中江 藤樹

2017年04月28日 | 近江の思想

   

☑ な

作成日:2017.04.28|更新日:

 

♞ 中江 藤樹  

☑生誕:1608.04.21/近江国高島郡小川村(現在の滋
        賀県高島市)

☑略歴:農業を営む中江吉次の長男として誕生☈。9
    歳の時、伯耆米子藩武士の祖父徳左衛門吉長
    の養子となり米子に赴く、☈1634年 27歳で
    母への孝行と健康上の理由に辞職願いを提出
    するも拒絶。脱藩し京に潜伏の後、近江に帰
    郷。小川村で私塾藤樹書院を開く、☈1637年
        伊勢亀山藩士・高橋小平太の娘久と結婚。藤
    樹の屋敷に藤の巨木があったことから、門下
    生から「藤樹先生」と呼ばれる。朱子学に傾
    倒し、次第に陽明学の影響を受け、格物致知
    を究明、☈1646年妻久が死去、翌年近江大
    溝藩士・別所友武の娘布里と再婚、☈1648年
        10月11日没。

☑分野:儒学者/思想・教育家



☑ プロフィール

名は原。字は惟命。日本陽明学派の祖。初め朱子学を
修め、のち、陽明学を首唱して近江聖人とよばれる。
熊沢蕃山・淵岡山(ふちこうざん)はその高弟。著「鑑
草」「翁問答」など。

1608 近江国高島郡小川村に生まれる。
1616 米子藩主加藤貞泰の家臣であった祖父吉長の養
   子になり米子に移住。
1617 加藤貞泰の転封により、伊予国大洲へ移住。
1621 曹渓院天梁和尚に書道や漢詩を学ぶ。 
1624 京都から来た禅僧に『論語』を学ぶ。
1628 
『大学啓蒙』を著す。 
1630 「安昌、玄同を弑するの論」を書く。
1631 「林氏、髪を剃り位を受くるの弁」を書く。 
1634 脱藩し、京都に潜伏後近江に帰郷する。
1637 伊勢亀山藩士高橋小平太の娘・久と結婚。 
1638 『持敬図説』『原人』、大野了左入門、後に彼
   のために『捷径医筌』を著す。
1639 「藤樹規」「学舎座右戒」を作る。
1640 『性理会通』を読み、太乙神を祭る。『翁問答』
     を著す。
1641 『孝経啓蒙』の執筆,、
熊沢蕃山入門。
1642 長男宜伯誕生。
1643 『小医南針』を著す。
1644 『陽明全集』を初めて入手。『神方奇術』著す。
1646 次男 仲樹誕生。
1647 大溝藩士別所友武の娘と再婚。『鏡草』を著す。
1648 三男季重(常省)誕生。中江藤樹没。

♚ 名言集

♟ 父母の恩徳は天よりもたかく、海よりもふかし

♟ 人生の目的は利得ではない。正直である、正義で
   ある

♟ このたから(真理)は天にありては、天の道とな
   り、地にありては、地の道となり、人にありては、
   人の道となるものなり

♟ はかなくも悟りいづこと求めけん。誠の道は 我に
   具はる

♟ 天地の大徳を生といふ、人之を受けて以て孝徳と
   なす

♟ それ学問は心の汚れを清め、身の行いを良くする
   を以て本実とす

♟ 天地の間に、己一人生きてあると思ふべし。天を
   師とし、神明を友とすれば外人に頼る心なし

♟ 人間、学問に志すというのは、道に志すものでな
   ければならぬ。ところが今の学問は、己の知恵を
   磨くより、人に誉められたいという名誉心、はな
   はだしきは、金銭のために学問をするということ
  で、その志たるや実に卑しい

♟ 胎内にある間も母徳の教化あり

♟ 悔(くい)は凶より吉に赴く道なり

♟ 家をおこすも子孫なり、家をやぶるも子孫なり。
   子孫に道をおしへずして、子孫の繁昌をもとむる
   は、あしなくて行くことをねがふにひとし 

☑ 格物致知論とは?

中国哲学の用語。『大学』に、学問(儒学)の規模を
格物致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天
下の6段階(朱熹のいう八条目)に整理して示したも
の。その最初の2項目である。この語の解釈には諸説
あり、とくに宋代以後『大学』が四書の一つとして重
視されるにつれて、儒学者の間で多くの異説が生じる。

それらのうちもっとも重要なのは宋の朱熹(朱子)と
明の王守仁(陽明)の説。朱熹は程頤の説を継承し、
は至る、物は事物、致は推し極める、知の意である
とし、格物とは、事物に至る、つまり事物にはそれぞ
れその事物の理があるので、一事一物の理を十分に窮
め知ること、致知とは、知識を推し極める、あらゆる
事物の理を知り尽くすことであると規定する。したが
って格物致知は彼の説いた「窮理」と同じことになる。

王守仁はこの解釈に反対し、格は正す、物は意の所在
(意志の対象つまり行為)、知は良知(是非(ぜひ)善
悪を判別できる先天的な知力)をいうとし、格物とは、
意の所在を正しくする、つまり正しい行為をすること、、
致知は、彼の説く「致良知」と同じで、良知の判断を
行為のなかに実現する(良知が是と判断したことはそ
のとおりに行い、非としたことは行わない)ことであ
ると規定。この解釈によれば、致知の結果がすなわち
格物ということになる。この格物致知の解釈の相違は、
知的理解を重視する朱子学と、実践を重んずる陽明学
の性格の相違を端的に示すものと解されている。

これを、朱熹、王守仁、中江藤樹流派にに沿って読み
下すと次の差異があると解釈されとする。

  1. 朱 子 学-物に格(いた)り知を致(いた)す
  2. 陽 明 学-物を格(ただ)し知を致(いた)す
  3. 中江藤樹-物を格(ただ)し知に致(いた)る※


藤樹の解釈は双方の折衷のような位置をあり、実践
 ま
での時間のずれ(自然過程=自由度)を容認し、
 
「知行合一」の王陽明とも毛沢東の「実践論」とも
 異なる敬愛思想の倫理実践論の背景が見え隠れする。

【エピソード】  

 



湖岸道路からナビをみながら道の駅「藤樹の里あどが
わ」に向かうが、集落に入るとしばらくして、目的で
なく、中江藤樹記念館を見つける。丁度、道の駅の南
側に到着していた。やはり、藤樹の足跡がデカイんだ
と変な納得をする(滋賀の隠れた名産品「笹寿しセッ
ト」、2017.04.21)。

 
幻の果実アドベリー


道の駅 藤樹の里あどがわ

【脚注及びリンク】
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  1. 近江聖人 中江藤樹 
  2. 中江藤樹 Wikipedia 
  3. 近江歴史回廊倶楽部 近江聖人 中江藤樹記念館 
  4. 近江聖人中江藤樹記念館 | 高島市 
  5. 渡部 武 著「中江藤樹」人と思想 清水書院
  6. 童門 冬二 著「小説 中江藤樹」〈上下巻〉学
    陽書房
  7. 中江藤樹記念館販売品一覧 
  8. NOP法人 高島藤樹会
  9. 中江藤樹の教え NAVER まとめ 
  10. 中江藤樹 著『翁問答』 出版書写事項:江戸期
    抜萃本聞
     
  11. 「江戸儒学 - 陽明学派」、倫理のページ

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