国家は、戦争とか死刑とか、犯罪を公然と晒すと、それは犯罪でなくなる。
犯罪者を裁判に掛けると、国家の犯罪は排除される。
人は裁くことは出来ないが、国家がやると裁くことが出来る。
国家を通すと、戦争や死刑や司法が、犯罪でなくなる。
*。
何故だろう。
国家は人の気持ちを合法化する装置だ。
*。
国家を通すと、人の怒りは相手を糾弾することに、変換されるからだ。
視点が変わる。
やられていたことが、やることに変わる。
受身が能動に変わる。
*。
人が出来ないことは、国家がやると出来る。
だがやはり矛盾だ。
*。
国家を通すと、矛盾が矛盾でなくなる。
矛盾が無矛盾になる。
或いは、無矛盾が矛盾になる。
*。
これがKleeneの定理だ。
個人と国家のパラドックスを発振させるのだ。
すると言葉が被り、証明不能となる。
*。
だが人の意識には、どっちがどっちか判断は出来る。
良心や良識があれば、間違いはない。
これを捨てると、決定不能となる。
*。
言葉は良心良識を捨て去っていた!
言葉と良心は不確定性原理で遮断されている!
犯罪者を裁判に掛けると、国家の犯罪は排除される。
人は裁くことは出来ないが、国家がやると裁くことが出来る。
国家を通すと、戦争や死刑や司法が、犯罪でなくなる。
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何故だろう。
国家は人の気持ちを合法化する装置だ。
*。
国家を通すと、人の怒りは相手を糾弾することに、変換されるからだ。
視点が変わる。
やられていたことが、やることに変わる。
受身が能動に変わる。
*。
人が出来ないことは、国家がやると出来る。
だがやはり矛盾だ。
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国家を通すと、矛盾が矛盾でなくなる。
矛盾が無矛盾になる。
或いは、無矛盾が矛盾になる。
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これがKleeneの定理だ。
個人と国家のパラドックスを発振させるのだ。
すると言葉が被り、証明不能となる。
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だが人の意識には、どっちがどっちか判断は出来る。
良心や良識があれば、間違いはない。
これを捨てると、決定不能となる。
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言葉は良心良識を捨て去っていた!
言葉と良心は不確定性原理で遮断されている!