靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

自尊心と謙虚さ

2013-03-17 02:59:02 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナートピック。

自尊心(self-esteem)」について

「自尊心(self-esteem)」を高めること。昨今のこちらの教育現場でとても重視されていること。親と先生との集まりなどでも、今年のクラスに何を期待しますか?と問われれば、多くの親の口から、healthy self-esteem, to feel good about herself, develop self-esteem、そんな言葉が聞かれる。

周りは、その子がするどんなことにも、ポジティブな言葉を用い、否定的な言葉を使わないよう気をつける。「なんて上手なの!」「素晴らしい出来だわ!」そうこぞって褒めつつ。

それでも、self-esteemというのは、あなたが何をしたかや、あなたの能力や選択や、他の人にあなたがどう評価されるか、他の人があなたをどう思うか、そんなことには関係ないところに築かれるもの。

こうしてこの世に生まれてきたということ、自身と源との繋がり、そこにself-esteemの根幹をおくこと。

周りからけなされようが、周りから認められなかろうが、決して損なわれることのないself-esteemを築いていくこと。

寓話を用いつつ:

 ある男が、風呂場へ行き、服を脱ごうとする。ああこの服を脱いでしまったら、自分がジョンだということを忘れてしまうじゃないか。どうしたらいいものか。そうだ!足の先に赤い紐をくくりつけておこう。そうすれば私は私がジョンであるということ覚えていられる。嬉々として足先に紐をゆわえつける。風呂を終え、脱衣所に戻り、ふと足先を見ると、紐がはずれなくなっていた。しまった! 私は一体誰なんだ!?



謙虚さについて

能力、何らかの結果、今おかれた状況、全てが与えられたもの。自分のものなど何一つない。

まずはその自覚。

それでもそこから、私はこんなにも与えられるよう選ばれた人間、私ってすごい、そんな考えが生まれることもある。そしてそこから、傲慢さが始まる。

私はこんなにも与えられている、と、謙虚さが、共に成り立つには?

聖書に描かれるモーセの人物像にヒントをもらいつつ:

 出エジプトを率い、ユダヤの民を奴隷から解放し、「十戒」を受け取り、「神」と面と向かって話し。俺ってすごいじゃない、俺みたいな人いやしないよ。なぜそう思うことなく、「地球上で最も謙虚な人物」と言われ続けたのか。

 モーセには、これだけの霊性、能力、知恵、知識、生い立ち、境遇を与えられるのなら、自分以外の誰もが、自分よりもっと多くのことを成し遂げられただろう、自分以外の誰もが、自分よりはるか遠くにたどり着くことができただろう、そんな思いが常にあったとされる。モーセの目には誰もが、もし自分と同じ状況に置かれたら、よりよくできただろうにと映っていたと。それ故に、モーセは誰に対しても尊敬を持って接し、常に誰よりも謙虚であったという。
(ラビSchneur Zalmanが1792年にトランス状態で導き出した解釈より。アダムはこんなにも与えられて俺ってすごい!?と、「知識の実」に依るようになったとも)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
謙虚であるために、いやいや私はそんなものもらっちゃいないのですよと、ギフトを否定していても何も生み出さない。

まずはどれほど与えられているかを自覚する。

そして自身のself-esteemを満たすために、さまざまなギフトを与えられていると勘違いしないこと。ギフトはこの世を少しでも良くするために用いるよう与えられている。

ギフトを磨き、成長させるのはself-esteemを満たすためではなく、他の人ならもっと上手に使えるだろうに、申し訳ない、至らない私だけれどできる限り頑張るしかないといった謙虚さ。源との個人的な関係。

アルペンスキー!

2013-03-16 23:59:03 | 風景・散歩・旅
家から10分ほど。

五歳三女、初アルペンスキー! 友人の娘ちゃんと二人で一時間レッスン三日間。

初日。スキーの装着の仕方や、はずし方。

止まる時はピザ(スライス)、スピードを出すときはフライドポテト(まっすぐ)と教えてもらう。

ピザな二人とコーチ。


レッスンの後は、コーチなしで何度か復習。

スキーはずして、


よいしょよいしょ、


ひゃ~。


二日目にはリフトへ。

こんな上から滑っちゃうもんね。


きもち~。


姉達とも合流。


へへへ。


友人と滑りまくる兄とも時々すれ違う。


僕はダンボールそりね。


スキーたのし~。



三日間朝八時過ぎに家を出、最後の日は夕方五時まで。スキー満喫の春休みでした。


(写真半分、一緒にスキーを履いて滑った友人撮影)

近況整理、必ず幾筋もの光が差している

2013-03-10 03:04:48 | 今週の整理
1.金曜日で三学期修了、春休み! 来週末まで。最終日、長男そのまま友人宅へ行き一泊。来週月曜日は長女も次女もそれぞれ引っ越していった子が訪ねてくるということで、友人宅に泊り。長男は月曜から三日間泊まりでNPO救助活動トレーニング。ということは、月曜夜は下二人だけ!? 初めてです。こういうことになってくるんですねえ、成長と共に。春休み残りはスキーな毎日の予定。

2.水曜日、友人宅でのプレイデートへ!と車に乗り込もうとしたところ、電話。小学校のナースから。三女が腹痛で保健室に寝ているので迎えに来てくださいと。友人宅に行けなくなったと電話し、この日を指折り数えて楽しみにしていた次男、泣きべそかきながら一緒に姉を迎えに。その夕方から四十度の熱!どうなることかと思いましたが、翌日の夕方には治ってほっ。他に風邪の症状もなく元気。知恵熱のようなものだったのでしょう、それにしては高温でしたが。とにかく他の子たちも元気で助かります。

3.しょんぼりすること二つと、飛び上がるようなこと二つ。今週も色々ありました。しょんぼりごとも、ありがたいことに結局は良い方へと転向。飛び上がるようなことは、本当にもうありがとうございますと天に返すのみ。
 辛いことや悲しいことに、目の前を曇らせない。辛いときは本当に辛くて重くて、それでも周りを見回せば、必ず幾筋もの光が差している。その眩しさに目を細め、一歩一歩こつこつとできることを。

今日は日本人補習校のスタッフの方々に事情をお話しするのと、長男のNPO活動と、その後は上三人連れてショッピング(長女次女全てのジーンズに穴・・・。ついつい余分なものも買ってしまわないよう気を引き締めて、笑)の予定。さてさて春休み、賑やかに楽しみます!

皆様の一週間が素晴らしいものになりますように! 春風を想いつつ。
Have a wonderful week!


