(これは2017年7月19日の記事です)
夏になるとなぜか戦争映画が見たくなります。
「手紙は憶えている」
アトム・エゴヤン監督作品 ドイツ・カナダ合作 2015年
クリストファー・プラマー主演のナチスを題材とした映画です。
ナチスを題材とした映画がこんなにもたくさん作られるのは、戦後70年以上がすぎてもなお、あの時代が色濃く世界に影を落としているからでしょう。
あの過酷な時代は忘れようにも忘れられない。
一体、あそこで何が起きたのか、再確認、再認識したいと皆どこかで思っている。
あるいは、残酷な歴史は今も世界のどこかで繰り返されており、それがいつ自分にふりかかってくるかわからないので、それに備えておこうとしている。
あるいは、単に怖いもの見たさ、もあるかもしれない。
いずれにしろ、こうしたものを映画、娯楽として見られるのは、私たちが平和で安全な場所にいるからにほかなりません。
時代は移り、ナチス映画に登場する人物たちも年老いてきました。戦後生まれの私たちも老いてきたけど、この映画はもう一つ前の世代、戦争を経験した世代の人たちが主人公です。
老人ホームにいる90歳のゼブ(ヘブライ語で狼という意味)は認知症を患い、毎朝起きるたびに亡くなった妻ルースを探します。
同じホームに入居しているマックスが彼にいいます。
「覚えているか、ルース亡き後君が決行すると言ったことを。
君が憶えていられるように、私が全部書きだした」
といって、手紙をゼブに渡します。
二人はアウシュヴィッツを生き延びたユダヤ人サバイバー。収容所のブロック責任者だったドイツ人に家族を殺されました。そのドイツ人は死んだユダヤ人の名前を名乗り、戦争が終わった後アメリカに渡ったというのです。法では裁かれないので自分で裁きを下す。それがルースの葬式でゼブが言ったことだとマックスはいいます。
手紙には「ルディ・コランダー」という名前の人物の住所リストがありました。
マックスは車椅子の生活で外には出られません。そこで、ゼブは一人復讐を果たすべく老人ホームを抜け出します。
家族を死に追いやったナチスへの復讐のために。
「ルディ・コランダー」は全部で四人。ゼブはカナダにまで足を延ばしますが、リストの3人目までは人違いであることがわかります。
三人目のルディ・コランダーの息子が怖い。
彼の父親はゼブが探していたドイツ人ではなかったけれど、強烈なナチス信奉者で、父親の影響を受けた息子もまた狂信的なナチス信奉者。
部屋の壁にはハーゲンクロイツの旗が掲げられ、ナチスの制服や昔の写真などが所狭しと飾られていて、非常に恐ろしい人物です。
世代を超えて受け継がれるナチスの思想。
この人物に扮しているのがあの「ブレイキング・バッド」に登場するハンクなんですね。ハマリ役です。
ゼブがユダヤ人だとわかると、彼は豹変します。
豹変して物凄い形相でにらみつけ、ゼブを追い詰めます。でも、けしかけられた犬をゼブが撃ち抜き、同時に彼も殺されちゃうのですが。
残るは最後の一人。
そして、物語は大詰めへ。
大どんでん返しの結末が待っています。
(以下ネタバレです)
↓
↓
↓
このどんでん返しについては、かなり疑問があります。
予告編を見たとき、私の脳裏をかすめたのがこれでした。
まさか、これじゃないよね、と思って見たら、やっぱりそうだった。
つまり、彼が追いかけていたユダヤ人の名前を名乗るドイツ人オットー・ヴァリッシュは、ほかならぬ彼(ゼブ)自身だった。
彼こそがドイツでアウシュヴィッツのブロック責任者をしていて、マックスの家族を含め多くのユダヤ人を殺した張本人だった。
そして、ユダヤ人になりすましてアメリカに渡ってきたその人であった。
最後に訪ねたルディ・コランダーは、アウシュヴィッツでゼブの同僚だった人で、ゼブと一緒にアメリカに渡ってきた、本名をクニベルト・シュトルムというドイツ人でした。
彼は、オットーは君だ、とゼブに突き付けるのでした。
クニベルト・シュトルムは長い間罪悪感に苦しめられ、いつオットーが自分を訪ねてきて過去を暴かれるかと心配しながら生きてきた、と彼に言います。
あまりの衝撃に、ゼブは彼を撃ち殺し、そして、自分の頭をも撃ち抜いて自殺する、というのが結末です。
すべてはマックスの計画的な復讐劇だったのです。
マックスはついに家族の復讐を果たしたのでした。
↓
↓
でもねえ、
なんか腑に落ちない。
どんなにマックスの洗脳が巧みだったとしても、あれほどの過酷な体験を逆バージョンに塗り替えることなど、はたして可能だろうか。
存在の奥深くまで浸透しているはずの罪悪感、あるいは恐怖感、それらをぬぐい去ることなどできるだろうか・・
途中でゼブがピアノを弾く場面があります。
ゼブはピアノを教えてくれた教師の話をします。昔のことを全部忘れているわけではない。ピアノからの連想でナチス時代を思い出してもいいはず。
それに、認知症と記憶障害を抱えた90歳の男が、リストにある人物を訪ねて一人で旅すること自体はたして可能なんだろうか・・
彼の旅路は、クリーブランドからカナダ、ネバダ、タホと広範囲に及びます。
認知症の90歳がこの全行程を一人で踏破できるのか?
