秋になったら北信濃へいこうといっているのに、友人との予定の調整がつかず、のびのびになっている。
北信は若いころからあこがれの地だった。
目的地の一つは塩田平にある別所温泉。もう一つは飯山市。
遠ざかりつつある昭和のおもかげをさがしに、一泊二日ののんびり旅を・・・と。
群馬に住んでいると、名山が多く、風光明媚な長野県へのあこがれがつちかわれてくるのは、わたしばかりではないだろう。
群馬(上野)は幕府の直轄地ばかりで、地方固有の文化が育つ余地がほとんどなかった。いまだって、遠方の人から「群馬の名物・名産品はなんですか?」と尋ねられ、はたと困惑することがある。
ローカルな私鉄で遊んでみるのもいいし、雁木のある商店街をぶらぶら歩きするのもいいだろう。還暦おやじが、カメラをぶらさげて遊歩するには、北信はうってつけの土地柄のように思える。別所温泉には、過去に一度いっているけれど、あいにく写真からは関心がはなれていた時期だったため、ろくすっぽ写真は残ってはおらず、思い出せるようなエピソードもないのが残念(^^;)
老いた両親がいて、多少は面倒をみなければならないので、一泊で出かけるには、それなりの決心がいる。
・・・といっては、さきのばし、さきのばし(笑)。
ほんとうは出不精なだけだったりして。
さて、ここからはクラシック音楽の話題に変わる。
1.モーツァルト 40曲
2.ベートーヴェン 35曲
3.J・S・バッハ 19曲
4.シューベルト 15曲
5.シューマン 12曲
6.ブラームス 12曲
7.ショパン 11曲
この数字がなにかというと、音楽之友社から発行されている「新編 名曲名盤300」(レコード芸術編)にノミネートされている名曲の数。
10曲以上ノミネートされているのは、この7人だけ。
ハイドン、ブルックナー、マーラー、R・シュトラウスはいずれも10曲にいま一歩とどかない。
ごらんのようにぶっちぎりはモーツァルト、そしてベートーヴェン。
人気ナンバーワンのモーツァルト、ミスター・クラシックのベートーヴェンといったキャッチフレーズがぴったりかもしれない。
こんな数字を眺めているうち、またぞろモーツァルトが聴きたくなり、クルマに積んで会社でBGMとして、いま流れている。
モーツァルトが好きといっても、わたしはオペラは聴かないし、セレナード、ディヴェルティメントも、ほとんど聴いたことがなかった。知り合いにはモーツァルトはオペラですぞ!とおっしゃる先輩(群響の合唱団所属)がいるが、オペラって聴くより見るものという先入観があり、なかなか近づけない。
トップに掲げた写真は、CD5枚のモーツァルトと、「ミルク風味の鈴カステラ」。
セブンイレブンでたばこを買ったら、抽選でこの鈴カステラが当選したので、いまおいしくいただいている(^-^)
モーツァルトというと、わたしの場合、まずは協奏曲が思い浮かぶ。
ピアノ協奏曲では、第19番以降すべてすばらしい楽曲ばかりだし、そのほかにフルート、フルートとハープ、クラリネット、ホルン、ヴァイオリンの各協奏曲があって、どれも名曲といっていいのだから、ファンはたまらない(^^)/
聴きあきたはずの曲が、異演盤で聴くと、またまたいのちを吹き返したとでもいうように、耳に新鮮に聞こえてくる。
このあいだの日記で書いたように、クーベリックとクリフォード・カーゾンが共演したピアノ協奏曲第23番、第27番(輸入盤)など、その典型。
高雅とでもいったらいいのか、気取りのない、ピュアな音の綴れ織りは、陶酔の極みへとわたしをつれていってくれた。
「ずっとこのまま、終らないでほしい」
そんな欲望を疼かせる音楽は、そうめったにおめにかかれない。
セレナードやディヴェルティメントも、型にはまったBGM的な音楽だという偏見を捨てさって、虚心に聴いてみたくなり、CDが少しずつあつまりはじめた。
こういった音楽の場合でも、出会いというか、巡り会いのようなものが、必ず存在する。
この日、このとき聴きたい音楽と遭遇し、胸をゆさぶられるという体験は、一度味わうとクセになるのだろう(笑)。
演奏するではなく、あくまで“聴く”だけってのが、わたしの場合、悲しいねぇ。うちには保育士になった妹が弾いたアップライトのピアノがあるってのに。
このあいだ、BOOK OFFで見かけて、楽譜を3冊ほど買ってきた。
モーツァルトの交響曲第40番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番など。何行もあるパート譜を眺めていたら、頭が痛くなってきた(笑)。
ピアニストって、すごいよねぇ、たしかに。右手左手がまったく違った動きをするし、足はペダルを・・・まるで千手観音なみ。
