「不安」は思考にはまることからくる 思考の「外」が抜け落ちた状態から
「外」に触れることで 思考は恣意的なものだと気がつく 選択できるものだと
そのはまっている思考を違う思考で置き換えることは
そのはまっている思考の「外の思考」にいる状態に過ぎない
思考の外とは 圧倒的な静であり 平安であり 無限であり 肉体の死即ち個の死であり
肉体をもって生きるとは思考することだ 思考は消えない 肉体が死なない限り
ただ 肉体を持ちながら即ち思考しながら 肉体を超えた存在即ち思考の外と共にあることはできる
「観る」はそこへ至るトゥールの一つに過ぎない
では 思考の外に触れることに どんな意味があるのか?
より必要な思考を選択していけるようになる ということなのではないだろうか
「外」に触れることで 思考は恣意的なものだと気がつく 選択できるものだと
そのはまっている思考を違う思考で置き換えることは
そのはまっている思考の「外の思考」にいる状態に過ぎない
思考の外とは 圧倒的な静であり 平安であり 無限であり 肉体の死即ち個の死であり
肉体をもって生きるとは思考することだ 思考は消えない 肉体が死なない限り
ただ 肉体を持ちながら即ち思考しながら 肉体を超えた存在即ち思考の外と共にあることはできる
「観る」はそこへ至るトゥールの一つに過ぎない
では 思考の外に触れることに どんな意味があるのか?
より必要な思考を選択していけるようになる ということなのではないだろうか
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