と疑問は尽きません。
皆先行き短い老人たち。わざわざ殺さなくても、もう死んでるかもしれないじゃないの、ほっとけば? と私なら思うけど、そうはいかないのが、彼らの悲劇なのですね。
ナチスで虐殺されたユダヤ人の悲劇でもあり、その時代をかろうじて生き延びたドイツ人の悲劇でもあります。
マックスの計画が見事すぎて、逆にゼブが気の毒に思えてきます。
最後をどう受け止めるかはそれぞれだと思いますが、見ごたえのあるサスペンス映画で、ぐいぐい惹きつけられ最後まで一気に見てしまうことはたしかです。
特にクリストファー・プラマーの演技が見事でした。
ともあれ、最近、老人が主人公の映画って多いですねえ。
あ、それって、そっちに目が行くようになったってことなのか?
老人特集もそのうちやってみようかなと思ってます。
夏になるとなぜか戦争映画が見たくなります。
「手紙は憶えている」
アトム・エゴヤン監督作品 ドイツ・カナダ合作 2015年
クリストファー・プラマー主演のナチスを題材とした映画です。
ナチスを題材とした映画がこんなにもたくさん作られるのは、戦後70年以上がすぎてもなお、あの時代が色濃く世界に影を落としているからでしょう。
あの過酷な時代は忘れようにも忘れられない。
一体、あそこで何が起きたのか、再確認、再認識したいと皆どこかで思っている。
あるいは、残酷な歴史は今も世界のどこかで繰り返されており、それがいつ自分にふりかかってくるかわからないので、それに備えておこうとしている。
あるいは、単に怖いもの見たさ、もあるかもしれない。
いずれにしろ、こうしたものを映画、娯楽として見られるのは、私たちが平和で安全な場所にいるからにほかなりません。
時代は移り、ナチス映画に登場する人物たちも年老いてきました。戦後生まれの私たちも老いてきたけど、この映画はもう一つ前の世代、戦争を経験した世代の人たちが主人公です。
老人ホームにいる90歳のゼブ(ヘブライ語で狼という意味)は認知症を患い、毎朝起きるたびに亡くなった妻ルースを探します。
同じホームに入居しているマックスが彼にいいます。
「覚えているか、ルース亡き後君が決行すると言ったことを。
君が憶えていられるように、私が全部書きだした」
といって、手紙をゼブに渡します。
二人はアウシュヴィッツを生き延びたユダヤ人サバイバー。収容所のブロック責任者だったドイツ人に家族を殺されました。そのドイツ人は死んだユダヤ人の名前を名乗り、戦争が終わった後アメリカに渡ったというのです。法では裁かれないので自分で裁きを下す。それがルースの葬式でゼブが言ったことだとマックスはいいます。
手紙には「ルディ・コランダー」という名前の人物の住所リストがありました。
マックスは車椅子の生活で外には出られません。そこで、ゼブは一人復讐を果たすべく老人ホームを抜け出します。
家族を死に追いやったナチスへの復讐のために。
「ルディ・コランダー」は全部で四人。ゼブはカナダにまで足を延ばしますが、リストの3人目までは人違いであることがわかります。
三人目のルディ・コランダーの息子が怖い。
彼の父親はゼブが探していたドイツ人ではなかったけれど、強烈なナチス信奉者で、父親の影響を受けた息子もまた狂信的なナチス信奉者。
部屋の壁にはハーゲンクロイツの旗が掲げられ、ナチスの制服や昔の写真などが所狭しと飾られていて、非常に恐ろしい人物です。
世代を超えて受け継がれるナチスの思想。
