ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

8月15日に想う

2019-08-15 11:05:09 | 映画

(これは2018年8月15日の記事です)

あいかわらず暑い毎日ですが、
皆さん、大丈夫ですか、生きてますか?

今日は終戦記念日ですね。
正確にいうと、日本が戦争に負けた日です。

私を含め、戦後生まれの世代も年をとってきました。
たまにですが、
「あの頃はしょっちゅう空襲警報が鳴るし、食べるものがなくて大変だったわねえ」
と少し上の世代の人から話しかけられたりしますが、私しゃ戦後生まれですわ(まだ若いのよ)

私の父は中国に出兵したそうですが、戦争の話はしたがりませんでした。
父にとって、戦争は、ある意味青春でもありました。
戦友との交流も亡くなる直前まであったようです。

私が戦争反対、などと言おうものなら、だれがこの国を守ったと思ってるんだ、国を守って死んでいった人たちにそんなことが言えるのか!と怒りだしたものです。

死ぬまで「天皇陛下万歳」の人でした。
皇国少年だったし、今でもそうだ、と宣言し、
日本はアジアを列強の植民地支配から解放したのだ、と本気で信じていました。

中国や韓国、あるいは東南アジアの国々を見下してもいました。
「最近、第三国人がやたら増えて困る」などと言っておりました。

その父に対して、
人間は皆平等だ、中国や韓国を見下すのは間違っている、あなたは洗脳されていたのだ、というのは簡単ですが(聞き入れるはずもありませんが)、
では、私たちはどうなんだろうか。
人間は、常に何かに洗脳された状態で生きているのではないだろうか、というのが最近の私の実感です。

日本人は事大主義者で、常に強者に従うミニオンズみたいなクリーチャーだというのは、昔も今も変わらない事実です。

戦記や戦争小説を読んでいると、必ずこうした事大主義者が登場します。
昨日まで御用聞きでヘイコラしていた人が、ある日軍に徴用され、検査官になったとたん高圧的で暴力的な人物に豹変する、といった話です。

強者につけば自分も強くなったと錯覚する。だから常に強者に盲目的に従う。

自分の頭でモノを考えない、あるいは、考えずにすむよう誰か(何か)に従属する、果ては考えることを罪悪視する、そうした風潮が蔓延してくると、戦争は間近に迫っていると思ってまちがいないと思います。

ナチスにしろ、天皇制ファシズムにしろ、人々から「考える」ことを奪うところから始まりました。そして、それは瞬く間に国じゅうに広がる伝染病のようなものでした。

ジョージ・オーウェルの「1984年」は、
「ハンドメイズ・テイル」や様々なディストピア小説、映画として今も語り継がれています。

戦争、あるいはディストピアを回避するためには、一人ひとりが「考える」ことを放棄しない、考える自由だけは誰も奪うことができない、ということを肝に銘じること、そして歴史から学ぶことが、非常に大事なのではないかと思います。

抽象的ではありますが、それが今年の終戦記念日の私の感想です。

ちなみに、
これだけは忘れないよう記憶しておきたいと思います。

第二次世界大戦の犠牲者(1939-1945)
 戦死者数:4000~5000万人
 一般市民の犠牲:3000万人

ナチスドイツのホロコーストで虐殺されたユダヤ人:600万人

日本人の犠牲者
 戦死者数:230万人
 一般市民:80万人 
 内、広島の犠牲者:14万人、長崎の犠牲者:7万人


(数字はそれぞれ概数)

私やあなたの両親、祖父母もこの中に入っていたかもしれない・・

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カリフォルニア・ダウン

2019-08-14 10:42:35 | 映画

 

(これは2018年5月の記事です)

誕生日が来て、また新しい一年を迎えることになりました。

数日前、映画を2本立て続けに見ました。

「カリフォルニア・ダウン」
「ジオストーム」

どちらも災害パニック映画です。
こういう映画、私はけっこう好きでよく見ます。

大地震が起きて大地がパックリと割れ、大都市のビルが次々と倒壊していくシーンは迫力があり、何度でも見たくなります。

「2012年」「ゴジラ」も好きだなあ。

破壊力のある映画が好きなのですね。
戦争映画とかアクション映画ではなく、もっと大きな自然の破壊力。人間の力の及ばぬ領域の力。壮絶な破壊力で人間が造りあげてきたものが徹底的に壊される、そういう物語がけっこう好きなのだと思います。聖書のソドムとゴモラみたいに。

日常生活では、せいぜいコップを落として割っちゃった、くらいしか破壊力のある生活をしていないので、余計にそう思うのかもしれない。

とことん破壊しまくる。
ああ、なんてこと、大都市が壊滅していく・・
背筋がゾクゾクし、ああ、なんて凄まじい破壊力! と感動するわけです。
見終えれば平和な日常がそこにあり、大地震が起きてなくてよかった、と安堵のため息をつき、映画のことはすっかり忘れます。破壊衝動はいくらかおさまりますがすっかり無くなったわけではない。

