靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

思考の外

2011-09-01 23:11:32 | 思うに
「不安」は思考にはまることからくる 思考の「外」が抜け落ちた状態から

「外」に触れることで 思考は恣意的なものだと気がつく 選択できるものだと


そのはまっている思考を違う思考で置き換えることは 

そのはまっている思考の「外の思考」にいる状態に過ぎない


思考の外とは 圧倒的な静であり 平安であり 無限であり 肉体の死即ち個の死であり

肉体をもって生きるとは思考することだ 思考は消えない 肉体が死なない限り


ただ 肉体を持ちながら即ち思考しながら 肉体を超えた存在即ち思考の外と共にあることはできる

「観る」はそこへ至るトゥールの一つに過ぎない


では 思考の外に触れることに どんな意味があるのか? 

より必要な思考を選択していけるようになる ということなのではないだろうか 


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