安土城(5)

2014年02月14日 | 滋賀百城

 

 

 


信長の夢 「安土城」発掘

●失われた近代

 安土城を見ると、信長がいかに先駆的であったか、そ
してあとを継いだ者たちがいかに、その
発想を真似よう
としたかが如実に浮かびあがってくる。

 秀吉は大坂城を築き、天皇に遷都をうながした。それ
が叶わないと知るや、楽楽第を築いて、
そこへの行幸を
願うことで妥協した。秀吉は本来は、信長を真似て、大
坂城に天皇の御所を築くつもりだったかもしれない。し
かし、遷都が実現しなかった上は、その構想をあきらめ、
御所を大々的に修理した。

 新しくそこに築かれた清涼殿は、信長が安土城に築い
た本丸御殿と東西を逆にした瓜二つの建物だった。くり
かえしになるが、時系列からいえば、信長が御所の建物
に似せてつくったのではなく、秀吉が信長の建物を真似
て(天正の)清涼殿をつくったのである。徳川幕府もま
た、その前例を踏襲し、慶長の清涼殿をつくった。

 秀吉も家康も信長と同様に、宗教を膝下に置こうとし
た。家康は、信長が「安土宗論」をおこなったのと同様
に宗論をおこない、宗教勢力を牽制した。また、家康は
儒教を国是とし、統治の基本理念とした。

 秀吉は大坂城に、安土城のものよりも高い天守を築い
た。そして、いっそう豪華に黄金で装飾した。しかし、
そこに納められたのはもっぱら金銀財宝で、信長がもっ
ていた深い思想性は受け継がれることはなかった。また、
秀吉は天守という高層建築の中に実際に住むこともなか
った。家康も江戸城に、大坂城のものよりもさらに高い
天守を築いたが、秀吉と同様、信長の思想性は継承しな
かった。秀吉と家康の両者が競ったのは、ただ前者より
高い建物を建てるという外形の威容のみだったように思
われる。

 安土城で天主と呼ばれた建築物は、のちの城ではその
実質的な機能を失い、城の飾り、象徴、いざという場合
の避難所へと成り代わっていく。中世の山城は、もとも
と軍事施設であり、臨時の避難所であるという性格が強
く、常時、住む場所ではなかった。信長はその城を日常
住む住居に変え、儀式や祭典をおこなう場所と定め、政
治施設としての役割ももたせた。のちの城は、たしかに
政治施設としての側面は継承したが、こと天主(天守)
に関してのみは中世へと逆戻りしてしまったかの感があ
る。

 光秀も含めて旧時代の秩序を是とする者に、信長が理
解できなかったのはいうまでもないが、新しい時代の覇
者であろうとする秀吉にも家康にも、信長の考えている
ことの深奥までは理解できなかったのかもしれない。
 信長がなしとげたのは、「下剋上」の完成であったと
いわれる。それは、中下級の武士団が古い権力を打ち倒
し、日本をまったく新しい国に変えようとした動きでも
あった。信長はその最先端を突っ走っていた。そして、
その動きの速さについていける者はいなかった。
 毛利氏の外交憎、安国寺恵瓊が信長を評して、そのう
ち「高ころびにあをのけにころ」ぶだろうと予言したの
は有名な話である。その千百は、家臣光秀の裏切りとい
う形で現実化した。

 信長の無残な最期を見た秀吉と家康は、その踏鉄は家
臣たちへの恐怖政治にあるとみた。そして、それぞれ独
自のやり方で人心収攬に励み、天下をとった。が、しか
し、二人が天下をとる過程で、あるいは変革の進度が鈍
り、あるいは変革の内実が変化することはなかっただろ
うか。
 信長の死-。その前後を境として、日本史は中世から
近世へと変わる。しかし、近世という言い方は、実は日
本史にのみ特有の言い方なのである。世界史では、中世
のあとは近代であって近世という、中世と近代を合わせ
たような中途半端ともいえる時代区分はない。
 もし、信長が生きていたらという言い方は無意味であ
るとはいえ、しかし、信長ならば、一気
に日本を中世か
ら近代へと変えていたのではないか。安土城に横溢する
信長の独創性は、そういう想像の禁を侵させる魅力をも
っている。
 安土城の姿を探ることは、失われた日本の近代を探し
だす作業にもつながるはずである。