日常風景:

ファーランデブー祭り、雪の彫刻。


こんなのや、


こんなの。


こっちもこっちも。


最近は家族で出かけると、長男リトルパパ状態。


あ~んな高いとこにいるんだよね、お兄ちゃんとお姉ちゃん。


私達はこっち。



病み上がりで学校休みの三女と、一日遊べて嬉しい次男。


いっぱいかいた!

子育てノート、長女の心に響いた出来事

2013-03-10 03:04:10 | 子育てノート
長女、友人宅へ。家具やドアに黄色いタグがつけられ、アルファベットを組み合わせた文字が書かれている。「これ何?」と聞くと「中国語よ」と友人。コケージャン(白人)の家族。不思議そうな顔をする長女に、その友人、「春に新しい家族が加わるの、中国の孤児院にいる一歳の男の子!」と。

 一人っ子政策で、女の子は生まれてすぐ手放す家が多いと聞くけれど、実は孤児院には男の子が多いと。少しでも障害があると、生まれてすぐに手放してしまうのだそう。その養子に迎えられる子も、上唇が裂けた(口唇裂)奇形があるため、なかなかもらい手が見つからなかったと。

 お母さんが嬉しそうにその子の写真を見せてくれる。ぽっちゃりとした真っ赤な頬。「見てこの笑顔、私達もうこの子にめろめろなの」そう大切そうに写真を胸に。

 春には10日間中国に滞在し、新しい家族をここはるばるアラスカに連れてくるのだそう。

 お母さんとお父さんとお姉さんと、めぐり会えてよかったね。こんなに温かい家族に迎えられて。そう嬉しくなった夜でした。

 長女の心に、この出来事、とても響いたようでした。

 大変な状況に暮らす人々が地球上に多くいる、障害のある人に親切に、そう読んだり聞いたりして頭では理解している長女。それでもこうして「持てる人々」が「持たざる地域」から、障害のある子を嬉々として家族として受け入れようとしている、そう体験することで、パラダイムが一気に変わったようでした。

こんな知り合いが傍にいること、感謝を込めて


子育てノート、この瞬間を覚えている

2013-03-10 03:03:33 | 子育てノート
就寝時間間近、眠そうな次男三歳。普段でも嫌がるシャンプー、疲れてるときは尚更。ぐずる次男の頭を洗いながら、何とか気を逸らそうと明るい声で話しかける。

「朝の散歩、楽しかったね!」

朝二人で散歩(雪上自転車!)した後、にこにこと嬉しそうに何度も「またいこうね」と言っていた次男が、涙目で叫ぶ。

「ぜんぜんたのしくなんかなかったもん!」

ちょっとふざけて、悲しそうな顔を見せた私。  

すると、はっとした表情で私に抱きつき、私の頭をなぜ、頬に何度もキスし始める。

次男を抱きしめながら、二人でケタケタと笑った。


この瞬間に 全てがあった

辛さも 悲しみも 喜びも 溶け

この満ち足りた瞬間

周りの物質に埋もれ もっともっとと目を移し それでもここに全てがあると

この永遠に感じた瞬間を 覚えている


ありがとう




朝の散歩:

こきこきこきこきこいで。


まぶしいね。


きこきこきこきこ。

ファミリーディナートピック、「七つ目のモード」

2013-03-10 03:02:54 | ファミリーディナートピック
毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。「神」という言葉を使っていますが、それは人を超えたエネルギーのようなものだと感じています。


自分がまずはぱっと動く
 「洗浄機からお皿出してしまうのおねが~い」そう声をかけると、上と下のラックそしてナイフやスプーンやフォーク入れ、と三つに分かれた分担、どれが一番簡単そうかを吟味して「私は上!」「僕はスプーン!」と決めることが多い上三人。

「テーブルセットアップしてね~」「ティクバ(犬)外に出して~」「ちょっと手伝って~」誰かがしてくれないかと周りの動向を見守るのではなくて、まずはぱっと自分が動く。

「自分がいかに楽できるか」よりも、「自分が動いていかに周りに楽をさせてあげられるか」そう考えてぱっと動いていけるといいね。

聖書からの引用:
 移動式の寺院を作るための寄付を募っていた部族のリーダー、「皆が寄付した後に足りないものを私が全てカバーしよう」と。善意で自分のものを差し出そうとするこの行為でさえ、「神」は好きでなかったとある。自分は動かずじっと腕を組んで周りを眺めているのではなく、家々を回り、人々に話し、自分が汗をかき、まずは自分がぱっと一番に動きなさいと。

夫との話:
 子供にこうしてぱっと動く姿勢を培うのは、まず親が体現すること。コミュニティーに助けが必要な状況に対してぱっと動くこともだけれど、まずは家庭の中からも。
「あ、車の中に今日買ったパン置いてきちゃった」「ガレージ行って持ってくるよ」
「テーブルの上にミルクがないわね」「冷蔵庫から持ってこよう」
そうぱっと動く姿勢を普段から示していこうと。


「最も自己のない人」
 コミュニティーの人々を助けることに一生を尽くしたある故ラビの話。祭の時には必ず身寄りのない人々に連絡を取って招き、いくつもの倉庫にもらいものを置きいつでも必要な人々が持っていけるようにし、誰かが亡くなると一番に飛んでいき残された者達と共に過ごし、悲しみ辛い時を送る人々を毎日訪ねて歩いた。傍にいるだけで皆が温かい気持ちに。

 彼は「最も自己中心的な人(selfish)こそ、最も自己のない人(selfless)」と言っていたと。「神」に仕える喜びのためのみに動くという「最も自己中心的な人」ほど、「最も自己がない」と。

喜びこそが人を最も遠くへ連れて行ける。


引き離して眺める時を持つ 
 ユダヤ神秘主義カバラでは、「七つ目のモード」ということを言う。東西南北上下という六つのモードの他に、中心の点、「七つ目のモード」があると。六つのモードがあらゆる方向に向かって外へ外へと伸びていこうとするのに対し、七つ目のモードは内に源に向かうもの。

 これは一週間のサイクルにも当てはめられる。六日間外へ外へと物質的な達成をするために動き、七日目は外への動きをやめ内に向かう。物質を用いて物質的状況をより良くしていこうと、六日間は力の限り走り回るわけだけれど、そういったものから切り離し、その源を見つめる習慣。六日間かかりきりだった全ては、その源の表れなのだと改めて眺めてみる時。

「偶像崇拝」の始まりは、必要でないものに必要以上に重きを置いてしまうこと、物、仕事、お金。仏教でいう「執着」でもある。この「七つ目のモード」は、それらのバランスを整えてくれる。それらは、源からのチャンネルに過ぎないと。