思えば、私たちは壊さなくなって久しい。

「壊してはいけません」と両親からも学校でも教わってきたからでしょう。

でも、目に見える「破壊」じゃないけれど、
私たちはじわじわと他人および自分の人生を破壊し続けてきた、あるいは今もそうしているのではないかと、最近思うようになりました。

じわじわと押し寄せてくるものに私たちはなかなか気づかない。
だからこそ、映画のような破壊力でそれを具現化しようとするのではないか。
本当に起きているのは、映画の中ではなく、自分自身の心の中なのではないか。

だったら、いっそのこと、破壊してみたらどうだろう?
というのが、誕生日に思いついた少々危険な?思考です。

で、何を破壊するの?

破壊した先に何があるの?

次なるものをどう構築するの?

というあたりが今年の課題かと思います。
とりあえず、私が今年何歳になったかという「思考」を破壊してみたいと思います。その思考は言葉になり、その言葉は行動にブレーキをかけ、ブレーキのかかった行動は精神を蝕み、やがて実際に年齢通りの生き方をするようになるからです。

マザー・テレサが言っていたように、

 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


今年は、自らの思考に気をつけ、言葉に気をつけ、行動に気をつけ、習慣に気をつけて日々を送るようにしよう。そしたら、私の運命も変わるかもしれない・・
と誕生日の朝、思ったのでした。

ちなみにこの二本の映画を見比べてみて、
「カリフォルニア・ダウン」のほうが面白かった。
「ジオストーム」は今年話題になりましたが、「アルマゲドン」に似てるし「アルマゲドン」のほうがはるかに面白いのでわざわざ見るまでもない。

でも、破壊力のある映画が好きなら両方見るのもいいかもしれない。
両方とも、ハリウッドならではのご都合主義でいかにもエンターテイメントといった感じの映画ですが、こういうのもたまにはいいよ。

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施餓鬼と「裏窓」

2019-08-12 19:53:11 | 映画

(これは2018年7月22日の記事です)

いやあ毎日暑いですねえ。みなさんいかがお過ごしでしょうか?

今日は毎年恒例の施餓鬼の日で、35度を超える酷暑の中、東京でも一番暑いと云われている練馬まで行って来ました。
一年で一番暑いこの時期に、檀家の善男善女(ほとんど年寄り)を寺の本堂に集めて極楽浄土の話をするってブラックジョークか、という感じの行事ですね。

幸い、熱中症で救急搬送された善男善女はいなかったようですが、コンクリートの照り返しが酷くて絶対40度超えてるだろ、と言う酷暑でした。よくぞ生きのびた、私。

この際一気に極楽浄土へというのも悪くないかも・・と一瞬思った。

You might think but today's hot fish!
(いうまいと思えど今日の暑さかな)

施餓鬼も無事終了し、御墓参りも済ませ、帰りに喫茶店で涼んでいたらジャズピアノが聞こえてくるじゃありませんか。

それ聴きながら、ふと思い出したのがヒッチコックの映画

「裏窓」

ジェフリーズ(ジェームズ・スチュワート)はカメラマンですが、足を骨折して動けなくなり、NYのアパートの窓から近所をウォッチングしています。
ある日、夜中に悲鳴が聞こえ、その夜、男が大きなカバンを何度も運びだすのを彼は目撃します。向かいのダンナが奥さんを殺害しバラバラにして運びだしたに違いない、と彼は恋人のリサ・フリモント(グレース・ケリー)にいうのですが、リサは「殺人事件なんてそうやたらに起きるもんじゃないわ」といいます。
でも、実は・・

何しろ真夏のNY。エアコンなんてものはなかった時代で、ジェフリーズの汗を見ただけで、どんだけ暑いんだとわかります。その暑い中、隣に住んでいる売れないピアニストが弾く曲が、そう、今日喫茶店にかかっていた曲によく似てた。

ああ、早く帰って「裏窓」見よう!
と思った。

グレイス・ケリーに会いたくて。

それにしてもまだ7月よ。
本当なら今日あたり梅雨明け宣言がされる頃ですよ。
8月はまるまる一か月ある。

皆さんもどうか気を確かに。この夏を生き延びませう。

(追記。去年の夏も暑かったですねえ。今年も暑いですねえ。来年も暑いのかしらねえ・・)

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万引き家族

2019-08-10 10:22:19 | 映画

 

amazonプライムで「万引き家族」がフリーになったので見ました。

「万引き家族」(是枝裕和監督作品 2018年)

