靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

ファミリーディナートピック、「七つ目のモード」

2013-03-10 03:02:54 | ファミリーディナートピック
毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。「神」という言葉を使っていますが、それは人を超えたエネルギーのようなものだと感じています。


自分がまずはぱっと動く
 「洗浄機からお皿出してしまうのおねが~い」そう声をかけると、上と下のラックそしてナイフやスプーンやフォーク入れ、と三つに分かれた分担、どれが一番簡単そうかを吟味して「私は上!」「僕はスプーン!」と決めることが多い上三人。

「テーブルセットアップしてね~」「ティクバ(犬)外に出して~」「ちょっと手伝って~」誰かがしてくれないかと周りの動向を見守るのではなくて、まずはぱっと自分が動く。

「自分がいかに楽できるか」よりも、「自分が動いていかに周りに楽をさせてあげられるか」そう考えてぱっと動いていけるといいね。

聖書からの引用:
 移動式の寺院を作るための寄付を募っていた部族のリーダー、「皆が寄付した後に足りないものを私が全てカバーしよう」と。善意で自分のものを差し出そうとするこの行為でさえ、「神」は好きでなかったとある。自分は動かずじっと腕を組んで周りを眺めているのではなく、家々を回り、人々に話し、自分が汗をかき、まずは自分がぱっと一番に動きなさいと。

夫との話:
 子供にこうしてぱっと動く姿勢を培うのは、まず親が体現すること。コミュニティーに助けが必要な状況に対してぱっと動くこともだけれど、まずは家庭の中からも。
「あ、車の中に今日買ったパン置いてきちゃった」「ガレージ行って持ってくるよ」
「テーブルの上にミルクがないわね」「冷蔵庫から持ってこよう」
そうぱっと動く姿勢を普段から示していこうと。


「最も自己のない人」
 コミュニティーの人々を助けることに一生を尽くしたある故ラビの話。祭の時には必ず身寄りのない人々に連絡を取って招き、いくつもの倉庫にもらいものを置きいつでも必要な人々が持っていけるようにし、誰かが亡くなると一番に飛んでいき残された者達と共に過ごし、悲しみ辛い時を送る人々を毎日訪ねて歩いた。傍にいるだけで皆が温かい気持ちに。

 彼は「最も自己中心的な人(selfish)こそ、最も自己のない人(selfless)」と言っていたと。「神」に仕える喜びのためのみに動くという「最も自己中心的な人」ほど、「最も自己がない」と。

喜びこそが人を最も遠くへ連れて行ける。


引き離して眺める時を持つ 
 ユダヤ神秘主義カバラでは、「七つ目のモード」ということを言う。東西南北上下という六つのモードの他に、中心の点、「七つ目のモード」があると。六つのモードがあらゆる方向に向かって外へ外へと伸びていこうとするのに対し、七つ目のモードは内に源に向かうもの。

 これは一週間のサイクルにも当てはめられる。六日間外へ外へと物質的な達成をするために動き、七日目は外への動きをやめ内に向かう。物質を用いて物質的状況をより良くしていこうと、六日間は力の限り走り回るわけだけれど、そういったものから切り離し、その源を見つめる習慣。六日間かかりきりだった全ては、その源の表れなのだと改めて眺めてみる時。

「偶像崇拝」の始まりは、必要でないものに必要以上に重きを置いてしまうこと、物、仕事、お金。仏教でいう「執着」でもある。この「七つ目のモード」は、それらのバランスを整えてくれる。それらは、源からのチャンネルに過ぎないと。

この七分の六、七分の一というイメージを胸に。


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