靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

「ギフテッド」教育について、その二

2013-03-03 01:41:48 | 「ギフテッド」教育について
IQというものさし 
 これまで子供達が五歳から六歳にかけて、心理学者による一対一のIQテストを四度体験しました。テストが終わると、英語を用いたものや言語を用いないものから、世界共通という例題をいくつか見せてもらい、スコアやその子の特徴についての説明を聞きます。
 IQテストを見て思ったのは、IQテストというのは、人の持つ知性の一部を測るための、「ものさしの一つ」であるということです。「ものさし」に拠って、高い低い長い短いという順列は生まれますが、「ものさし」を変えるのなら全く違う高い低い長い短いになるはずです。
 山間部や離島などの辺境地域に暮らす子の方が、都市部に暮らす子よりも、IQテストのスコアが低いという比較結果を見たことがあります。それでも、鳥の声を聞き分けられるか、海の状態で魚の群れの動きが分かるか、空の色で明日の天気が分かるか、野生動物の糞を見てその動物がどんな状態であるか分かるか、仮面を彫るのに最適な流木を見分けられるか、もしそんな「ものさし」で、辺境の村々に暮らす子ども達を測るのならば、とてつもない高スコアをはじき出すかもしれません。IQテストとは、「普遍的な頭の良し悪し」を測るわけではなく、一部の限られた知能を測る「ものさしの一つ」なのです。
多重知能理論(Multiple Intelligence)を提唱した心理学者のハワード・ガードナー(Howard Gardner)博士は、IQテストというのは、人が持つ様々な知能の内、「言語知能」と「論理数学的知能」の二つを測ることができるのみだとします。ガードナー博士が挙げるその他の知能、「音楽的知能」、「身体運動的知能」、「空間知能」、「対人的知能」、「内省的知能」、「博物的知能」、「霊的知能」、「実存的知能」などの「多重な知能」は、IQテストでは測ることができないとするのです。
 また、十二歳頃までのIQテストのスコアには、年齢が大きく影響します。前倒しで問題が解けるのなら高いIQとされるのです。だからといって、それらのスコアが全く変わらず一生続くということではありません。後になって周りが追いつき、単に早熟だったということもあり得ます。幼稚園から大学まで教えたことがあるというIQテストを専門とする方に、テストしていただいたことがありますが、「これらのテストの内容は全て、後何年かすれば必ずできるようになるものばかりなのです」とおっしゃっていました。「スタンフォード・ビネー」というIQテストを考え出した、アルフレド・ビネー(Alfred Bine)博士は、IQテストを受けた子供達が成人してからの様子を調査した結果、子供時代に高得点を出したグループから外れた二人が、成人してからノーベル賞を受賞していたという例もあります。
 小学生時分のIQスコアが示すのは、能力の多様性といった面だけでなく、時間的スパンで捉えたとしても、その子が人として持つ能力のほんの一部に過ぎないといえるでしょう。
 また特に子供に対してのテストの場合、テスターの態度や姿勢などもスコアに大きく関係すると体験から思います。無表情で問題を与え続けるテスターよりも、ゆったりと笑顔で励ましの言葉も用いながら問題を与えるテスターの方が、子供達も答えやすいのです。どんな状況でも気にならない子もいれば、相手の表情や仕草に敏感な子もいるものです。一つ問題を終え次の問題にいくまでの間に、テスターがため息をついたのが気になり、なかなか次の問題に集中できない、そんなこともあるでしょう。特に小さな子のIQテストとはゲームのようなものも多く、ゆったりとリラックスした雰囲気の方が子供達も最大限の力を発揮できます。
 また採点の仕方でもスコアは上下します。できたできないと白黒に分けられない問題も多いものです。迷路の枠に鉛筆が触れていた、ブロックが少しゆがんでいる、そういったことも細密にマイナスにするのとしないのとでは、スコアも変わってきます。地球儀を見せられ、「地球」と答えたら誤りで、「地球儀」だと正解だと言われ、納得ができないと他の心理学者にテストをしてもらったら、全体的スコアも随分と上がった、知り合いからそんな話を聞いたこともあります。
 また子供というのは体調や気分によって随分とできるできないに差がでるものです。鼻水が少し出ていたり、朝兄弟げんかした、家を出るとき転んでしまった、そんなことで問題へのやる気がへこんでしまうこともあるものです。
 こういったことを考えるとき、子供を数時間テストしただけで、その子の能力がどうこうという話になること自体、私自身の中で抵抗感があります。それでも、恵まれた学習環境の提供されるプログラムに入るための必須条件ということで、テストを受けさせてきたというのが本当のところです。


「ギフテッド」という名称への違和感
 IQテストの特徴を見るとき、現在の「ギフテッド」プログラムに通う子供達とは、限られた知能に、早い内から秀でた子供達、そういった結果をテストのときに出せた子達ということになるでしょう。ならば、「ギフテッド」プログラムというよりは、「言語を操ることや論理的思考が得意な子達」や「成績優秀者」のプログラムと言った方が適切だと感じています。確かにそれらは、今日の学問的思考の根幹的能力ともいえるかもしれません。またそれらの分野を得意とする子供達を集めて、集中的に能力を伸ばす環境を提供するのは、素晴らしいことだと思っています。
 それでも、それら特定の限られた範囲内で結果を出した子供のみが、「ギフト」の与えられた「ギフテッド」と呼ばれることには強く違和感を感じています。「ギフト」は全ての子供に与えられています。そして本来の教育の現場とは、ギフトがあるないとより分けるのではなく、一人一人の異なる「ギフト」を伸ばしていく場であるべきではないでしょうか。そしてより多様な才能を掬い取り伸ばしていくことができる時、これからの技術や学問なども、より豊かに発展していくのではないかと思っています。
 子供達には、全ての人に「ギフト」が与えられている、今あなたたちは、努力と多くの人の助けと運によって、たまたまこうして恵まれた学習環境を与えられているけれど、その環境に感謝して、少しでも身に着けたことを周りに還元していけるといいね、そう話しています。


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