靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

「ギフテッド」教育について、その三

2013-03-03 01:42:10 | 「ギフテッド」教育について
先天的?後天的? 
 では「成績優秀」や「言語を操ることや論理的思考が得意」というのは、「先天的」「遺伝的」に与えられた「ギフト」なのでしょうか? 私自身は、その子の素質とその素質を伸ばす環境というコンビネーションもまた、恵まれた「ギフト」なのだと理解しています。素質があったとしても、働きかけがなければ伸ばしていくことはできません。またその素質を現時点目に見えるような形で捉えることができないとしても、働きかけによって伸ばしていくことは可能でしょう。
 こんな米国デューク大学での実験があります。千人の生徒を対象に「ギフテッド」とされる生徒を教えるメソッドを使ったところ、しばらくして「ギフテッド」と見なされる基準に二十パーセントの生徒が達したといいます。普通のメソッドを用いたグループでは、十パーセントの生徒が基準に達したのみだったにも関わらずです。
 また英国の学校で、学期の初めに、最下位のクラスと最上位のクラスの情報を、誤って入れ替え教師に伝えたところ、学期の終わりには、上下の順位が入れ替わっていたという出来事もあります。
周りの大人が、その子の能力や可能性を信じ伸ばそうとすることで、子供の能力は伸びていきます。現在、教育学の分野でも、先天的な素質と育つ環境が相互に作用し合うことで、「ギフテッド」の子供が育つという説が主流のようです。


親が「エリート」?
 「ギフテッド」プログラムに子供を通わせる親は、教育レベルも高く高収入で社会的地位のある専門職を持った、いわゆる「エリート」の割合が、普通の学校に子供を通わせる親に比べ多いということが聞かれることもあります。確かに、親が成績優秀であったりIQ的能力に優れているのならば、子供達の持つ素質に加え、それらの能力を伸ばす環境が作り出される場合も多いでしょう。そして経済的余裕があるのならば、その子を伸ばす環境を最大限整えることも可能です。
 プログラムに通う周りの子供達を見ていると、確かにそれらの家庭環境に恵まれている場合も多くあると気づきます。授業で政治について学んでいるから、週末にワシントンDCに行き知り合いの議員に面会してきた、メキシコのことを地理で学んでいるからクルーズで旅してきた、テスト勉強で少し煮詰まったから、南の島にバケーションへ行ってきた、一年休学して家族で世界一周してきた、そんな豊かなリソースを日常的に子供に与える余裕のある、教育熱心な家庭もあります。
 それでも、実際は「ギフテッドとされる子供達はあらゆる経済的社会的地位、エスニック・人種グループに見られる」(Dickinson, 1970)と言われています。息子さんをプログラムに通わせる移民の知り合いは、経済的に難しい状況に暮らしながらも、「私達はほとんどの人々がテレビを見ている間に、世界地図を広げ、世界の人々がどんな暮らしをしているのかを話し合うわ」そう言っていました。例えリソース的には恵まれなくとも、親が日々子供に向き合う姿勢によって、その子の能力を開花させることができるのだと、こうした周りの親御さんたちを見ていて励まされます。
 我が家はまだまだ子育ての途上にあり、どうしたら子供達の力を伸ばすことができるかと、日々試行錯誤している状況ですが、いわゆる「エリートコース」からは、ほど遠い暮らしです。
 私自身は、子供時代から学校の勉強への関心がとんと続かず、成績もアップダウンを繰り返し、中学時代は高校は夜間に行き昼間は働きたいとその本当の大変さも分からず親に言い、結局高校を出て地元の私立の大学に入学したものの、学部時代のほとんどをアルバイトしてはお金を貯め世界を安旅して過ごすことに費やしました。学校の勉強にはどうしても興味がもてなかったのですが、それでも考えることや読書が大好きで、研究者になろうと奨学金を借りつつ大学院に進んだのでした。そして三人目の子供が生まれてからは、外での仕事も止め、育児に駆け回る毎日です。
 夫といえば、大変な家庭環境に育ち、「重度のディスレキシア(読書障害)」もあったことから(成人してからの努力で人並みになったようです)、学校の勉強は全くだめ(彼に言わせると、この「ディスレキシア」というラベルは、改善に向け用いられるというより、この子には障害があると初めから全てできない扱いするために用いられ、違ったやり方や人の何倍もの努力でできるようになるかもしれない機会も全て奪っていった、そんなように感じているようです。ですから教育現場で用いられる「ギフテッド」やどんな分類ラベル貼りにも、彼はかなり慎重でその必要性を感じていないようです。ただプログラムの内容がいいから入れる、それだけです)。十八歳で米国に移住してからレストランで皿洗いなどしながら英語をゼロから学び、ピアノや演劇などのクラスをとりながらコミュニティーカレッジ(誰でも入学OK)に八年も籍をおいた後(膨大な学生ローン・・・)、ようやく今取り組んでいる専門分野へ進むことになります。それでも夫を見ていて気がつくのは、学校の勉強などは全く苦手ですが、子供のニーズを敏感に察知し、子供たちの目の前に適切な高さのハードルを用意し、励まし飛び越える楽しみを体験させるのが得意であるということです。また発想も豊かで、私には真似できないほど、子供の目線に立った献身的な父親です。


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