二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「永続敗戦論 戦後日本の核心」白井聡(太田出版) 2013年刊

2018年01月05日 | 歴史・民俗・人類学
レビューはパスしようかと思ったが、数日前、最後まで読みおえることが出来たので、簡単に感想をしるしておこう。
佐藤優さんの著書の中で紹介されていたので、手にしたようなものだが・・・。

「戦後政治論」
「戦後経済論」
「戦後文学論」

こういったタイトルの本は、失礼ながら、掃いてすてるほどある。わたしは文学論は何冊か読んでいるが、江藤淳さんの本以外は、ほとんどまっく記憶に残っていない。
本書は政治論に軸足を置いたもので、論旨はすっきりとまとまっている。

しかし、くり返しがとても多い。
圧縮すれば4~50ページですんでしまう論攷を、200ページに渡って展開しているしつこさが気になった。
白井聡さんは、社会学者。
社会学者が書いた「政治論」であること・・・素人の論であると、多少の留保をつけている。

とはいえ、素人だからこそ、いままでだれもいわなかった、危うい問題に踏み込むことができた・・・ともいえる。政治学者をもって任じる人たちに、反響を巻き起こし、角川財団学芸賞、石橋湛山賞を受賞している。
オビに付せられたその反響を引用しておく。
《いまの政治をめぐる言説、特に日米、日中、日韓、日露関係をめぐる外交にかかわる言説の本質的な欺瞞性を、若い世代もちゃんと感じ取ってくれていると知って、ほっとしました》(内田樹)
《日本の未来は捨てたものではない。「対米従属」と「無責任」極まりない日本の支配層を厳しく問う学者が育ってきた》(孫崎亨)
《読んだあと、顔面に強烈なパンチを見舞われ、あっけなくマットに仰向けに倒れこむ心境になった。こんな読後感ははじめてだ》(水野和夫)

本書は敗戦を終戦といい換えて、責任を回避し続けた戦後の為政者たちに、真っ向から批判を浴びせている。そのことによって、永続的に「敗戦状態」が継続し、その構造を自覚できないまま過ぎてきたと白井さんはいう。
日米安保は、逆説的にいえば、国体=天皇制を補完するためのシステムだという知見は、これまでだれも指摘しなかった洞察を含んでいる、とわたしも思う。第三章「戦後の『国体』としての永続敗戦」で、その欺瞞を抉っている。

しかし、一方では、領土問題、慰安婦問題で“身も蓋もない”ことをいっているのも事実。
そんなことは百も承知の上で、戦後日本の外交的な舵取りをしてきたのが、保守本流の政治家たちであったのではないか?
正論を吐く息子の反抗に手を焼きながら、右顧左眄し、途方に暮れる父。
「これ以外に、どんな“政治”が可能だったというのか」と、ますます自信を失うだけと、そういう考え方もありうるだろう。

批評家は、何とでもいえる。しかも、もう終ってしまった試合について「あのとき、こうすべきであった」という言説の虚しさ。
政治や外交の任を背負って立つ人と、横からあれこれ思いつきで批判する人の差はうめることができない。「じゃ、あんたがやってみるか!?」という反撃は、当然ありうる・・・とわたしはかんがえる。

たしかに、“ぶっちゃけた”とでもいいたくなる論なのである。欺瞞の構造は、そのまま政治、外交の構造でもある。欺瞞を抉ることで破綻してまっては、元も子もない。
正論必ずしも正しからず。
すぐれた政治家は、そのことを、日常的な政治活動から身に沁みて知っている。
白井さんに、そういった複眼的な思考があったら、さらに卓越した論攷になったろう。



評価:☆☆☆☆

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