●信長の夢

 安土城の発掘調査は、城の常識のみならず、信長に対
するこれまでの認識、ひいては日本史の解釈までをもく
つがえす可能性をもつ重要な事業だった。
 今後、発掘調査の結果の分析がさらに造めば、また新
たな解釈が現れることは充分ありうる。
 平成十二年度には、天主台の発掘にさきだって、本丸
取付合と呼ばれる城郭中枢部の北側と、三の丸の発掘調
査もおこなわれた。こののち、本丸取付合の役割、天主
とその他の建物を結ぶ廊下の位置と方向、天主を支える
構造の詳細などがさらに明らかになるはずである。
 あるいは、ある日突然、信長が描かせた屏風が発見さ
れることがあるかもしれない。その時、そこに記された
天主の形がどのようなものであるか。それによって『天
守指図』の価値をはじめ、安土城をめぐるいくつかの疑
問は解消されることになる。
 発掘調査が一段落した安土山は今ふたたび、この地に
城が築かれる前と同じく、静けさが漂う場所になってい
る。

 もう一度、本丸跡から天主のあたりを訪ねてみた。
 信長が生きてこの世にあり、安土城の天主が蒼寫をつ
いてそびえ立っていたころ、この本丸
から天主へと渡る
道には、青い輝きを放つ越前産の笏谷石が敷きつめられ
ていたという。
 快速船で都から戻ったばかりの信長がビロードの南蛮
マントをひるがえして、緑青色の石畳の上を行く。
 そんな幻影が、ふと目の前をよぎって、すぐに消えた。
 安土城の焼失から、四百年あまりの時が流れた。
 信長がこの城に託したさまざまな夢は、今なお安土山
のいただきに眠りつづけている。

       『第5章 信長の夢』 PP. 232-236     

                  この項つづく

 

【エピソード】 


 
 

 