カンヌ映画祭でパルムドールを受賞したのは記憶に新しいところです。

是枝裕和監督といえば、「誰も知らない」「そして、父になる」「歩いても歩いても」など、
家族の問題を問いかける作品が多いですね。

今回の「万引き家族」も例外ではなく、家族って何だろう、というのをさらに深く掘り下げた作品です。

でも、これ、一筋縄ではいかないストーリーなのですよ。

(以下、ネタバレ)

一見、幸せそうに見える家族
父と母(みたいに見える中年の男女)と20歳くらいの娘アキ、小学生の息子ショウタ、おばあちゃんの5人家族・・
でも、彼らは血の繋がりのない赤の他人の寄せ集めです。
父と母(みたいに見える中年の男女)も結婚しているわけではなく、アキもショウタも血の繋がりはない。それが徐々に見えてきます。

そして、彼らはすごく貧乏。
家は古くてボロくて家の中は乱雑で、ふすまには穴があき、風呂はあるけどすごく汚い。
でも、彼らはなんだか楽しそうで、とても幸せそうに見えます。

この光景を見たとき、私は既視感を覚えました。
ああ、知ってる、この光景、こういう家族・・

そして、この先はあんまり見たくないなあと思いました。
社会の底辺にいる人たちがどんなか、少しだけど知っているので、あえて映画まで見たくない。

お父さんは工事現場の作業員、お母さんはクリーニング工場、娘は風俗で働き、おばあちゃんも何やら後ろ暗いお金を稼いでいる。でも、それじゃ足りないので万引きをして生計をたてています。

(5人のうち大人4人が薄給とはいえ働いているにもかかわらず、スーパーで万引きしたカップ麺が主食って、もう少しマシなもん食えるでしょ。もしかしてボロ家だけど家賃がすごく高いとか?)

ある日、彼らは通りがかりに5歳くらいの少女を拾います。
リンと名付けた少女には火傷の跡があり、どうやら親に虐待されているらしい。親元に帰りたがらないし、捜索願いも出ていない。

そこでリンは6人目の家族となり、一緒に暮らし始めます。ショウタがリンに万引きを教えます。

幼いリンにとっては、貧乏だけど愛情に満ちたこの家族は、虐待する実の親よりはるかにいい、はるかに大事なものをリンに与えてくれるのでした。

「叩くのはリンが悪いからじゃないの。好きだから叩くなんて嘘なの。好きだったらね、こうやるの」
といって、お母さん(代理)がぎゅっとリンを抱きしめるシーンは印象的です。

まあ、いろいろあって、おばあちゃんが亡くなり、ショウタが万引きで捕まり、家族は夜逃げしようとしたところを警察に捕まってしまいます。

母は(前歴のある父の代わりに)逮捕され、ショウタは施設に預けられ、リンとアキは実の親元に帰されます。

そして最後に、ショウタもまた幼い頃駐車場に放置されていたのをこの両親に拾われたということが明らかになります。

つまりニセ家族の物語。でも、愛情たっぷりの家族、に見えるニセ家族。

さて、この愛情は本物でしょうか?

最後にショウタが捕まった時、お父さんはショウタを置いて夜逃げしようとします。
ショウタは逃げる途中で足を骨折し入院しているのだけど、そのショウタを置いて皆で夜逃げしようとした、そのことを後にショウタに聞かれます。

「ぼくを置いて逃げようとしたの?」

すると、リリー・フランキー演じるお父さん(代理)は、

「ああ・・した。ごめんな」と言います。

すごく軽い男なのですね。無知で軽くて無責任に生きている。でも、人間にとって何が大事かはちゃんと知っている。非常にプリミティブな男です。
従って、彼らの愛情は嘘ではないけど、本物だとも言えない。

金持ちだけど冷たい親、もしくは子どもを虐待する親と、無知で無能で貧乏だけど愛情に満ちた親と、どっちがいい?

と、問いかけているわけではありません、この映画は。

だって、どっちもダメだもの。

万引き家族は、行き場のない人や虐待された子どもたちの一時預かり所みたいな場所なんですね。
でも、あくまで一時的なもの。子どもたちをここで育てることは出来ない。戸籍もないし、学校にも行けない。社会福祉も受けられない。
それを、賢いショウタは見抜くのですね。

だから、ショウタはわざと捕まった。そして、家族はバラバラになります。

是枝監督の家族の物語はますます深みを帯びていくようですが、私しゃもうこれ以上見たくないなあ。

いい映画ですよ。
でも、実際に底辺を経験した人、酷い家族に苦しめられた人、あるいは今も苦しめられている人にはあまりお勧めしません。

見てると苦しくなるから。
そうじゃない人にはお勧めです。

 

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8月6日に想う

2019-08-08 10:31:13 | 映画

 

