二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

カメラを手にして時空を旅する

2014年01月08日 | Blog & Photo
「時空を旅する」というと、いかにもキザというか、カッコつけに聞こえるだろう。
わたしが菅江真澄にヒントをえて、「郷土遊覧記」をはじめたのは、わたしが還暦をむかえたことと、なにか相関関係があるのかもしれないと考えるようになった。

この年齢となると、未来よりは、過去のほうが、分厚い地層をもっている。
過去をいたずらに美化しようとはおもわないが、「なつかしい」という感情が、これほど激しいとは、最近になるまで気がつかなかった。それは経験してみないと、だれにもわからないだろう。
ある種のパッションとして、なつかしさの感情が、わたしの心身をさらっていく。

一歳年下の友人がやっている「昭和ラヂオ」なんかも、その名の通り、昭和ネタをめぐるおしゃべりを中心に収録され、思い出や経験を掘り起こしては、出席者がなつかしむという、インターネット・ラヂオ番組。
http://www.showaradio.com/

街角ギャラリーとわたしが称しているものの中に、昭和ロマンのおもかげをいまにとどめている被写体が、かなり多くふくまれている。
観光客目当てにわざとらしく復元された「レトロ」ではない。
気がつかない人には、それが「そこにある」ことが、もしかしたら、見えないのかもしれない。

カメラを手にして、時空をさまよう。
思いがけないものや、思いがけない人が、思いがけないところに存在する。
出会いの瞬間に、それら被写体と、わたしの感情がクロスし、スパークする。
それが被写体の発見という意味である。







そういうものばかりを集めて歩いているわけではないが、わたしの無意識は、たえずことばにならないささやきを送ってくる。
「おや?」「うーん、そうか」「へええ、こんなところにこんなものが」「よしよし、カメラでメモしておこう」
そういう行為としての撮影。時の化石との遭遇。

へたな説明は、かえってしないほうがいいだろう。
撮影することによって、喪失したものをさがしあて、回収し、わたし自身の内部に取り込んでいく。あるいは、フォトとして記録し、いつでも見て、確認できる形象に変えていく。
そこにカメラを手にして時空を旅することの目的がある。
「あんなこともあったし、こんなこともあった」
そのときのわたしは、その場所に、そのまま取り残されている。
そういう自分や、自分の周りにあったものや、過ぎ去った生活に、遇いにいく。

いや、わずかな片鱗のようなものでかまわない。
それを起点として、テコとして、想像力が拡がっていくから。だからこのごろ、ボンヤリ時間を過ごしていても、少しも退屈ではない。
時の化石が、いつでも参照できる形でわたしのそばに寄り添っている。
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