ハッキリいって、生意気ざかりの若いころは歳時記などバカにしていた。
「なんだよ、年寄りくさい」などと。
ヨーロッパ文化・・・とくにイタリア、フランスへの憧れが強かったから、芭蕉や蕪村はともかくとして、“月並俳諧”のたぐいには、さしたる関心がなかった。
それでも歳時記は、数種類もっている。
歳時記というような文化は、海外にはほとんど例がなく、まったくのところ、日本独自のものだろうと感じてきた。
父親は一時期、年寄りの手習いで俳句をつくっていたことがあったが、数年で飽きてしまったらしい。わたしは現代詩の“詩人”だから、俳句はつくらない。
しかし、自分が還暦に近づくにつれて、ものの「見え方」に変化が起こってきている。
いや、変化は年中起こっているので、数年前の「わたし」と、いま現在の「わたし」のあいだには、けっこう大きな、無視しえないへだたりがあるようにおもえる(^^;)
写真を撮って、そこに俳句をそえようとは考えていないけれど、歳時記からは、学びたいものがたくさんある。
コスモスほど透過光がよく似合う花はほかにないだろう。
トップにあげた一枚はコスモスを正面にとらえ、透過光の質感を狙った。
花びらのさきが、満身に秋の光を浴び、空気に少し溶けている。
そのデリケートな味わいを表現したくて、この色を選んだのある。
草木図譜というシリーズを手がけるようになって、歳時記がますます気になりはじめた。
たしか、歳時記には、戦後になって、洋花もどんどん取り入れられているはず。
花鳥風月をめでる感受性は、明治以降変質をこうむってはいるけれど、わが日本の気候風土なるものは、さほどの変化がない。
こちらは背後からのショット。
ハイキー写真はめったに撮らないけれど、これは意図してハイキーに仕上げてみたもの。たかが花写真、たかがコスモスというなかれ・・・と、わたしは自分にいいきかせている(笑)。
というわけで、昨年はこんなアルバムをつくっている。
mixiアルバム「光の国の花々」
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=422201188771997&owner_id=4279073
mixiアルバム「花の丘」
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=422201189583316&owner_id=4279073