二草庵摘録

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水谷千秋「女帝と譲位の古代史」(文春新書 2003年刊)レビュー

2019年09月15日 | 歴史・民俗・人類学
岩波新書シリーズ日本古代史第6巻「摂関政治」と前後して読みはじめたが、こちらをさきに読みおえたので感想を書いておこう。
どんな内容かというと、
《現在の皇室典範では女性の皇位継承は認められていないが、古代においては推古天皇以来、複数の女帝が皇位に就いている。従来は、適当な男性の皇位継承者がいないときの「中継ぎ」と見られていた女帝だが、『記・紀』を丹念に読み解けば、女帝が単なる「中断ぎ」ではなく、皇位を安定させ、政治の動揺を未然に防ぐために重要な役割を果たしていたことがわかる。古代天皇制の特徴である「女帝」と「生前譲位」をキーワードに、皇位継承の歴史を描き出す。》(BOOKデータベースより引用)
・・・である(^^;)。

古代において、
推古
皇極
斉明(重祚)
持統
元明
元正
孝謙
称徳(重祚)

と8代6人の女帝がいる。
さらに江戸期には、明正、後桜町の2人が女帝として即位。
全員寡婦または未婚である。

女性天皇は「中継ぎ」だという説が歴史家のあいだでは大勢をしめるが、水谷さんも、その立場から検証している。しかし、そればかりではなく「皇位を安定させ、政治の動揺を未然に防ぐために重要な役割」があったことに注意を促している。
わたし的には「推古天皇論」「持統天皇論」をもっと尖鋭に展開してくれるのではないかと、期待していたのだが、本書は全体として、あまり凝縮力が感じられず、記述がやや散漫な部分が多い。

中国の場合は、4千年もの歴史がありながら、女帝はたった一人、武則天(則天武后)がいるのみ。
※ 則天武后についてはこちらが詳しい。
https://rekijin.com/?p=26808

男帝は残虐、女帝はやさしいと思われるかもしれないが、そうではない。長年にわたって独裁権力を維持していくためには、眉一つ動かさず、政敵、あるいは邪魔者を殺すとことができなければならない。
それに比較すれば、日本の女帝は、表ではいくらかおとなしくみえる(=_=)

わたしがおもしろいと感じたのは、聖武天皇の皇后として登場した光明皇后の存在と、その権力行使の在りよう。
背後に藤原氏の黒い権力集団が蠢いているのは、だれが見てもわかる。
しかし、彼女は政権のキャスティングボードを、巧みに長期間握りつづける。
《聖武は皇位を娘の阿倍皇太子に譲ったにも拘わらず、これからはまず光明皇太后に従うように群臣に厳命しているのだ。即位する孝謙はその次でしかない。皇太后への信頼の厚さをみることができる。
事実、光明皇太后はその後、孝謙以上に実権を行使しはじめる。》(本書177ページ)

皇太后になることによって、真の権力者になっていく。これはのちの院政につながっていく権力構造ではないだろうか?
息子も娘も母親には頭が上がらない。そういう意味で「女性であること」を逆手にとったやわらかな支配の形態であるといえるだろう。

彼女は親許の藤原氏と結託し、ライバル長屋王を、一族もろとも現世から葬っているのだそうである。しかも、その宏壮な屋敷跡を引き継いで、自身の屋敷にしている。山背大兄皇子のときと同じ恐るべき惨劇が、ここでもくり返された。

少しもの足らない部分もある。ほんとうにおもしろいのは、前半。後半に入るころから、先学の言説に寄りかかって、えぐりが浅くなってしまった。
一応4点評価にしておくが、やや残念。
ほかの著作を読んで補うようになるだろう。
「光明皇后 - 平城京にかけた夢と祈り」 (瀧浪 貞子著 中公新書)ほか、何冊かは準備できているが・・・。




評価:☆☆☆☆

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