二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

螺旋形の思考 ~追悼吉田秀和

2012年11月27日 | Blog & Photo

吉田秀和さんの思考は、直線的ではない。あえていえば、螺旋形。ある一面からだけ眺めると、一カ所に立ち止まっているようで、しだいにことばの深みへと、あるいは高みへと、読む者をつれていく。
今年5月に新聞で訃報に接してからしばらくたって、わたしには吉田さんを読むきっかけとなった「レコードのモーツァルト」(中公文庫)を引張り出し、半分くらい読み返した。
吉田さんの文章は司馬遼太郎さんの文章のように、ゆっくりした回転運動をしながら、徐々に対象の核心にせまっていく・・・そういう文体の持ち主であった。

くり返し、あるところに立ち戻っていく。そして、そのたびに、思考は少しずつ深まりをみせて、読者を引き寄せてはなさない。モーツァルトやベートーヴェンやワーグナーは、若い吉田さんを捉えた至高の存在であり、他に比べるもののない根底的な価値の源泉だった。そこへくり返し、くり返し立ち戻ってゆく。そういう生涯であったのではないだろうか。
ヨーロッパの旅でその実演に接することができたフルトヴェングラーの演奏についても、そうである。



先日、紀伊國屋書店を散歩していたら「吉田秀和 ――音楽を心の友と」(音楽之友社/レコード芸術編)という本が刊行されているのを見つけて、いまそれを読みはじめたところ。
そこに吉田さんの「遺稿」が収められている。

《「音」は音楽の生命である。しかも、その生命は一瞬にして消える。
何とはかないことだろう。
だから、私たちはそのはかないものの生命を大事にし、こよなく愛する。》
(遺稿「之を楽しむ者に如かず」より)

単に先駆者というにとどまらず、すぐれたふところの深い文体によって、いまでもお手本をしめしつづける多くの批評・エッセイを残し、98才で亡くなるまで、現役を通した。
最後のエッセイは、ホロヴィッツやハイフェッツを称えるものだった。
これが、その肉筆原稿の写し。



「そうか、うかうかとしているうちに、とうとう“吉田秀和さんの時代”が終ってしまったのだな」
あらためてそんな感慨が胸をよぎる。
最近では、思想家吉本隆明さんが亡くなったときにも、こんな感想をいだいて、気持ちが少し暗くなった。決まりきった表現をつかえば「巨星墜つ」といったところだろうか。
河出文庫で手に入れた「マーラー」を読みおえ、いまは「フルトヴェングラー」を読んでいるところだけれど、吉田さんの文章は、いわゆる名文ではないが、とてもフレキシブルで、体臭のようなものがにおってくるような“生きた”文章である。

吉田さんがいなければ(それと宇野功芳さんをつけ加えてもいいが)、わたしのような者が、クラシック音楽にこんなふうにのめり込むことなんて、ありえなかっただろう。
小林秀雄、中原中也、吉田秀和、河上徹太郎、大岡昇平といった名前をはじめて知ったのは、おそらく高校1年か2年のころ。あれから、もうずいぶんと時間がたって、尊敬すべき人びとは、すべて死んでしまった。吉田さんは、その最後の一人だった・・・と思うと、胸が痛む。



久しぶりの友人から電話があってランチを食べながら、「放浪」ということについて、彼が話すのを聞いていた。放浪の画家秋山誠さんと出会った彼は、そこから強い印象を受けたらしく、だれかに語らずにはいられなかったのだろう。
レストランの窓際。
11月終わりに近い低い陽射しがわたしの肩越しに斜めに射し込み、水の入ったコップを通過して、テーブルにおもしろい光と影の網目を映していた。
それが、この一枚。



「たとえばモーツァルトの音の粒を写真に撮ることができたら、きっとこういう現象なのだろう」
友の声が遠ざかり、そんな思念が、なにか影法師のように、わたしの胸を横切って消えていくのを感じた。

トップにあげたのは、ついさっき、会社の前の道路からパチリ撮ったもの。
夕陽がきれいだった。北海道では猛吹雪だとか(^^;)

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