再び「ないない島通信」からの転載を続けたいと思います。
あともう少しで終わりますので、しばらくのご辛抱を。

(以下、2017年8月7日の記事です)

昨日は8月6日、72年前広島に原爆が落とされた日でした。

私は戦後の生まれで戦争を知らない世代ですが、私の父は中国に出兵したと言っていました。でも、戦争中の詳しい話は一切してくれませんでした。

おそらく、辛い出来事がたくさんあったのだと思います。

もちろん、あの戦争は酷かった。戦争で亡くなった多くの方たち、残された家族の苦労も並大抵のものではなかったと思います。

二度と戦争をしてはいけない。

多くの著名人たちがTVでそう発言しているのを聞きました。

「戦争はダメだ、二度と戦争をしてはいけない」
「戦争を知らない世代に戦争の悲惨さを伝えねば・・」
「戦争というのは、本当に酷いものだ」

一方で、特に若い人たちの間には、こういう意見が多くなってきたようです。

敵が攻めてきたら自分の国は自分たちで守るのが当然だろう。そのために軍隊は必要だ。自衛隊はあるけど、実戦したことがないので弱い。この際、他の先進国並みに軍隊を持ち、国連が介入する事象に積極的に参加すべきではないか。

世界を見渡せば、今も各地で戦争が起きており、平和な国はそれほど多くありません。

第二次世界大戦後、72年が経過しましたが、この間一度も戦争をしなかった国というのは、国連193カ国中たったの8カ国だといいます。

アイスランド、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、スイス、ブータン、そして日本。

アジアでは、ブータンと日本だけです。

世界の歴史は戦争の歴史でもあります。

人類は戦争が大好きなのです。
ほっとけば必ず戦争をするのが人類です。

アメリカは過去に多くの戦争をしてきましたが、それらはすべて「平和のための戦争」だったといいます。

「平和」は戦争をする一番大きな口実です。

「平和のために」「国民の命と財産を守るために」やむをえず選択するのが「戦争」なのですが、為政者は「戦争」という言葉をあえて避けるかもしれません。

「戦争」といい「平和」という。
言葉だけが先走り、その内実が見えてこない。あえて見えないように発言する。なぜなら、

「戦争をしてはいけない」

というのはとてもシンプルで心に響く言葉ですが、具体性のない抽象的な言葉なので、為政者にとって、あるいは戦争をしたい人たちにとって、使い勝手のいい安全安心な言葉でもあるからです。

太平洋戦争のとき、政府は日本軍が撤退することをあえて「転進」と言いかえました。

為政者は(あるいは戦争をしたい人たちは)どんな手を使ってでも国民をその気にさせます。国民は容易に手なずけることができる民衆なのです。

「戦争はいけない」「平和のために」といいながら、戦争に突入するのです。
世界の歴史を見ればわかります。

そして犠牲者は常に一般民衆、女子どもです。

それを阻止するには、危険を察知する能力が必要です。

為政者が恐怖を煽ってきたとき・・
たとえば北朝鮮の核開発、中国の脅威、あるいは大災害や経済恐慌など、何でも恐怖の対象になりえます。

それらの背後に政治的な動きや隠された意図はないのかどうか。
日本だけでなく世界の動向にも注意する必要があるでしょう。

日本のTV新聞は日本のことしか報道しません。

世界の動向を知るには、CNNやBBCなど他の国が発信するニュースを見聞きする必要があります。

幸い、日本ではまだネットが使えるし情報収集もできています。今のうちに世界の動向をしっかり見極めておく必要があるでしょう。

そして、日本がどこかの国の戦争に加担する、あるいは巻き込まれる予兆があれば、できるだけ早く察知し、そのために備えておく必要があると思います。日本から逃げ出すということも含めて。少なくとも「知る」ことがとても重要です。

たとえば、憲法改正の本当の意図は何なのか。
私たちの憲法は、アメリカから押しつけられたというのは事実なのか。


矢部宏治著『日本はなぜ、『戦争ができる国になったのか』そして、
孫崎享著「戦後史の正体」によると、

アメリカはむしろ日本の平和憲法を快く思っておらず、できれば改正して軍隊を持たせ、アメリカの先兵として他国に送りたがっていた。 戦後まもなく自衛隊の前身である警察予備隊が出来たのは、アメリカの要請によるものであった、という事実が見えてきます。

戦後72年間戦争をしてこなかった日本という国は誇るべき国です。

私たちはそれを誇りとして、この先も戦争をしない国であり続けたい。
何より戦争なんかしてる場合じゃない。
若い世代が戦争に駆りだされたら、日本人は絶滅の危機を迎えることでしょう。

戦争をしないために、戦争に加担しないために、何ができるのか、一人ひとりが思いをめぐらせて考える時に来ているのだと思います。

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