この七分の六、七分の一というイメージを胸に。


三女日本語面接にて

2013-03-10 03:01:41 | 子育てノート
週末、三女が日本人補習校で面接試験を受けた。日本語をどれほど理解し話せるかをみる十五分ほどの簡単なグループ面接。

日本人補習校というのは、土曜日のみ九時から一時までの学校で、日本政府からの補助と現地のファンドレイジングと生徒の月謝(月八千円ほど)で成り立っている。一昔前は航空会社などの駐在員の子供さんが多く通っていたのだけれど、ほとんどの航空会社が縮小撤退したなか、いずれ日本に帰るという駐在組は今ではマイノリティー。生徒数も減り、十人ちょっと。そこへ、今年の入学希望者何と九人! 両親片親日本人と家族構成は様々だけれど、皆こちらに永住組。

四月からの入学予定者には、三女がまだよちよち歩きしていた頃からのお友達も多く、大好きなお友達と「一緒に行きたい!」と三女。上三人は行かせたことがないので、三女も上に同じくと思っていたのだけれど、三女のたっての願いにより、願書提出。

そこで日本語の簡単な受け答えを面接前二週間ほど練習。そして当日。面接が終わり「楽しかった!」と。「何聞かれてるか分かった?ちゃんと答えられたかな?」「全部分かったよ」と本人は言っていた。

ところが、面接担当の先生のお一人にお話をお聞きして、三女、一言も話さなかった!と分かる。じゃあこれは何?これはどうかな?そう優しく質問を変えてくれる先生にも、頑なに口を閉ざし話さなかったと。

三女と話し合い。周りの子がぺらぺらと話す様子にかなり気後れしていたと分かる。自分はそうは話せない、知らない言葉や言えない言葉もたくさんあるし、たどたどしく単語を並べ、発音もちょっと違ってしまったり。

快適に使いこなせる英語での現地校でさえも、最初授業中は必要なこと以外ほとんど話さなかった彼女(聞かれたら必要最小限答えるのみ)、「最近自分から手を挙げどんどん参加するようになって来たんですよ」とこの前の懇談会で言われたところ(放課中などは初めからはしゃいで普通に友達と遊んでいたようですが)。

快適に使いこなせない日本語のこと、面接会場で三女が口を閉ざしてしまった姿、想像できます。それでも必要最小限は話すだろうとは思っていたのですが。

もっとこうのびのびと少々の間違いを気にせずに話してくれたら、そう親としては思うのですが、これがなかなか。ただ大きくなるにつれ、前にどんどん出て行くようになるのだなとは上の子達を見ていて思います(上の姉たちも三女くらいのときは似たような感じでしたが、今では・・・)。

週一授業、宿題、夏期二週間集中授業、それらで現在日本で使われている一年分の教科書をマスターしていこうというペースで進む補習校。日本に行ったこともなく、日本語に触れる機会も私以外にほとんどなく、そこへ日本の一年生レベルと同じスタート地点に立つというのは(ちなみに三女三月三十日生まれ)、やはり家にはかなり厳しいです。その上に、この三女の様子。大好きなお友達と一緒に学んでくれたら、といった期待があったのですが、三女の今までの様子から察すると、授業に参加し始めるのにまずは時間がかかるでしょう。しかもそれが週一に会うのみということならば、1年話さなかったなんてこともありうるかもしれません。今年は9人といういまだかつてないほどの入学希望者、先生もただでさえ授業を回していくのに大変だろうに、余分に手をかけ気をつかっていただいても申し訳ない。

もう一度面談をしましょうと学校側から言っていただいたのですが、一週間そこらでさして違いはないであろうし、本人と話し合い、入学を見送ろうかということに。大好きなお友達と共に過ごす時間は他に持つようにして、家で日本語少しずつ頑張ろうか、そう言う私に、笑顔で少しほっとした表情の三女。「行きたい!」とは言ってみたものの、これは大変だぞ、そう感じていたのかもしれません。



他言語の習得には、まずはその言語に触れる機会をできるだけ増やすことが鍵だと聞きます。

周りにも片親日本人で、子供さんが流暢に日本語を操れるご家庭も多くあるのですが、観察していると、やはりお母さん方が一生懸命日本語に触れる機会を増やしている。日本語読み聞かせから、日本語メディア(サテライトで日本の番組を常時見られるようにしたり、DVDやビデオや)、定期的な日本帰国(帰国後一ヶ月もしたらそれまで出なかった日本語がぽんぽんと出るようになったという話もよく聞きます)。

私自身といえば、五人の世話とこちらの勉強を見ることで、日本語まで時間とエネルギーが回らないというのが本当のところ。日本語メディアも、こちらのメディアでさえ映画やドキュメンタリーを時々見るという程度。日本帰国は、帰りたいのはもう山々ですが諸事情により難しい状態10年。かなり日本の遠い我が家。

また日々子供達の頭には複雑な思考や勉強面の知識が全部英語で入ってくるので、そういった話し合いも日本語ではとても追いつかない。また夫を含めるため、家族が揃うと英語。兄弟姉妹間も日本語ではとても内容を表すのに足りず、英語。しかも最近は、学校のカリキュラムの関係でスペイン語(夫の母語)に時間を使うようになってきた上三人(中学校からの第二外国語選択に日本語という選択なし)。

こうして我が家での日本語以外勢力はどんどん強まり。最近気がついたら私自身普通に子供達に話すのでも英語になりしまったと思い直し、もう一度日本語で話すということも!

なぜ日本語をするのか。私の中に、その意欲をまずはもう一度しっかりと立たせる必要もあります。周りの日本人の方々とそこのところの温度差があり過ぎるのも感じています。言語は違へど、通じるものは通じるんだからとゆったりしてしまう自分が。究極的にはそうかもしれないけれど、それはできる限りの努力をしてからの言葉なのでしょう。

昔、アラスカの村々を訪ね、母語が消えつつあるネイティブアラスカンの方々の状況、祖母と孫がコミュニケーションできない様子を、何ともいかんせんと嘆かわしく思っていた私。次世代に言語を文化を伝えていかねばと熱かった若かりし頃のあの私に、もし今向き合ったとしたら、「限られた時間とリソースの中で、これが限界だったのよ、あなたも年を経るごとに分かる」そう静かに微笑むしかないでしょう。

といって、まだまだできることはあるはずで。両言語とも母語並みにという「バイリンガル」は、我が家の環境から遠い昔に無理だと思ったのですが、英語を母語としつつ、大きくなってから日本語やスペイン語を少しでも使えるようになる土台を築いておけたらと思っています。まずは日常生活、ものすごい勢いでひっぱられている英語の隙間隙間に、日本語を織り交ぜて。せめてママとの簡単な会話は日本語で!を何とか頭を切り替えて実行していけたら。その地道な日々の歩みの上にこそ、日本帰国だったり、大学などで日本語を取ったり、日本に留学したり、などで、例え今は芽を見ることがなくとも、将来花開く可能性も高まるのでしょう。

言語習得は異文化の理解に繋がる、その言語で考え話すというのは、単に言語を操るというよりも、その文化を身体に生かせるということ。英語を話している時と、日本語を話している時とでは、子供の態度が変わるともよく聞きます(英語だと論理的しゃきしゃき、日本語はより情緒的ほんわり)。日本的なるもの、を身につけることは、単一言語で育つよりも、確かに他文化、異なるものへの理解の深さに繋がるのでしょう。

この「三女日本人補習校面接しゃべらなかった事件」を、日々の生活をもう一度見直す機会にしていきます。この機会に感謝して、我が家にできることを!

