靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

他者に対しては

2011-09-07 21:48:29 | イメージ・ヴィジョン
「どう反応するかは自分の選択」

というのは自分が自分に向ける言葉


目の前で悲しみ苦しんでいる人に

「それはあなたの選択なんだ、あなたが苦しむと選択しているからなんだ」

と言うのは 

傷を負ってどくどくと血を流している人に

「痛いと思えば痛くないから」

と言っているようなもの


目の前で悲しみ苦しんでいる人がいるのなら

傷の手当てをし 痛みに共感し 寄り添う


他者に対しては 共感し寄り添う

それが他者に対する自分というものの役割


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2 コメント

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ありがとう (テッサー)
2011-09-08 21:38:41
引っ越しして環境がガラリと変わり、私も子供たちも糸を張り詰めた状態が続いていました。
今日は久々マチカちゃんのブログをゆっくりみて、心がほぐされました。
人に「共感」するってこと、身内にはなかなかできなくて、その背後には私自身がもっと「共感」してもらいたい、誰かに手を差し伸べてもらいたいって思ってるって気づいたんだよね。本当にいつまでもエゴの塊なんだけど、気づくだけでも一歩前進・・と前向きに。
まずは自分を癒すっていうか「観る」ことで余計なことを考えないように、って改めて思いました。
マチカちゃんの徒然言葉、本にして持ち歩きたいわー。
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テッサーさんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2011-09-10 00:19:06
引越し、お疲れ様でした。環境が大きく変わって子供ちゃんたちもテッサーさん夫婦にとっても大変な時でしたね。限られた時間の中でやろうと思うことが溢れるほどに詰まっていると、糸も張り続けるよね。これから少しずつ周りの状況も落ち着いていくね。新生活に大きく羽ばたいていくテッサーさん一家を思ってます。

ブログを読んでそんな風に言ってくれてありがとう。その言葉を聞いて私の心も何だかほぐれます。

うんうん、関係が近くなるほど「共感」よりまず自分をわかってほしいという気持ちが強くなるの、わかります。自分と相手というより自分をただ広げていきたくなる。はっとすること、私も毎日のようにあります。

相手にどうしてもできないこと、どうしてできないのかと観てみると、私がしてもらっていないという気持ちがあるというのも、本当によく分かります。テッサーさんのいうように、気がつくのが一歩なんだろうと私も思うよ。気づいたところで「してもらう」という視点を、まずは「相手に対してする」という行為に変えていく。まずは自分がしてみることで、自然と相手もそうするようになってくるということ、あるように思います。相手を変えようとする前に自分が変わると自然と相手も変わってくる。

その気づいた時点で、それまでの過去積み重なった恨みやつらみみたいなものを許して流して。それが癒しなのかもしれないね。そしてまずは相手に対してしてみる、ずっとしてもらいたかったことを。

私も日々気づかされてます。昨日もついつい近い知り合いに自分の良かれと思うことを押し付けて、何で受け取らないと憤慨していたりね、反省してました。近くなるほど見えなくもなる相手への「共感」ということ、気をつけていきたいよ。

言葉に立ち上がる力をもらってます。テッサーさんの言葉、いつもありがとう! Have a wonderful weekend!
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