超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

負のエントロピーを食べる世界

2010-08-20 07:11:07 | Weblog
現代はエネルギー最大化を超え、エントロピー最適化の安定期に入った。
世界は爆発・散逸期から、安定・恒常期に入った。

国家天動説は、人間地動説に切り替わった。

国家の進化は、パラドックスに発振であった。
人間地動説は、パラドックスの解消である。

*。
パラドックス発振から、パラドックス解消へ。
現代は大移動期に入った。

パラドックスの発振で、地球は壊れた。
これが経済成長である。

    *。
日本がデフレやるから、世界はインフレする。

日本が世界を握っている。

*。
ドル高、ユーロ高、
これがヘゲモニーを解消する手続きだ。

日本は世界経済の中心として、世界の運命を握った。

*。
ヘゲモニーのない世界経済こそ、世界の消点だ。
これで民族毎に安心して生活できる。

日本の目指すことは、世界の消点だ。

    *。
現代世界は、負のエントロピーを食べる世界だ。

正のエネルギーを食って、世界はガンになった。

厳罰は 非合理の合理化である

2010-08-20 06:44:11 | Weblog
日本人は優しい、だが何かに付けては殺せの大合唱に変わる。
優しく柔和でないと、世間は受け付けないからだ。
これは餌だ。
これを撒いては人を釣り、食えば食い殺す。
二重人格だ。

日本人の本性は、嫉妬と復讐だ。
即ち、いじめといじめ殺しだ。

*。
この不合理を、合理的にやるのが、厳罰主義だ。
嫉妬と復讐の否定の肯定が、厳罰主義だ。

ここに嫉妬と復讐を集中し、爆発炎上させる。

*。
今、インターネットでこれが盛んだ。
今まで日本人は、嫉妬と復讐を学んでいなかった。

インターネットは、その社会的学習の機会だ。
嫉妬と復讐をむき出しにして、その効果が分かる。
今までそれを学習する機会がなかった。

   *。
何かというと、殺せ、殺せの大合唱になる。

それは殺人者を国民が自ら殺したことがないことに対応する。
これをやった西欧は進化した。

日本は進化の機会がない。

*。
問題を感情にするばかりで、問題を問題として処理したことがない。

即ち、社会問題を、心の問題に還元し、
社会的に問題を処理するのでなく、
感情の問題として処理した。

*。
その結果が厳罰主義だ。
犯罪者を、自らが絞首刑にすれば、厳罰願望はなくなる

この間接主義が、日本の欠陥であった。

*。
これが仏教や儒教に優しさだろうか。
それが厳罰化を生み出しているのだ。

    *。
西欧では、主婦自らが、鶏やウサギを、台所で殺していた。
今はそうしない傾向だ。

これでより残酷になったか、ならなかったか。

*。
ヨーロッパは死刑を廃止した。
西欧は進化した。
パラドックスを発振させるのでなく、解消した。

    *。
厳罰主義は、パラドックスの発振であることが分かる。
進化に抵抗した。

人情世間体は、進化の否定であり、パラドックスの発振だ。
これが厳罰という仕組みだ。

*。
優しい人の残酷さ、
これが否定の肯定現象だ。

日本人には、オン・オフ回路が入っておらず、
否定の肯定が、肯定となってしまう。

否定の否定が抜け、その肯定だけに感応する。

*。
日本人の思考回路に異常があるのだ。

    *。
私は嘘は申しません。
このトータル、即ち、表裏を見ず、一部だけに感応する。

*。
日本人の思考回路に異常がある。
全体を見ず、一部で判断する。

これが結晶した、嘘を本気にするアスペルガー症候群だ。

これが厳罰主義の正体だ。

      *。
この文章は嘘である。

日本人の思考回路は、これを決定不能と出来ない。
言葉だけで考え、この文章を嘘としてしまう。

思考に論理がない。
即ち、感情論だ。

*。
これが否定の肯定を肯定とする。
非合理を合理と取る。

文章でなく、言葉だけに反応しているのだ!

*。
これが屁理屈である。

お上日本殺人工場

2010-08-20 05:27:01 | Weblog
殺人を記号化、
記号の消費を通した世界経済との差異化、
オリジナル資本主義と秀吉システムとのシミュレーションによる「現実」の消滅。

これがお上日本のポストモダンな消費社会だ。
そこには弱者の過労死・自殺・公害死・無実死刑…が入っている。

秀吉資本主義は、世界が考えているようのものではない。
秀吉こそ、世界を考えている。
秀吉主義は、カニバリズム資本主義を破壊する超エゴイズムだ。
これによって世界を変えるのだ。
これが秀吉免疫だ。

*。
殺人産業は、個々の主体の差異を消し去り、
社会を弱肉強食にすることに成功した。
最早、人々は自己否定の肯定、即ち、殺人を葛藤を覚えることなく、
人間的にことと思い、暖かい幸福だと思い楽しむのだ。

殺人産業はなかった。
殺人こそは、人々が自分自身に抱いている軽蔑以外のないものでもない。

殺人は自分自身への憎しみの反映だ。
自分が好きなら、自分を殺そうとはしない。

自分を殺さず、他人を殺して、殺人を快楽とするのだ。
自分を殺してはそれで終わりだ。
他人を殺せば、それは快楽となる。

       *。
これが否定の肯定だ。

自分殺しが出来ず、他人を殺して、
これを公然と晒すと、
殺人は快楽となる!

*。
すると自殺は、極めて合理的だ。
他人を殺さず、自分を殺せば、人にかける迷惑は最小化する。

すると引きこもりは、殺人美学かもしれない。
自然死の一種だから。

自殺は極めて高効率の生き方だ。
殺人産業は自殺産業に収束するだろう。

強者の手を借りず、早々と死ねば、強欲を殺すことだから。

       *。
これらが超理性の見た世界だ。
成長産業は、結局、自殺産業であった。
それを合理的に達成する自殺だ。

*。
経済成長は、弱者を先に殺し、強者が後に死ぬ、
アホ・バカ・間抜けの三本の矢だった。
阿呆な理性、馬鹿な知性、間抜けな感性の三位一体だ。
それは人文科学、人間宗教、文学のことであった。

これが真善美の終焉だ。

*。
人は日常を生きればいいのに、余計なことをやったもんだ。
経済成長は、殺人産業でしかなかった。