バイリンガル教育について、覚書

2013-03-10 03:00:45 | 子育てノート
その言語に触れる機会をどれだけ持てるかが鍵
 よしっ、バイリンガルに育てるぞ、いやいや夫の母語はスペイン語だから、トライリンガルに! 長男が赤ちゃんのときには、当たり前のことのように、そう思っていました。ところが蓋を開けてみると、そうそう思うようにはいきませんでした。バイリンガル教育が成功するかどうかは、それらの言語に接する機会を、いかに多く持てるかにかかっています。英語社会で暮らす家の場合は、日本語に接する機会をいかに整えられるかということ。日本語メディア、日本語での読み聞かせ、日本コミュニティーでの活動や日本へ帰国するなど、日本語に囲まれる環境をできるだけ多く整える。
 いくつもの言語を操る人々の例として、スイスなどのヨーロッパやインドなどのアジアの国々の話を聞くことがあります。「だから人間というのは、いくらだって多言語を操ることが可能なのだ!」と。それでもそれらの例は、周りに多言語が溢れている環境だからこそ、可能になっているということ。日常的に親戚やメディアを通じて多言語に触れる生活をしているからこそ、バイリンガル、トライリンガルになり得る。
 また大脳の上側後部にウェルニッケル野というのがあり、ここで言語中枢神経が開発され、その中枢は異なる言語によって区分けされていると言います。そしてその区分けが開発されるには、つまり特定の言語を操ることができるようになるには、通常その言語を母国語とする人々が話すスピードで、何千時間も聞きこむ必要があるといいます。その中枢の情報蓄積を元に、聞く、話す、読む、書くという順番で発達していくくと。日本語に接する機会の少ない家の子供達が、聞くことはできてもなかなか思うように話せないというのも、納得がいきます。
 National Clearinghouse for bilingual Education の“If your child learns in two language”によると、日常会話習得にはだいたい一・二年、学習言語習得に関しては五年から七年ほどかかると言います。これは異なる言語を母国語としつつ、英語社会で英語に囲まれ学ぶという状況でのことです。その言語に囲まれて暮らしたとしても、言語取得にはこれほど時間かかると言います。  
 とにかくその言語に囲まれる機会をできるだけ多く持つこと、まずは聞き、そして使う状況を作り出すこと。

・様々な例から学ぶ 
 日本語をうまく操れる子供さんの家庭を訪ねると、家の中が日本だなあと感じます。日本のテレビが流れ、日本の物に囲まれ、親御さんも日本語以外なるべく話さず、そして日本に定期的に帰り、日本が近い。こうして子供さんは日本語も英語も達者なバイリンガルに、勉強以外でも音楽やスポーツや様々な分野にも大活躍。実際に周りにも見られるバイリンガル教育成功例。
 一方、両言語ともどっちつかずの中途半端になるというケースを聞くこともあります。英語がなかなか入らない、こちらで生まれ暮らしながらも高学年になっても英語補助クラスに通っている。確かに同じような環境にあっても、言語をうまく操れる子となかなかそうはできない子がいるなと、我が家の子達を見ていても思います。
 そういった場合は一度、一つの言語に絞りとことんまでその言語をマスターしてから、他の言語に取り組んだ方がいいと、今はこちらの大学をリタイヤされた日本語教師の方に教えていただいたことがあります。その方は、娘さんが小学校中学年から一切家の中でも日本語を用いるのを止め(両親日本人)、大学に入ってから日本に留学することで、日本語が使えるようになったとおっしゃってました。また言語学を専攻する知り合いにも、他言語は生まれたときから日常会話程度に聞かせるようにし、学習言語は一つの言葉に絞り、小学校高学年くらいから他言語にも力を入れていくという方法だと、どっちつかずにもならずバイリンガルにもなり得るよと教えていただいたことも。
 その子の様子と、中途半端にならないよう親がどこまで環境を整えられるかを見つつ、対応を変えていくことの大切さを教えていただきました。

・家庭内では日本語のみで受け答えさせる?
 配偶者が日本語を話さないとしても、「母親とは日本語のみで」というメソッドをよく聞きます。それでも、家のように、日本語メディアにはほとんど触れない生活、日本語の読み聞かせは小さな頃から少しずつ続けているけれど、日本語は私以外からほとんど聞かない、日本へは諸事情により十年以上帰っていないといった、日本語に接する機会がほとんどない状況では、このメソッドもかなり無理があると学びました。
 子どもたちがその日体験し読み聞きし学んだことは、全て英語で入っています。周りの情報をスポンジのように吸収する子供達の英語力に比べ、母親との会話だけによる日本語力では、語彙も言い回しの発達も圧倒的に違います。その言語に触れる機会が少ない環境で、その言語のみを用いることを強いるのは、複雑な思考を赤ちゃん言葉のみで話すようにと促すようなもの。「日本語のみで」メソッドを用いるには、豊かな日本語に普段から触れているという前提が必要だと感じています。
 「バイリンガル教育を!」と張り切っていた私も、この現実を前に、方向転換することになりました。私自身は日本語で話しかけ続けながらも、「こんなことが書いてあった!こんなことを知った!」と興奮して話す子どもたちを前に、「それらの知識をより調べ深めること」を、「それらを日本語で表す練習」より優先していくように。
 それでも日常会話まで英語に引っ張られないよう、その「切り替え」がこれからの我が家の課題です。

・今の我が家に何ができるか?
 その言語にできるだけ触れられる環境を整えられるのが理想なのですが、もし家のように難しい場合は、「バイリンガル」に拘るよりも、まずは一つの言語で複雑な思考が可能となるほどの言語力を身につけてから、その上に第二外国語として他言語を乗せていくというのも、一つの手だろうと、先達から学んでいます。
 まずは日常会話を英語に引きずられない、日本語メディアも少しずつ生活に取り入れ、私以外に日本語に触れる機会を増やし、ママが日本語で言う内容は理解できるけれど日本語を話すには口が回らないという子供達に「話す練習」を。あと、日本に帰るための貯金(笑)。

