いだたきものの、ローカルアボカド。とってもおっきいのだ
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せっかく話題を変えたのに、やっぱりニコの事を書きたくなりました。
最近ペットを亡くされた方など、思い出してしまうかも、と思われる方はこの記事はスルーして下さい。
ブログタイトルの「犬と暮らすハワイ」の部分とかIDの写真、替えなきゃなー、とか、思ってはいるのだけれど、とりあえずそのままいきます。
ニコがいなくなって、10日以上がたった。
あんがい淡々と、日々が過ぎていく。
犬仲間や仕事仲間が気を使ってくれるのが、申し訳ない。
もともと高齢の犬だから、いつかお別れの日が来ることは随分前から覚悟していたし、わたしの、「死」というものの捉え方は「通過点」という認識。
子宮の中で、卵子と精子が出会って、細胞分裂を繰り返して、どんどん姿を変えて羊水の中でプカプカ浮かんでいた平安な日々が、ある日突然、外界に放り出される。
大きな鳴き声ではじめての肺呼吸をする。
これって、現世にとっては誕生だけど、子宮の中の世界から見たら、別離、死と同等なんじゃない?
死は、わたし達が生きている現世から違う世界へ魂が移行しているだけなんじゃない?
わたしたちのからだの中の細胞も、一つ一つを見たら生きて死んでをくりかえしているのだし。
そんな風に考えているので、あまり悲壮な感覚で「死」を捉えていない。
もちろん、ニコの気配がわたしのまわりに感じられないことは、寂しいけれど。
火葬場から戻ってきたニコの灰は、小さな缶に入れられて、紺色のビロードの袋に収められていた。
「虹の橋でまた会える日まで」
と、金色の文字で刺繍がしてある。
この「虹の橋」のポエムはアメリカではとても有名だ。
ポエムを書いた紙も一緒にもらったと思うのだけれど、kenjiがどこかにしまったのか見当たらない。
たしか、
死んでしまったペットは、天国の手前の虹の橋のたもとで、元気な姿になって、あなたを待つ。
あなたが死んだ時、ペットはあなたを見つけ、一緒に天国へと虹の橋を渡る。
というポエム。
これは、キリスト教らしい?というか、アメリカらしいなあ、と思う。
じつは、このポエム、わたしはあまり好きではないのだ。
・・・・・・言っちゃった(^_^;)。
これ言うと、このポエムで心を慰められたペットロスの人たちから殴られるかもしれないけど言っちゃった。
だってさ、わたしが死ぬのはずっと先だ。(長寿家系だもの)
それまでずっと待っててもらうのは気の毒だ。
さっさと先に天国へ行って欲しい。
というか、輪廻転生。さっさと生まれ変わって欲しい。
生まれ変わりは仏教の考え方で、キリスト教にはないんでしょう?
それに、飼い主を待つ、って主従関係のようで、わたしにはしっくりこない。
肉体のあるうちはそりゃ、ニコは飼い主がいなけりゃゴハンももらえない。
そういう意味での「飼い主とペット」、という関係はあるけれど、魂だけになったら平等じゃないの?と思う。
逆に、人間が先に死んだら、虹の橋のたもとでペットを待つ?
わたしは、ニコにはさっさと天国に行って、生まれ変わって来て欲しい。
仏教では魂は49日間この世にとどまり、あの世へいく。
ニコがいなくなってから、「ニコのものを見るのが辛い」というkenjiの意見で、愛用の首輪2つを残して、あとはすっきり処分した。
玄関においてあった水とご飯入れがなくなって、ニコの脚のために敷いてあった小さなマットを取り外すと、
もとの白いタイルの床がやけにひんやりと冷たく、広々としてよけいにニコがいない、ということを意識させる。
kenji、逆効果だったね(^_^;)。
殆どのものは処分したけれど、ニコがまだこの辺にいるかもしれないので、ベッドだけはいつもの場所に残してある。
これも、49日が終わったら片付けよう。
トップ画面にローカルのアボカドの写真を一番最初にアップした。
アボカドのことを書こうと、これを頂いたいきさつでニコのことにサラッと触れるだけのつもりで書き始めたら、なぜか虹の橋の事になって長くなっちゃった。
次の記事はちゃんと、ローカルアボカドです(^_^;)。
mamo style shopping
日本帰国時に合わせて、ネットであれこれお買い物。
今まで買ってよかったもの、失敗したもの、次の帰国に合わせて買いたいもの、など、
お買い物記録(覚え書きもふくめて(^_^;))を別ブログにアップしてみました。
海外の人へのお土産選びの参考になるかも?
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そうなんですね~。一瞬なんだったらいいですね。
たぶんニコ、どんくさいからわたしが行っても気づかないと思う~。(^_^;)。
私、確かこのポエムを前に見たことがあった気がするのだけど、たぶん、この教えでは現世の一生と言うのが、雲の上では一瞬の出来事なので、だから、実際には待ってたよ感は無いのかもしれませんね。何となく、渡ろうと思ってたら後ろからやってきたみたいな。
家の子だったら、クンクン橋の臭い嗅いでる間に私来ちゃった系かもです
ニコ、たぶん日本のおじいちゃんとこに行って、パン耳おねだりしてる気がする(^_^;)。
日本に住んでた時、朝起きたら一番に、母屋にすっ飛んでいったもん。あさごはんいつもパン食のkenjiの両親なのだ。
ローカルアボカド、みずみずしくて美味しいよねー。
魂は生き続けてますよ。ニコちゃんの話をしている時、それは魂がそこにあるんですよ。
ーと私は信じてる。亡くなって10年以上たつのに、そこにいるように、父の話はよくしますよ。悲しみはもうない。懐かしさや楽しい話として、、、人のうちに生き続けるんだと思う。
ローカルアボカド、食べたーい!!