ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

カタカムナ考 9 (「偽書『東日流外三郡誌』事件」について)

2017-05-09 13:13:45 | 日本語


「偽書『東日流外三郡誌』事件」
この本は、催眠術にかかりかけていた私の頭をガーンと殴ってくれました。

古史古伝にハマり、もしかしたら、本当に「竹内文書」や「東日流外三郡誌」のようなことがあったのかもしれないと、半ば思いかけていたところです。

「竹内文書」については、あまりに荒唐無稽で、何をか言わんやなのですが、それでもはるか昔にそんなことがあったとしたら、面白いなあという世界ではありました。

キリストは日本に来て日本で死んだとか、大昔、日本は世界の中心で、日本から様々な人種(青、黄色、赤、白、黒)が世界に拡散していったとか、天皇は「天浮舟」という飛行機のようなもので世界じゅうを駆け巡っていたとか・・。

でも、『東日流外三郡誌』の歴史はもっと現実的です。
かつて、東北の地に「アラハバキ」という一族がいて、大和朝廷の東征にも屈せず一大都市を築き上げ、大陸と貿易をして栄えていた、というのです。

「まつろわぬ民」のあり得たかもしれない歴史が人々の目の前に繰り広げられたとき、偽書でもいいから信じたい、という気持になった人々を責めることはできません。

これを暴露したのが、東奥日報の記者の齊藤光政です。
(偽書疑惑については彼だけでなく多くの人たちが関わっていますが)
彼は10年に渡って「東日流外三郡誌」を取材し続け、この文献の発見者である和田喜八郎という人物について多方面から検討し、この本が偽書以外の何ものでもないことを、完膚なきまでに暴き出したのでした。

和田喜八郎によると、1947年、突然自宅の天井から煤だらけの古い長持ちが落下してきた、その中に「東日流外三郡誌」の文献が入っていた、というのです。

しかし、彼の死後、自宅を調べたところ、長持ちを置くようなスペースは天井裏にはなく、梁の強度も低く、そこに大量の文献があったなどとはとうてい考えられない、ということが判明したのでした。

『東日流外三郡誌』の文献は4800冊に及ぶといいますから、その量と重量たるや膨大なものであるはずです。

しかも、すべて和田喜八郎本人の癖のある字で書かれており、彼は原本(寛政原本)が古くなったので書き写したからだと言い訳していたようなのですが、原本はついに公開されることなく彼は亡くなります。そして彼の死後も寛政原本が見つかることはありませんでした。

和田喜八郎に関しては、一事が万事こうしたお粗末なストーリーのオンパレードだったようです。

たとえば、
青森県五所川原市の荒覇吐神社石塔から発掘された御神体が、930年ぶりに秋田県田沢湖町にある四柱神社に戻ってきた、という小さな町にしては大きな事件があったのですが、
これも、和田喜八郎その人が御神体を発見し、田沢湖町に奉納したのでした。

町をあげて「太郎権現遷座式」を執り行い、その神官役を務めたのが、和田喜八郎本人。
そして、
彼が持ち込んだ御神体たるや、神様ですらなく得体のしれない仏像で、しかも外国の土産物屋で売っているような安物であったといいます。

その後、さらにまた御神体が発掘されたと和田が言い出し、四柱神社に奉納されたのですが、それは遮光器土偶のレプリカだったというのです。
仏像といい遮光器土偶といい、素人相手の骨董屋にも置いてないような代物であったというから驚きます。

こうした和田喜八郎によるチープな詐欺事件が次から次へと後を絶たないのですが、
なぜか人々は信じてしまうのです。

彼が巧妙だったから、というよりは、人々が信じたかったからではないか、
と齊藤氏は本の中で述べています。

10年という歳月をかけ、著者は和田喜八郎という人物とその詐欺事件、そして彼を取り巻く人々の願望と欲望、和田自身の様々な奇行を描きだし、検証していきます。

さらに東北地方という、常に中央からないがしろにされてきた地方の歴史的背景もまたこの偽書事件に複雑な影を落としています。
それらを一つひとつ丁寧に暴きだしていく手腕は見事というしかなく、下手なミステリーより面白いです。
新聞記者だけあって、わかりやすくテンポもよく、すらすら読めます。

東北に限らず、常に政治に翻弄されてきた庶民の立場から見た歴史観とも重なり、
そうであったらどんなによかっただろう、きっとそうだったに違いない、
偽書であろうがなかろうが、信じたい、という気持をかきたてられるのは、何も東北の人々に限りません。

そうした人々の気持にするりと入り込んでくる、こうした偽書事件は後を絶たないのではないかと思います。

『東日流外三郡誌』は本や雑誌に取り上げられ、2006年現在で関連書籍は130冊を超えるというからその影響力ははかり知れません。

でも、実は、人々は最初に直感していたようです。
和田喜八郎という人物について、異口同音に「何かおかしいと思った」と後に語るのです。

 「正しいか正しくないか、必要か必要でないか、こうした大事なことを自分の頭で考えることを怠ってきた日本人独特の前例主義、そして、主体性のない横並びの論理が「古文書」商法のつけこむ隙だった・・」

と著者は書いています。

和田喜八郎の従妹であるキヨヱさんはこういいます。

 「はんかくさい(おかしいの意)、私が最初から言っているじゃないですか。すべて喜八郎さんの作り話だと・・それなのに、なんで、頭のいいはずの学者たちがコロッとだまされたんでしょうか。不思議でしかたありません」

身内はよくわかっていたのですね。

肝心なのはやはり現実的になることです。
事実を積み上げ、検討し、筋が通るかどうか、果たしてこのようなことがありうるかどうか、ありうるとしたら、どのように検証すればいいか・・・
そうした検証を重ねた結果、歴史は積みあがっていくのでしょう。

けれども、一方で、
「古事記」や「日本書紀」はどうなのかと問えば、
これもまた一種の偽書ではあるのでしょう。

誰が書いた歴史なのか。
誰が何のために書いた歴史なのか、
という視点が大事ですね。

人々の願望と欲望と歴史的背景がないまぜになった、
『東日流外三郡誌』事件。
これはまさに「事件」と呼ぶべきものです。

最後に著者は安本美典の言葉に代えてこう述べます。
 
 「私たちは・・優しくありたいと願う・・
  あらそわずに事をおさめたいと願う。
  しかし、この優しい精神は危険でもある。
  (やさしさに乗じて人心を支配する輩がいるから)
  優しさのゆえに、沈黙し、真実に至る道をゆずってはいけないのである。
  真実は一つである」

偽書に限らず、私たちは、ほとんど何でも信じてしまう、という弱点をもっている、という自覚を持つことも大事かと思います。
この本はそれを教えてくれました。


コメント
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