できることを、こつこつと。

雛祭り俳句会

2013-03-09 23:59:38 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
ひな壇を横に。

う~ん、とひねり出す時。


テーブルには春の菓子。


句に触れるひと時、インスパイヤリングなひと時。

走り回る日常に、こんなひと時があるのが嬉しい。



薄化粧善意まといて春の風

春泥に沈めし意図の白きかな

指先の一オクターブ上の春

ふと思ふ「女」とは誰か雛の家

口元に最大の嘘春の月

近況整理、ぐるぐると回ったまま夢の中へ

2013-03-03 01:46:02 | 今週の整理
1.週末は「ファー・ランデブー(fur rendezvous)」という年に一度のアンカレッジの祭りへ。77年間続く祭り。こちらにいると一瞬「古くからある祭ねえ」と感じるけれど、日本で言う祭を思うと、むちゃくちゃ新しいですね。去年はthe National Geographic Travelerに「世界一の冬の祭」と指定されたそう。犬ぞりレースや様々な仮装レースから、ネイティブ・アラスカンの民芸品市、毛皮市、氷の彫刻展、移動式遊園地も現れ、賑やかに二週間程続く。今週末も少し回ってみます。

2.水曜日は三女のクラスで劇の発表会。メインキャラクターの3人以外はほとんどが裏方。三女も舞台裏から一度皆に混じって言葉を発しただけのようでしたが(それも後から聞いて、そう?えっと、あの中に混じってた?と聞き返した程、笑)、既存の長い物語から皆で脚本をアレンジして書いたそうで、楽しんでました。
 それにしても学期ごとに少しずつクラスメートが増えてはいるのですが、入ってくるのも全て男の子。今13人男子2人女子状態です。すっかり男子の一人になっている三女(周りからもそんな扱い)。三年前の次女の始まりは男子女子全く反対だったのですが、年によってのこの違い、面白いです。
 そういえばこの前三女、「ママあ、○○君にね、このクラスで一番可愛いのは○○ちゃんだな。○○(三女)は二番目だって言われたあ!」と嬉しそうに。笑顔の三女を前に、黙ってそっと髪をなでてやった母でした。(笑)

3.その後、自宅での「雛祭りプレーデート」(時間間に合わず、先に家の中に入っていただいて)。雛飾りを前に友人が用意して下さった子供クラフト。折り紙折りながら、話に花。大学院で言語学を専攻し始めたという友人に、「バイリンガル教育」についても聞き。いくつになっても学生に戻れるこちらの環境、いいなと思います。

4.その日夕方は、長女のドキュメンタリー映画発表会、審査員から三十分程質疑応答。これにてプロジェクト終了。歴史にチームワークにi-Movie使っての編集にプレゼンテーションの仕方に、本当にたくさんのことを学びました。感謝。

5.その足で、長男のジャズバンド発表会&ケーキオークションをのぞく。ここでかなりのカルチャーショック。気がついたら9時半!水曜日は行事に走り回り日。劇やら折り紙やらドキュメンタリーやらジャズやらケーキやら、ぐるぐると回ったまま夢の中へ。

今日は三女の日本人学校面接、さてさて。長男のNPO活動に、祭に。雛飾りも来年までさよならを! 

皆様の一週間がよき日々でありますように。
冬の終わり春の訪れを祝う祭最中のアンカレッジより。
Have a wonderful week!


日常風景写真:

「ファーランデブー」!


遊園地!


霜で前見えませんが。


ひゃ~。


次はどうしようか。


ゲーム!


こんなのも。


毛皮オークション!

あれはカリブで、ムースの角に、しろにくろにちゃいろのクマ!

クマと見つめ合い。



三女クラス劇!

カルチャーショック、オークションに無礼講に

2013-03-03 01:45:08 | 思うに
水曜日の夜、長男の学校で「演奏会&ケーキオークション」がありました。


中学校では、数学英語社会科学のコア授業の他に、三つ授業を選択することになっているのですが、長男が選んでいるのが、体育とビジネス技術とジャズバンド(トロンボーン担当)。この日は、オーケストラ、コーラスのクラスとこのジャズバンドクラスとの合同演奏会でした。長男の通う中学校にはスペイン語やロシア語のイマージョンなどもあり、様々なバックグラウンドを持った子供達が一緒に演奏。

ジムに入ると熱気。クラッシックやジャズの調べ、その演奏の間に行われるケーキ・オークション。父母親戚や料理学校から寄付されたケーキがその場で父母親戚により落札されていきます。

こんなケーキセットや、


こんなケーキセット。


近くで見るとこんな感じ。


確かに「おおっと」思わず声をあげたくなる美しさではありますが、これら三つほどのセットが五百ドル、六百ドル(五・六万円程)という値段で次々と落札されていきます。中には三つのケーキを1500ドル(15万円程)で落とした夫婦も!(しかもその夫婦、毎朝学校への送り迎えを交代でしている知り合いだと分かり、私椅子から転げ落ちそうに)。

またそのオークションの司会者達のしゃべりもDJ並みの上手さ。よく見ると、えっ、あれって、普段あの物静かな○○先生?! 数学の先生や英語の先生だったり・・・。長髪のロッカーなウィグなんかつけて分かりやしません、別人格。

8年生からの選りすぐりメンバーともなるとジャズも結構よくて、合間の滑らかなしゃべりとで、一瞬ホテル会場でのオークションパーティーか何かに参加している気分に(参加したことないですが)。

そして最後に、PTAの方がクリームいっぱいのパイを片手に持っていらして、司会者に渡します。大歓声の中、次々と落札しようと躍起になる父母親戚。そのパイ、五百ドルで落札! 何の変哲もないパイに五万円強! すると校長先生が真ん中に進み出て、「今日は本当にありがとうございます!」とお礼を言い始め、

その挨拶が終わると、会場中ざわざわと総立ち。

何が起こるかと思いきや、その落札した夫婦の娘さんにパイが渡され、その女の子、嬉々として至近距離から校長先生の顔面にそのパイを投げつけたああああ! 大歓声。顔からシャツからクリームまみれの校長。Iフォン片手にその様子を写真に取りまくる生徒達!(すぐにフェイスブックにソーシャルネットにと写真掲載する中学生。一昔前からは考えられない!)。