【脚注およびリンク】
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  1. 信長の夢「安土城」発掘、NHKスペシャル、2001
    .02.17
  2. 歴史文化ライブラリー よみがえる安土城、木戸
    雅寿、吉川弘文館
  3. 滋賀県立安土城考古博物館
  4. 信長公記(原文)
  5. 安土町観光協会
  6. 『安土城趾』滋賀県史蹟名勝天然記念物調査報告
    第十一冊、1942
  7. 『安土城天主復原考』土屋純一、「名古屋高等
    工業専門学校創立二十五周年記念論文集」1930
  8. 『安土山屏風に就いて』廣田青陵、「仏教美術」
    1931
  9. 『安土城天守復原についての諸問題』城戸久「
    建築学会研究報告」1930
  10. 『安土宗論の史的意義』中尾、「日本歴史」112
    号、1957
  11. 『日本佛散史 第七巻 近世篇之一』辻善之助、
    岩波書店、1960
  12. 『安土城天守の推定復元模型』桜井成広、「城
    郭」1962/1963
  13. 『明智軍記にみる織田信長と安土城』小和田哲
    男、「城郭」1963
  14. 『安土城と城下町』小和田哲男、「城郭」1963
  15. 『特別史跡安土城跡環境整備事業概要報告書Ⅱ 
    大手道・伝羽柴秀吉邸跡』滋賀県教育委員会、1995
  16. 『信長の宗教政策』奥野高広、「日本歴史」1966
  17. 『イエズス会土日本通信 上・下』村上直次郎訳、
    雄松堂、1968
  18. 『信長公記』奥野高広・岩沢悳彦校注、角川文庫、
    1969
  19. 『イエズス会日本年報 上・下』村上直次郎訳、
    雄松堂、1969
  20. 『シンポジウム日本歴史10 織豊政権論』脇田
    修ほか、学生社、1972
  21. 『京都御所と仙洞御所』藤岡通夫編、至文堂、1974
  22. 『織豊政権』藤木久志・北島万次編「論集日本歴
    史6」、有精堂、1974
  23. 『日本中世の国家と宗教』黒田俊雄、岩波書店、
    1975
  24. 『京都御所』藤岡通夫、中央公論美術出版、1975
  25. 『安土城の研究(上)(下)』内藤昌、「国華」
    987/988号、1976
  26. 『安土城天主の復原とその史料について(上)(下)
    』言上茂隆、「国華」988/999号、1977
  27. 『キリシタン宗門と吉田神道の接点-安土城出土
    の瓦について-『天道』という語をめぐって』小
    山直子、「キリシタン研究」1980
  28. 『織田政権の研究』藤木久志編、吉川弘文館、1985
  29. 『織田政権の権力構造』三鬼清一郎、吉川弘文館、
    1985
  30. 『織田信長』脇田修、中公新書、1987
  31. 『増訂 織田信長文書の研究』奥野高広、吉川弘
    文館、1988
  32. 『城と城下町』藤岡通夫、中央公論美術出版、1988
  33. 『天下一統』朝尾直弘、「大系日本の歴史8」小
    学館、1988
  34. 『織田信長と安土城』秋田裕毅、創元社、1990
  35. 『特別史跡安土城跡発掘調査報告1 伝羽柴秀吉
    邸跡』滋賀県教育委員会、1991
  36. 『十六・七世紀イエズス会日本報告集』松田毅
    一監訳、同朋舎、1992『特別史跡安土城跡発掘調
    査報告2 大手道および伝羽柴秀吉邸跡・伝前田
    利家邸跡・伝徳川家康邸跡』滋
    賀県教育委員会、1992
  37. 『信長と天皇』今谷明、講談社現代新書、1992
  38. 『安土城障壁画復元展』日本経済新聞社、1993
  39. 『平安京と水辺の都市、そして安土』朝日百科、
    日本の歴史別冊「歴史を読みなおす6」1993
  40. 『特別史跡安土城跡発掘調査報告3 大手道およ
    び伝前田利家邸跡』滋賀県教育委員会、1993
  41. 『特別史跡安土城跡発掘調査報告4 大手道およ
    び伝武井夕庵邸跡・伝織田信恵邸跡』滋賀県教育
    委員会、
  42. 『復元 安土城』内藤昌、講談社、1994
  43. 『将軍権力の創出』朝尾直弘、岩波書店、1994
  44. 『特別史跡安土城跡環境整備事業概要報告書I 
    大手道・伝羽柴秀吉邸櫓門跡』滋賀県教育委員会、
    1994
  45. 『安土城』「歴史群像・名城シリーズ3」学習研
    究社、1994
  46. その系譜と織豊政権における築城政策の一端』木
    戸雅寿、「織豊城郭」創刊号、織豊期城郭研究会、
