 - Wikipedia
  30. 城郭都市 Wikipedia
  31. List of cities with defensive walls Wikipedia
  32. ヨーロッパ100名城 Wikipedia 
  33. 中国の城郭都市 : 殷周から明清まで 愛宕元著
  34. 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
  35. 万里の長城 世界史の窓  
  36. 中国厦門の城郭都市研究における外邦図の利用
    山近久美子(防衛大学校)2005.08.25
  37. ヨーロッパ100名城 Wikipedia
  38. 近江佐和山城・彦根城 城郭談話会編 サンライズ
    出版
  39. 淡海文庫 44 「近江が生んだ知将 石田三成」太
    田浩司 サンライズ出版
  40. 佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移
    築大手門は必見 | 城めぐりチャンネル
  41. 中井均 『近江佐和山城・彦根城』サンライズ出
    版2007
  42. 彦根御山絵図 彦根三根往古絵図など古絵図デジタ
    ル・アーカイブ化に、彦根市立図書館  2012.05.
    27 
  43. 彦根市指定文化財 「山崎山城跡
  44. 都市計画の世界史、日端康雄 講談社現代新書
  45. ドイツ流 街づくり読本  水島信
  46. 続・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  47. 完・ドイツ流 街づくり読本 水島信
  48. 都市計画-1 日本の都市計画制度の概要 大谷英一   
  49. 都市計画-2 都市の歴史と都市計画 大谷英一
  50. 都市計画の理論 系譜と課題 高見沢実編集
  51. 「協働的プランニング」の都市計画理論 Patsy He-
    aley ,“Collaborative Planning”2010.02.13
        
  52. 第4回 リスク社会論 ベック・ギデンズ・ルーマ
    ンの「リスク」論(現代都市文化論演習 2009)筑
    和 正格 2010.05.25
     
  53. ビフォア・セオリ 現代思想の<争点> モダンと
    ポストモダン 慶應義塾大学出版会|人文書

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