校長の顔に投げつけさせるために五万で娘にパイを買う・・・、呆然としながらも、普段ルールも厳しく、セキュリティーガード(生徒だけ集めた演奏会では校長だけでなくガードさんにも顔面パイをしたそう!)なんかも廊下に立ちまくり、かなりきちきちしたシステムの中、山積みの課題に取り組む中学生、こうしてお祭りドンちゃん騒ぎで上下構造むちゃくちゃ無礼講になる時があるのもいいのかもしれないなあと。中学生にもなれば、こんなジョークもちゃんと理解できるでしょ、そんな雰囲気もなかなか悪くない、そう感じました。

この日のファンドレイジング額、ケーキ以外にもベークセールや寄付などで19000ドル(200万近く!)だそうです。全て来年度の音楽授業に用いられるそう。

それにしても、日本の公立学校で育った私には、何から何まで、かなりのカルチャーショックでした。

「ギフテッド」教育について、その五

2013-03-03 01:44:04 | 「ギフテッド」教育について
違いと差別
 日本では、「ギフテッド」プログラムが取り入られるのは難しいと言われています。頑張れば皆が同じ道で同じレベルになれるはずだという「平等主義」が、行き渡っているためともされます。
 一方、異なる人種や文化背景を持った人々が隣り合わせで暮らす米国では、個々人は違って当たり前という前提から始まっています。そこでアカデミックや論理的思考に生まれつき優れた人々がいても、当たり前だと考えるのです。そしてそれぞれが違う道で、それぞれに合ったレベルに到達するのが理想とされることから、ハンディキャップを持つ人々と同じように、「ギフテッド」の人々のニーズに子供時代から答えるべきだということになるのです。個々人の「違い」は「違い」であって、それに上下優劣をつける「差別」とは同じではない、私自身もそう思っています。 
 同じような熱意ややる気のある子供達だけを集めて学習するのならば、それは確かにどんどん進んでいくでしょう。それでも同時に、今のシステムの中で萎えてしまっている「やる気」を引き出す教育も、必要だと思っています。やる気は、「できた!」の喜びの繰り返しで培われていきます。今はやる気がなえている子には、他と比べることなく一度ハードルを低くして何度も何度もその子に合った「できた!」を体験させていくのも一つの方法です。夢中になって気がつけば、周りとは全く違った能力を花開かせているかもしれません。
 プログラムの中にでも、優劣はあります。「上」を見れば限りないものです。周りから学べることは学び、それでも周りと比べてではない、その子自身の「できた!」を一つ一つ大切にしていきたい、そう日々思っています。


より多様なものさしを 
子供の得意分野を伸ばすためのプログラムがあることは、素晴らしいと思います。ただ「成績優秀者」や「言語能力や論理数学的能力に秀でた者」だけを対象とするのではなく、様々異なる分野を伸ばすプログラムがあるのが、理想だと思っています。
 勉強が得意な子もいれば、スポーツや音楽が得意な子や、人付き合いや人の気持ちを察するのに優れた力を発揮したり、想像力溢れて既存の枠からはみ出すような子もいます。机上の「勉強」だけでなく、多様な得意分野を捉えることのできる、「多様なものさし」が教育現場に導入されるのならば、より多くの子供達がもっと生き生きとし始めるでしょう。そしてこれからの学問も技術ももっと豊かになるはずです。
 子供達も、様々違った個々人の得意分野を伸ばすことで、より自信がつき、他の分野も向上していくということもあるでしょうし、何か一つのことに秀でていても、勉強が得意だけれど運動も楽しむ時間を持ってみる、人の気持ちを察するのは得意だけれど、言語面の勉強にも興味を持ってみようといったように、バランスを取る機会にもなるかもしれません。また何か一つのことに際立って秀でていなくとも、様々な分野の組み合わせによって、その子にしか歩くことのできない独自の道が築かれていくこともあるでしょう。
 カリフォルニア州などでは、ガードナー博士の研究に基づき、子供達の異なる個性を伸ばすため、成績優秀者や論理的思考に優れた者だけを対象とするのではない、様々な「ギフテッド」・プログラムの試みがあると聞いたことがあります。このカリフォルニアの試みのように、子供一人一人が持つ異なるギフトを伸ばし育てるために、多様な受け入れ場が整えられることを願っています。
 まずは、大人一人一人が「多様なものさし」でもって、子供達を見つめることから始めていきたいです。多様なギフトを合わせ創り出される未来の世界とは、画一的なものさしのみが評価される現代の世界とは比べ物にならないほど、豊かで魅力ある世界となるでしょう。ギフトはすべての子供に与えられていると信じています。



「ギフテッド」教育について、その四

2013-03-03 01:42:33 | 「ギフテッド」教育について
子供の力を伸ばすには
プログラムに子供を通わせる周りの方々を見ていて思うのは、親がいわゆる「エリート」かどうかということに関わらず、小さな頃からその子の好奇心を大切にし、興味を持つことに対して一つ越えたのならばまた次へと、陰からハードルを少しずつ高くしてやることに長けている方が多いということです。
プログラムに入っていようが入っていなかろうが、子供の能力を引き出し伸ばす子育てに共通するのは、周りに比べてのハードルの高さではなく、その子自身に向き合うことで調節される高さを用意し、自分でできた!という喜びを繰り返し繰り返し体験させ続けることだと思っています。目先の結果よりも、できるようになっていく過程を、親子で楽しんでいるような家庭が、子供の持てる才能を最大限引き出し伸ばしていくのではないかと感じています。  