    1994
  47. 『特別史跡安土城跡発掘調査報告5 大手門推定
    地及び周辺地の調査』滋賀県教育委員会、1995
  48. 『織豊期城郭にみられる桐紋瓦・菊紋瓦』木戸雅
    寿、「織豊城郭」第2号、織豊期城郭研究会、1995
  49. 『安土城の中の「天下」襖絵を読む』朝日百科、
    日本の歴史別冊「歴史を読みなおす16」1995
  50. 『特別史跡安土城跡環境整備事業概要報告書Ⅲ 
    大手道・伝羽柴秀吉邸跡』滋賀県教育委員会、1996
  51. 『近世石垣事情 考古学的石垣研究をめざして』
    木戸雅寿、「織豊城郭」第3号、織豊期城郭研究会、
    1996
  52. 『特別史跡安土城跡発掘調査報告6 旧徳見寺境
    内地及び周辺地の調査』滋賀県教育委員会、1996
  53. 『特別史跡安土城跡環境整備事業概要報告書Ⅳ 
    大手道』滋賀県教育委員会、
  54. 1997『平成9年度特別史跡安土城跡発掘調査現地説
    明会 搦手道を歩く』滋賀県教育委員会・滋賀県安
    土城郭調
    査研究所、1997
  55. 『天下布武への道 信長の城と戦略』成美堂出版、1997
  56. 『特別史跡安土城跡発掘調査報告7 百々橋口道周
    辺・主部南面の調査』滋賀県教育委員会、1997
  57. 『安土城の惣構えの概念について1・2』木戸雅寿、
    研究紀要」第5/6号、滋賀県安土城郭調査研究所、
  58. 『安土城の天主台と本丸をめぐって』木戸雅寿、
    「織豊城郭」第5号、織豊期城郭研究会、1998
  59. 『特別史跡安土城跡発掘調査報告8 搦手道上半部・
    主郭東面の調査』滋賀県教育委員会、1998
  60. 『安土城信長の夢』滋賀県安土城郭調査研究所、
    読売新聞社連載、1998~
  61. 『特別史跡安土城跡環境整備事業概要報告書V 
    大手道・伝羽柴秀吉邸跡』滋賀県教育委員会、1998
  62. 『平成10年度特別史跡安土城跡 発掘調査現地説明
    会資料』滋賀県教育委員会・滋賀県安土城郭調査研
    究所、1998
  63. 『特別史跡安土城跡発掘調査報告9 主部北面・
    搦手道の調査』滋賀県教育委員会、1999
  64. 『特別史跡安土城跡環境整備事業概要報告書Ⅵ 大
    手道・七曲り郭』滋賀県教育委員会、1999
  65. 『平成十一年度特別史跡安土城跡 発掘調査現地説
    明会資料』滋賀県教育委員会・滋賀県安土城郭調査
    研究所、1999
  66. 『特別史跡安土城跡発掘調査10周年成果展 安土城・
    1999』滋賀県立安土城考古博物館、滋賀県安土城
    郭調査研究所、1999
  67. 『平成十一年度特別史跡安土城跡発掘調査 本丸跡
    で発見された建物跡について』滋賀県安土城郭調査
    研究所、1999
  68. 『特別史跡安土城跡環境整備事業概要報告書Ⅶ 大
    手道・伝徳川家康邸跡』滋賀県教育委員会、2000
  69. 『安土城が語る信長の世界』木戸雅寿、「駿府城
    をめぐる考古学」静岡考古学会、1999
  70. 『天下統一と城』国立歴史民俗博物館、読売新聞
    社、2000
  71. 『よみがえる安土城』木戸雅寿、「天下統一と城」
    展図録、国立歴史民俗博物館、2000
  72. 『平成12年度特別史跡安土城跡 発掘調査現地説明
    会資料』滋賀県教育委員会・滋賀県安土城郭調査研
    究所、2000
  73. 『完訳 フロイス 日本史1、2、3』松田毅一・
    川崎桃太訳、中公文庫、2000
  74. 『信長権力と朝廷』立花京子、岩田書院、2000
  75. 『塔 形・意味・技術』朝日百科、日本の国宝別冊
    「国宝と歴史の旅8」朝日新聞社、2000
  76. 『特別史跡安土城跡発掘調査報告10 主部西面・搦
    手道湖辺鄙の調査』滋賀県教育委員会、2000
  77. 『特別史跡安土城跡発掘調査報告11] 主部中心
    部本丸の調査』滋賀県教育委員会、2001
  78. 『平成12年度特別史跡安土城跡調査・整備事業の成
    果につ
    いて』滋賀県安土城郭調査研究所、2001
  79. 『戦国大名と天皇』今谷明、講談社学術文庫、2001
  80. 『仏を超えた信長-安土城見寺本堂の復元-』、
    鳥取環境大学紀要、No.8 PP.31-51 2010.06

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