この人物に扮しているのがあの「ブレイキング・バッド」に登場するハンクなんですね。ハマリ役です。
ゼブがユダヤ人だとわかると、彼は豹変します。
豹変して物凄い形相でにらみつけ、ゼブを追い詰めます。でも、けしかけられた犬をゼブが撃ち抜き、同時に彼も殺されちゃうのですが。
残るは最後の一人。
そして、物語は大詰めへ。
大どんでん返しの結末が待っています。
(以下ネタバレです)
↓
↓
↓
このどんでん返しについては、かなり疑問があります。
予告編を見たとき、私の脳裏をかすめたのがこれでした。
まさか、これじゃないよね、と思って見たら、やっぱりそうだった。
つまり、彼が追いかけていたユダヤ人の名前を名乗るドイツ人オットー・ヴァリッシュは、ほかならぬ彼(ゼブ)自身だった。
彼こそがドイツでアウシュヴィッツのブロック責任者をしていて、マックスの家族を含め多くのユダヤ人を殺した張本人だった。
そして、ユダヤ人になりすましてアメリカに渡ってきたその人であった。
最後に訪ねたルディ・コランダーは、アウシュヴィッツでゼブの同僚だった人で、ゼブと一緒にアメリカに渡ってきた、本名をクニベルト・シュトルムというドイツ人でした。
彼は、オットーは君だ、とゼブに突き付けるのでした。
クニベルト・シュトルムは長い間罪悪感に苦しめられ、いつオットーが自分を訪ねてきて過去を暴かれるかと心配しながら生きてきた、と彼に言います。
あまりの衝撃に、ゼブは彼を撃ち殺し、そして、自分の頭をも撃ち抜いて自殺する、というのが結末です。
すべてはマックスの計画的な復讐劇だったのです。
マックスはついに家族の復讐を果たしたのでした。
↓
↓
でもねえ、
なんか腑に落ちない。
どんなにマックスの洗脳が巧みだったとしても、あれほどの過酷な体験を逆バージョンに塗り替えることなど、はたして可能だろうか。
存在の奥深くまで浸透しているはずの罪悪感、あるいは恐怖感、それらをぬぐい去ることなどできるだろうか・・
途中でゼブがピアノを弾く場面があります。
ゼブはピアノを教えてくれた教師の話をします。昔のことを全部忘れているわけではない。ピアノからの連想でナチス時代を思い出してもいいはず。
それに、認知症と記憶障害を抱えた90歳の男が、リストにある人物を訪ねて一人で旅すること自体はたして可能なんだろうか・・
彼の旅路は、クリーブランドからカナダ、ネバダ、タホと広範囲に及びます。
認知症の90歳がこの全行程を一人で踏破できるのか?
と疑問は尽きません。
皆先行き短い老人たち。わざわざ殺さなくても、もう死んでるかもしれないじゃないの、ほっとけば? と私なら思うけど、そうはいかないのが、彼らの悲劇なのですね。
ナチスで虐殺されたユダヤ人の悲劇でもあり、その時代をかろうじて生き延びたドイツ人の悲劇でもあります。
マックスの計画が見事すぎて、逆にゼブが気の毒に思えてきます。
最後をどう受け止めるかはそれぞれだと思いますが、見ごたえのあるサスペンス映画で、ぐいぐい惹きつけられ最後まで一気に見てしまうことはたしかです。
特にクリストファー・プラマーの演技が見事でした。
ともあれ、最近、老人が主人公の映画って多いですねえ。
あ、それって、そっちに目が行くようになったってことなのか?
老人特集もそのうちやってみようかなと思ってます。
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