努力の継続
 家の子供達は、謙遜でも何でもなく本当に普通です。「ギフテッド」の特徴としてよく挙げられる、「小さな頃からこれが他の子より際立っていた!」、そういったことはほとんど思い出せません。歩くのも一歳過ぎ、言葉も達者だったというわけでもなく、文字数字も三歳四歳から「教えられて」覚え始めましたし(二歳で勝手に読み始めたんです!というようなことは全くありませんでした)、パズルや何かを組み立てたり迷路などが大好きでしたが、それらも一緒に何度か遊ぶ内にそうなっていったのです。
 敢えて言うのなら、人の気持ちやその場でどう振舞ったらいいかについてはやけに敏感だったかなとは思います。やけに泣き虫だったり、過剰にお友達に気を遣ったり、小さな頃から周りのサインや張り紙を読んで欲しがり自分はここで今何をしたらいいのかと気にしたり(もっと伸び伸びしたらいいのにと気の毒に思ったものです)。それらの特徴も人の間で揉まれる内に、過度という程ではなくなっていきましたが。
 それでも、とにかく勉強面は亀の歩みでした。周りの子がぽんぽんと覚えていくことも、ああこの子達には何度か繰り返す必要があるんだな、よくそう思ったものです。そこで例え人より何倍も時間がかかったとしても、こつこつ歩き続けていこう、そう覚悟を決め歩き続け、そうして気がついたら、「ハイリー・ギフテッド」といったラベルをいただいている、今までの歩みをまとめると、そういったことのように思います。
 今、こうして「ギフテッド」とされる子供さんを持つ家庭と付き合う機会も多いのですが、「一回で覚えてしまって」「いつの間にかできるようになってたんですよ」、そんな言葉を聞くたびに、「そんなことがあるんですねえ」と感心してしまう私達です。
 家はこうして「こつこつ続ける集団」ですが、プログラムの中には、ああこういう子を天才というのかな、そう思うような子も確かにいます。それでもよく見ていると、その子達も、かなりの努力をしていることに気がつきます。しかもその努力というのも、ものすごい食いつき方と勢いと迫力なのです。そしてその勢いを情熱をキープし続けられる。「天才は99パーセントの努力」、そして「努力を努力と思わないのが天才」それは本当にそういうことなんだな、彼ら彼女たちを見ているとそう気がつきます。
 要は、周りなどはそれほど気にせず(ついつい比べて落ち込んだりしてしまうものですが)、その子にあったペースで、やり方で、こつこつ続けていくことです。周りのママやパパさん達が、自分の子供さんを指して「この子はどうせだめなのよ」と言うのを聞くことがありますが、家の子達の始まりよりもずっとずっとできてますよ、そう言いたくなることが多くあります。
歩き続けていく過程で、高いテストのスコアや、「ギフテッド」というような名称を手にすることもあるかもしれません。それでもそれらは目的なのではなく、その子の持つ才能が開花する過程に過ぎません。「ギフテッド」プログラムを卒業する子供達の進路も様々です、ストレートに大学に行き専門職につく子もいれば、シェフになりたい、まずは世界中を旅したいと、大学に進むことなく独自の道を歩いていく子もいます。
 家の子達も、今たまたまラベルをもらっていますが、それも、歩き続ける途中でいただいた、ほんのちょっとした印のようなものです(このラベルのおかげで、恵まれた学習環境を提供していただいていることは、ありがたく思っています。そしてこの環境をいただいた恩返しをする責任のようなものがあるのだとも)。自分たちにできる限りをし続ける、成長し続ける、日々こつこつと、そう進み続けていきたいです。

「ギフテッド」教育について、その三

2013-03-03 01:42:10 | 「ギフテッド」教育について
先天的?後天的? 
 では「成績優秀」や「言語を操ることや論理的思考が得意」というのは、「先天的」「遺伝的」に与えられた「ギフト」なのでしょうか? 私自身は、その子の素質とその素質を伸ばす環境というコンビネーションもまた、恵まれた「ギフト」なのだと理解しています。素質があったとしても、働きかけがなければ伸ばしていくことはできません。またその素質を現時点目に見えるような形で捉えることができないとしても、働きかけによって伸ばしていくことは可能でしょう。
 こんな米国デューク大学での実験があります。千人の生徒を対象に「ギフテッド」とされる生徒を教えるメソッドを使ったところ、しばらくして「ギフテッド」と見なされる基準に二十パーセントの生徒が達したといいます。普通のメソッドを用いたグループでは、十パーセントの生徒が基準に達したのみだったにも関わらずです。
 また英国の学校で、学期の初めに、最下位のクラスと最上位のクラスの情報を、誤って入れ替え教師に伝えたところ、学期の終わりには、上下の順位が入れ替わっていたという出来事もあります。
周りの大人が、その子の能力や可能性を信じ伸ばそうとすることで、子供の能力は伸びていきます。現在、教育学の分野でも、先天的な素質と育つ環境が相互に作用し合うことで、「ギフテッド」の子供が育つという説が主流のようです。


親が「エリート」?
 「ギフテッド」プログラムに子供を通わせる親は、教育レベルも高く高収入で社会的地位のある専門職を持った、いわゆる「エリート」の割合が、普通の学校に子供を通わせる親に比べ多いということが聞かれることもあります。確かに、親が成績優秀であったりIQ的能力に優れているのならば、子供達の持つ素質に加え、それらの能力を伸ばす環境が作り出される場合も多いでしょう。そして経済的余裕があるのならば、その子を伸ばす環境を最大限整えることも可能です。
 プログラムに通う周りの子供達を見ていると、確かにそれらの家庭環境に恵まれている場合も多くあると気づきます。授業で政治について学んでいるから、週末にワシントンDCに行き知り合いの議員に面会してきた、メキシコのことを地理で学んでいるからクルーズで旅してきた、テスト勉強で少し煮詰まったから、南の島にバケーションへ行ってきた、一年休学して家族で世界一周してきた、そんな豊かなリソースを日常的に子供に与える余裕のある、教育熱心な家庭もあります。
 それでも、実際は「ギフテッドとされる子供達はあらゆる経済的社会的地位、エスニック・人種グループに見られる」(Dickinson, 1970)と言われています。息子さんをプログラムに通わせる移民の知り合いは、経済的に難しい状況に暮らしながらも、「私達はほとんどの人々がテレビを見ている間に、世界地図を広げ、世界の人々がどんな暮らしをしているのかを話し合うわ」そう言っていました。例えリソース的には恵まれなくとも、親が日々子供に向き合う姿勢によって、その子の能力を開花させることができるのだと、こうした周りの親御さんたちを見ていて励まされます。
 我が家はまだまだ子育ての途上にあり、どうしたら子供達の力を伸ばすことができるかと、日々試行錯誤している状況ですが、いわゆる「エリートコース」からは、ほど遠い暮らしです。
 私自身は、子供時代から学校の勉強への関心がとんと続かず、成績もアップダウンを繰り返し、中学時代は高校は夜間に行き昼間は働きたいとその本当の大変さも分からず親に言い、結局高校を出て地元の私立の大学に入学したものの、学部時代のほとんどをアルバイトしてはお金を貯め世界を安旅して過ごすことに費やしました。学校の勉強にはどうしても興味がもてなかったのですが、それでも考えることや読書が大好きで、研究者になろうと奨学金を借りつつ大学院に進んだのでした。そして三人目の子供が生まれてからは、外での仕事も止め、育児に駆け回る毎日です。
 夫といえば、大変な家庭環境に育ち、「重度のディスレキシア(読書障害)」もあったことから(成人してからの努力で人並みになったようです)、学校の勉強は全くだめ(彼に言わせると、この「ディスレキシア」というラベルは、改善に向け用いられるというより、この子には障害があると初めから全てできない扱いするために用いられ、違ったやり方や人の何倍もの努力でできるようになるかもしれない機会も全て奪っていった、そんなように感じているようです。ですから教育現場で用いられる「ギフテッド」やどんな分類ラベル貼りにも、彼はかなり慎重でその必要性を感じていないようです。ただプログラムの内容がいいから入れる、それだけです)。十八歳で米国に移住してからレストランで皿洗いなどしながら英語をゼロから学び、ピアノや演劇などのクラスをとりながらコミュニティーカレッジ(誰でも入学OK)に八年も籍をおいた後(膨大な学生ローン・・・)、ようやく今取り組んでいる専門分野へ進むことになります。それでも夫を見ていて気がつくのは、学校の勉強などは全く苦手ですが、子供のニーズを敏感に察知し、子供たちの目の前に適切な高さのハードルを用意し、励まし飛び越える楽しみを体験させるのが得意であるということです。また発想も豊かで、私には真似できないほど、子供の目線に立った献身的な父親です。

