amazonプライムで「万引き家族」がフリーになったので見ました。
「万引き家族」(是枝裕和監督作品 2018年)
カンヌ映画祭でパルムドールを受賞したのは記憶に新しいところです。
是枝裕和監督といえば、「誰も知らない」「そして、父になる」「歩いても歩いても」など、
家族の問題を問いかける作品が多いですね。
今回の「万引き家族」も例外ではなく、家族って何だろう、というのをさらに深く掘り下げた作品です。
でも、これ、一筋縄ではいかないストーリーなのですよ。
(以下、ネタバレ)
一見、幸せそうに見える家族
父と母(みたいに見える中年の男女)と20歳くらいの娘アキ、小学生の息子ショウタ、おばあちゃんの5人家族・・
でも、彼らは血の繋がりのない赤の他人の寄せ集めです。
父と母(みたいに見える中年の男女)も結婚しているわけではなく、アキもショウタも血の繋がりはない。それが徐々に見えてきます。
そして、彼らはすごく貧乏。
家は古くてボロくて家の中は乱雑で、ふすまには穴があき、風呂はあるけどすごく汚い。
でも、彼らはなんだか楽しそうで、とても幸せそうに見えます。
この光景を見たとき、私は既視感を覚えました。
ああ、知ってる、この光景、こういう家族・・
そして、この先はあんまり見たくないなあと思いました。
社会の底辺にいる人たちがどんなか、少しだけど知っているので、あえて映画まで見たくない。
お父さんは工事現場の作業員、お母さんはクリーニング工場、娘は風俗で働き、おばあちゃんも何やら後ろ暗いお金を稼いでいる。でも、それじゃ足りないので万引きをして生計をたてています。
(5人のうち大人4人が薄給とはいえ働いているにもかかわらず、スーパーで万引きしたカップ麺が主食って、もう少しマシなもん食えるでしょ。もしかしてボロ家だけど家賃がすごく高いとか?)
ある日、彼らは通りがかりに5歳くらいの少女を拾います。
リンと名付けた少女には火傷の跡があり、どうやら親に虐待されているらしい。親元に帰りたがらないし、捜索願いも出ていない。
そこでリンは6人目の家族となり、一緒に暮らし始めます。ショウタがリンに万引きを教えます。
幼いリンにとっては、貧乏だけど愛情に満ちたこの家族は、虐待する実の親よりはるかにいい、はるかに大事なものをリンに与えてくれるのでした。
「叩くのはリンが悪いからじゃないの。好きだから叩くなんて嘘なの。好きだったらね、こうやるの」
といって、お母さん(代理)がぎゅっとリンを抱きしめるシーンは印象的です。
まあ、いろいろあって、おばあちゃんが亡くなり、ショウタが万引きで捕まり、家族は夜逃げしようとしたところを警察に捕まってしまいます。
母は(前歴のある父の代わりに)逮捕され、ショウタは施設に預けられ、リンとアキは実の親元に帰されます。
そして最後に、ショウタもまた幼い頃駐車場に放置されていたのをこの両親に拾われたということが明らかになります。
つまりニセ家族の物語。でも、愛情たっぷりの家族、に見えるニセ家族。
さて、この愛情は本物でしょうか?
最後にショウタが捕まった時、お父さんはショウタを置いて夜逃げしようとします。
ショウタは逃げる途中で足を骨折し入院しているのだけど、そのショウタを置いて皆で夜逃げしようとした、そのことを後にショウタに聞かれます。
「ぼくを置いて逃げようとしたの?」
すると、リリー・フランキー演じるお父さん(代理)は、
「ああ・・した。ごめんな」と言います。
すごく軽い男なのですね。無知で軽くて無責任に生きている。でも、人間にとって何が大事かはちゃんと知っている。非常にプリミティブな男です。
従って、彼らの愛情は嘘ではないけど、本物だとも言えない。
金持ちだけど冷たい親、もしくは子どもを虐待する親と、無知で無能で貧乏だけど愛情に満ちた親と、どっちがいい?
と、問いかけているわけではありません、この映画は。
だって、どっちもダメだもの。
万引き家族は、行き場のない人や虐待された子どもたちの一時預かり所みたいな場所なんですね。
でも、あくまで一時的なもの。子どもたちをここで育てることは出来ない。戸籍もないし、学校にも行けない。社会福祉も受けられない。
それを、賢いショウタは見抜くのですね。
だから、ショウタはわざと捕まった。そして、家族はバラバラになります。
是枝監督の家族の物語はますます深みを帯びていくようですが、私しゃもうこれ以上見たくないなあ。
いい映画ですよ。
でも、実際に底辺を経験した人、酷い家族に苦しめられた人、あるいは今も苦しめられている人にはあまりお勧めしません。