管浦四足門の牡丹

2011年12月10日 | 滋賀グルメ紀

 
 
 

 

 
【菅浦四足門】 

 
菅浦の地には、奈良時代恵美押勝の乱で道鏡や孝謙上皇
に負け、廃位になった淳仁天皇が住んでいたという伝説
が残っている。淳仁天皇は、幽閉地で憤死したといわれ、
須賀神社の裏山に淳仁天皇の御陵という塚が残っている。
菅浦の村に入る東西の道には、四足門と呼ばれる茅葺き
の門が残っている。かつては、ここで村に入ってくる外
来者の監視にあたったと言われている。また、鎌倉時代
から明治時代初めにかけて作られた村落や漁村生活を記
した菅浦文書が残されており、菅浦郷土資料館に保存さ
れている。

菅浦は後背すぐに山が迫った琵琶湖北端に面する百戸程
からなる東西に長い湖岸集落である。鎌倉期から明治初
年に至る村の共有文書『菅浦文書』をもち、中世惣村の
典型として知られている。集落の領域を象徴的に示して
いるといわれる四足門が集落の湖岸沿いの道の東と西の
2箇所(かっては4箇所に設置されていたという)にあ
る。西門は船以外で菅浦を訪れる時の、唯一の入り口に
あり、集落東端にある東門で道は終わっている。地の人
の話によると、貴重なものではあるけれど、維持が大変
なので、西門だけでも残そうという事になったらしとい
う。低い石垣が続く浜通りを挟んで山側の居住棟と地先
の浜小屋がある。

 


 
【エピソード】

 

昔の塩津街道は木之本から下がる場合、藤ヶ崎を通って
菅浦に入るがトンネル出来たため、藤ヶ崎の湖岸通りは
廃墟のようになり景観も劣化してしまっている。「道を
絶つと首が飛ぶ」とは某政治家のキャッチコピーだが、
経済法則の鉄則を思い知らされる。さて、コースとして
は、職場仲間と車で民宿に一泊するのだが冬季限定とあ
って積雪が当たり前だったが暖冬化でこの奥びわ湖もそ
れも珍しくなりつつある。コース料理には牡丹鍋以外に
鴨鍋や熊肉も食すということであったが、牡丹が定番だ。
少し独特な臭みがあるというので味噌醤油味で食るが、
肉の食感は牛肉すき焼きと変わらない。人気も少ない集
落にあって津々と雪降る夜は静寂そのもの。翌朝仲間が
それぞれの家路に散々するその奥びわ湖は見事な冬景色
だ。
 

【脚注及びリンク】
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1.「つづらお

2.「
菅浦の四足門(四方門

3.「
菅浦集落
4.「文化的景観「菅浦の思い出 今・昔 写真展

5.「日本の獣肉食の歴史
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