「ギフテッド」教育について、その二

2013-03-03 01:41:48 | 「ギフテッド」教育について
IQというものさし 
 これまで子供達が五歳から六歳にかけて、心理学者による一対一のIQテストを四度体験しました。テストが終わると、英語を用いたものや言語を用いないものから、世界共通という例題をいくつか見せてもらい、スコアやその子の特徴についての説明を聞きます。
 IQテストを見て思ったのは、IQテストというのは、人の持つ知性の一部を測るための、「ものさしの一つ」であるということです。「ものさし」に拠って、高い低い長い短いという順列は生まれますが、「ものさし」を変えるのなら全く違う高い低い長い短いになるはずです。
 山間部や離島などの辺境地域に暮らす子の方が、都市部に暮らす子よりも、IQテストのスコアが低いという比較結果を見たことがあります。それでも、鳥の声を聞き分けられるか、海の状態で魚の群れの動きが分かるか、空の色で明日の天気が分かるか、野生動物の糞を見てその動物がどんな状態であるか分かるか、仮面を彫るのに最適な流木を見分けられるか、もしそんな「ものさし」で、辺境の村々に暮らす子ども達を測るのならば、とてつもない高スコアをはじき出すかもしれません。IQテストとは、「普遍的な頭の良し悪し」を測るわけではなく、一部の限られた知能を測る「ものさしの一つ」なのです。
多重知能理論(Multiple Intelligence)を提唱した心理学者のハワード・ガードナー(Howard Gardner)博士は、IQテストというのは、人が持つ様々な知能の内、「言語知能」と「論理数学的知能」の二つを測ることができるのみだとします。ガードナー博士が挙げるその他の知能、「音楽的知能」、「身体運動的知能」、「空間知能」、「対人的知能」、「内省的知能」、「博物的知能」、「霊的知能」、「実存的知能」などの「多重な知能」は、IQテストでは測ることができないとするのです。
 また、十二歳頃までのIQテストのスコアには、年齢が大きく影響します。前倒しで問題が解けるのなら高いIQとされるのです。だからといって、それらのスコアが全く変わらず一生続くということではありません。後になって周りが追いつき、単に早熟だったということもあり得ます。幼稚園から大学まで教えたことがあるというIQテストを専門とする方に、テストしていただいたことがありますが、「これらのテストの内容は全て、後何年かすれば必ずできるようになるものばかりなのです」とおっしゃっていました。「スタンフォード・ビネー」というIQテストを考え出した、アルフレド・ビネー(Alfred Bine)博士は、IQテストを受けた子供達が成人してからの様子を調査した結果、子供時代に高得点を出したグループから外れた二人が、成人してからノーベル賞を受賞していたという例もあります。
 小学生時分のIQスコアが示すのは、能力の多様性といった面だけでなく、時間的スパンで捉えたとしても、その子が人として持つ能力のほんの一部に過ぎないといえるでしょう。
 また特に子供に対してのテストの場合、テスターの態度や姿勢などもスコアに大きく関係すると体験から思います。無表情で問題を与え続けるテスターよりも、ゆったりと笑顔で励ましの言葉も用いながら問題を与えるテスターの方が、子供達も答えやすいのです。どんな状況でも気にならない子もいれば、相手の表情や仕草に敏感な子もいるものです。一つ問題を終え次の問題にいくまでの間に、テスターがため息をついたのが気になり、なかなか次の問題に集中できない、そんなこともあるでしょう。特に小さな子のIQテストとはゲームのようなものも多く、ゆったりとリラックスした雰囲気の方が子供達も最大限の力を発揮できます。
 また採点の仕方でもスコアは上下します。できたできないと白黒に分けられない問題も多いものです。迷路の枠に鉛筆が触れていた、ブロックが少しゆがんでいる、そういったことも細密にマイナスにするのとしないのとでは、スコアも変わってきます。地球儀を見せられ、「地球」と答えたら誤りで、「地球儀」だと正解だと言われ、納得ができないと他の心理学者にテストをしてもらったら、全体的スコアも随分と上がった、知り合いからそんな話を聞いたこともあります。
 また子供というのは体調や気分によって随分とできるできないに差がでるものです。鼻水が少し出ていたり、朝兄弟げんかした、家を出るとき転んでしまった、そんなことで問題へのやる気がへこんでしまうこともあるものです。
 こういったことを考えるとき、子供を数時間テストしただけで、その子の能力がどうこうという話になること自体、私自身の中で抵抗感があります。それでも、恵まれた学習環境の提供されるプログラムに入るための必須条件ということで、テストを受けさせてきたというのが本当のところです。


「ギフテッド」という名称への違和感
 IQテストの特徴を見るとき、現在の「ギフテッド」プログラムに通う子供達とは、限られた知能に、早い内から秀でた子供達、そういった結果をテストのときに出せた子達ということになるでしょう。ならば、「ギフテッド」プログラムというよりは、「言語を操ることや論理的思考が得意な子達」や「成績優秀者」のプログラムと言った方が適切だと感じています。確かにそれらは、今日の学問的思考の根幹的能力ともいえるかもしれません。またそれらの分野を得意とする子供達を集めて、集中的に能力を伸ばす環境を提供するのは、素晴らしいことだと思っています。
 それでも、それら特定の限られた範囲内で結果を出した子供のみが、「ギフト」の与えられた「ギフテッド」と呼ばれることには強く違和感を感じています。「ギフト」は全ての子供に与えられています。そして本来の教育の現場とは、ギフトがあるないとより分けるのではなく、一人一人の異なる「ギフト」を伸ばしていく場であるべきではないでしょうか。そしてより多様な才能を掬い取り伸ばしていくことができる時、これからの技術や学問なども、より豊かに発展していくのではないかと思っています。
 子供達には、全ての人に「ギフト」が与えられている、今あなたたちは、努力と多くの人の助けと運によって、たまたまこうして恵まれた学習環境を与えられているけれど、その環境に感謝して、少しでも身に着けたことを周りに還元していけるといいね、そう話しています。