わたしはミーハーな一ファンで十分だなあ(~o~)
北信は若いころからあこがれの地だった。
目的地の一つは塩田平にある別所温泉。もう一つは飯山市。
遠ざかりつつある昭和のおもかげをさがしに、一泊二日ののんびり旅を・・・と。
群馬に住んでいると、名山が多く、風光明媚な長野県へのあこがれがつちかわれてくるのは、わたしばかりではないだろう。
群馬(上野)は幕府の直轄地ばかりで、地方固有の文化が育つ余地がほとんどなかった。いまだって、遠方の人から「群馬の名物・名産品はなんですか?」と尋ねられ、はたと困惑することがある。
ローカルな私鉄で遊んでみるのもいいし、雁木のある商店街をぶらぶら歩きするのもいいだろう。還暦おやじが、カメラをぶらさげて遊歩するには、北信はうってつけの土地柄のように思える。別所温泉には、過去に一度いっているけれど、あいにく写真からは関心がはなれていた時期だったため、ろくすっぽ写真は残ってはおらず、思い出せるようなエピソードもないのが残念(^^;)
老いた両親がいて、多少は面倒をみなければならないので、一泊で出かけるには、それなりの決心がいる。
・・・といっては、さきのばし、さきのばし(笑)。
ほんとうは出不精なだけだったりして。
さて、ここからはクラシック音楽の話題に変わる。
1.モーツァルト 40曲
2.ベートーヴェン 35曲
3.J・S・バッハ 19曲
4.シューベルト 15曲
5.シューマン 12曲
6.ブラームス 12曲
7.ショパン 11曲
この数字がなにかというと、音楽之友社から発行されている「新編 名曲名盤300」(レコード芸術編)にノミネートされている名曲の数。
10曲以上ノミネートされているのは、この7人だけ。
ハイドン、ブルックナー、マーラー、R・シュトラウスはいずれも10曲にいま一歩とどかない。
ごらんのようにぶっちぎりはモーツァルト、そしてベートーヴェン。
人気ナンバーワンのモーツァルト、ミスター・クラシックのベートーヴェンといったキャッチフレーズがぴったりかもしれない。
こんな数字を眺めているうち、またぞろモーツァルトが聴きたくなり、クルマに積んで会社でBGMとして、いま流れている。
モーツァルトが好きといっても、わたしはオペラは聴かないし、セレナード、ディヴェルティメントも、ほとんど聴いたことがなかった。知り合いにはモーツァルトはオペラですぞ!とおっしゃる先輩(群響の合唱団所属)がいるが、オペラって聴くより見るものという先入観があり、なかなか近づけない。
トップに掲げた写真は、CD5枚のモーツァルトと、「ミルク風味の鈴カステラ」。
セブンイレブンでたばこを買ったら、抽選でこの鈴カステラが当選したので、いまおいしくいただいている(^-^)
モーツァルトというと、わたしの場合、まずは協奏曲が思い浮かぶ。
ピアノ協奏曲では、第19番以降すべてすばらしい楽曲ばかりだし、そのほかにフルート、フルートとハープ、クラリネット、ホルン、ヴァイオリンの各協奏曲があって、どれも名曲といっていいのだから、ファンはたまらない(^^)/
聴きあきたはずの曲が、異演盤で聴くと、またまたいのちを吹き返したとでもいうように、耳に新鮮に聞こえてくる。
このあいだの日記で書いたように、クーベリックとクリフォード・カーゾンが共演したピアノ協奏曲第23番、第27番(輸入盤)など、その典型。
高雅とでもいったらいいのか、気取りのない、ピュアな音の綴れ織りは、陶酔の極みへとわたしをつれていってくれた。
「ずっとこのまま、終らないでほしい」
そんな欲望を疼かせる音楽は、そうめったにおめにかかれない。
セレナードやディヴェルティメントも、型にはまったBGM的な音楽だという偏見を捨てさって、虚心に聴いてみたくなり、CDが少しずつあつまりはじめた。
こういった音楽の場合でも、出会いというか、巡り会いのようなものが、必ず存在する。
この日、このとき聴きたい音楽と遭遇し、胸をゆさぶられるという体験は、一度味わうとクセになるのだろう(笑)。
演奏するではなく、あくまで“聴く”だけってのが、わたしの場合、悲しいねぇ。うちには保育士になった妹が弾いたアップライトのピアノがあるってのに。
このあいだ、BOOK OFFで見かけて、楽譜を3冊ほど買ってきた。
モーツァルトの交響曲第40番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番など。何行もあるパート譜を眺めていたら、頭が痛くなってきた(笑)。
ピアニストって、すごいよねぇ、たしかに。右手左手がまったく違った動きをするし、足はペダルを・・・まるで千手観音なみ。
わたしはミーハーな一ファンで十分だなあ(~o~)